ローマ教皇ご講話の感想


K・H(上智大学文学部学生)

2019年11月26日、冬の寒さが本格的になってきた今日とは反対にとても胸が温かくなるような体験をした。それは目の前で行われたローマ教皇フランシスコのご講話である。生涯のうちで一度あるか無いかの体験に私もずっとこの日を待ち望んでいた。教皇は23日~26日の4日間に渡って日本に訪れ、長崎や広島では核兵器廃絶のスピーチを、東京ドームでは約五万人の人々とミサを行った。長時間に及ぶフライトと多忙なスケジュールで教皇自身も疲労があったと思う。そんな中、帰国直前の限られた時間ではあったが上智大学に立ち寄り、私たち学生にこれからどのような考えを持って生きていくべきなのか、この大学という学び舎で何を学んでいくべきであるのかを話して下さった。十五分程のご講話ではあったが、一つ一つの言葉の重みと教皇の自然への愛が伝わり、その言葉というのは私だけでなく聞いていた人々皆の心に留まったであろう。

教皇は大きく分けて三つの項目について言及した。一つ目は「自然の保護」である。地球を世界共通の家であるとおっしゃり、競争と技術革新に方向づけられた現代の社会において自然保護の重要さを説いた。発展途上にある国の人々は、目先の欲のためにこの地球にあるあらゆるものを使ってもの凄い速さで新たな第二次創造を行う。しかしその裏では、自然の破壊によって普通の生活さえも危ぶまれている地域や国が存在している事をもっと自分の事の様に考えるべきであり、私たち共通の家であり神様が賜って下さったこの地球を私たちの自分勝手な行動で壊してはいけない。今の地球の現状は神様のご計画とは異なる光景が広がっているのではないだろうか。

二つ目は「人間性」についてである。「神聖な人間性は閉じた扉の下からそっと入り込む霧のようにほとんど気付かれないながらも…」、「それぞれの状況において、例えそれがどんなに複雑なものであったとしても己の行動においては公正で責任を持ち、言葉と行動が偽りや欺瞞であることが少なくないこの時代にあって正に必要とされる一貫性を備えていることで知られる者になって下さい」という言葉を述べられた。人間性というのはそれぞれ自分の中に持っている性格であり、すぐに良い方向に変えることの出来る簡単なものではないが、何か行動を起こす際には一歩踏みとどまりこの言葉を思い出したいものである。

(c) CBCJ and produced by Sophia University

三つめは「弱者の擁護」であった。私はこうして毎日当たり前のようにご飯を食べ、欲しい物を買い、大学で授業を受けるなど何不自由なく生活することが出来ている。時には欲が行き過ぎ、贅沢をしてしまうことだってある。一見私たちは幸せなのだと感じる世の中であるが、日本はアメリカ、中国に次ぐ世界3位の経済大国でありながらも7人に1人が貧困生活を送っている。世界を見てみれば、戦争によって家族を失ってしまった人や貧しいだけでなく、病気の人や障害を抱えている人も多くいる世の中の事を知ると、自己嫌悪に陥ってしまいそうになる。それらの人達に私たちが出来ることは何かと考えてみても、直接何かしてあげることは難しい。しかし誰でも出来ることと言えば、教皇のおっしゃった「貧しい人のことを忘れてはいけない」この言葉を常に胸に携えることではないだろうか。少しでもこの事を思って行動してみれば、大学の授業一コマを取ってみても受け方が変わってくるのではないかと思う。以前に、大学という高等教育機関で学ぶことの出来る人の割合はたったの数パーセントと聞いたことがある。世界に存在する大学教育を受けたくても受けることが出来ないという多くの人達の分まで大学で学んだ事を無駄にせず、たった一人の人でも救えるのであればその人のためにでも行動を出来ればなと思う。その土台を作る場としても、学生のうちにより現状を知るなど世界への関心を深めていきたい。

宗教信者が決して多くはない日本において、教皇のような方を通してキリスト的な正しい人間の生きる道を示してくださったのは、現代の日本においても世界から見てもとても良い機会になったのではないかと、少なくとも私自身は感じる。そして、その場に立ち会えたことに縁を感じるとともにとても感謝しています。高望みではあると思うが、キリスト教徒にならずとも、人間誰にでも共通するキリスト的人生観を一人でも多くの人の心に存在し、世界に平安が訪れますように。

 


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