山崎トモコ(カトリック小田原教会)
55,000人収容の東京ドーム、ミサの始まる前の長い待ち時間、白百合、カリタス、清泉女学院などミッションスクールの生徒さんの美しい歌声と、吹奏楽に聞きほれて待ちました。
教皇さまの入場は電動カー(パパモービレ)に乗って……熱狂的歓声と打ち振る小旗の中をアリーナの隅々まで……。
こちらから見ると、お姿が豆粒のように小さく見える彼方まで、差し出される赤ちゃんに接吻をし、会衆に向ってにこやかに手を振りながら進まれました。
共同祈願はいろいろな国の方たち、英語、ベトナム語、日本語、韓国語、タガログ語、スペイン語です。
いつものミサで歌っている「あわれみの賛歌」「主の祈り」「マラナタ」は50,000人の大合唱!
練習もなしで、この美しい大合唱はさすがカトリックです!
教皇さまが長崎、広島で発せられた平和のメッセージ「日本は唯一の被爆国であり、長崎、広島の人たちは核の痛み、苦しみを身をもって体験しています。まず、この日本から核兵器廃絶の声を上げなさい」という趣旨のことばを胸に刻み、日本から世界に向けて、この大合唱が教皇さまのメッセージを世界に届ける役割を果たしてくれているように感じました。
世界中で13億人もいるカトリック教徒、その中で日本のカトリック信者はわずか44万人。この小さな国に教皇さまがはるばる来られたのは「戦争のための最新鋭の兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか」と、あの国この国に訴えるため。
また「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、平和を提案できるのか」と我々日本人にも耳の痛い問いかけでした。
若い時、日本に布教に行くことを希望していたという教皇さま、長崎の原爆投下の後写された写真「焼き場に立つ少年」に深く心を動かされたという教皇さま、そして禁教令と迫害の中で250年もの間、信仰を守り伝え続けた「東洋の奇跡」とバチカンも驚いた日本の潜伏キリシタンの歴史。核兵器廃絶の声をこの日本から、と願われた教皇さまの訴えは私たちの胸に確かに伝わりました。
あとは私たち日本人が、教皇さまのメッセージをしっかりと捉え、被爆国からの核兵器廃絶を世界に向けて歌うことが大切です。50,000人でなく、1億人の大合唱で……。