あと3センチ


井手口 満(聖パウロ修道会 ブラザー)

私たち日本の教会は、ここ数年の間教皇フランシスコの来日を夢見てきました。そして、それがようやく現実となり11月23日に来日されます。広告代理店電通とカトリック中央協議会が中心となり着々と準備が進んできています。さらに、それぞれの教区で教皇フランシスコを迎えるためのイベントや祈りを持って迎えるグループなど物質的にまた霊的に準備がなされています。

初めての教皇来日は、今から遡ること38年前、1981年2月23日~26日に教皇ヨハネ・パウロ2世が訪問されています。その時、私は高校1年生で聖パウロ修道会の志願者でした。東京でのミサは、当時後楽園球場で行われ、聖パウロ修道会の志願者は、「整理係」として奉仕することとなりました。私はレフトスタンドの上の方を指示され「整理係」という腕章をつけ、なんとなく一つの役割を頂いたことに誇りを持っていたような気がいたしました。

球場でミサが始まるまで、信徒は、「ビバ、ビバ、パパ」と歌って、教皇が姿を表すのを心待ちにしていました。そしてグラウンドに設営された祭壇に教皇が立たれた時、球場全体の信徒が一つになり、喜びと興奮が起こったようでした。私は、何よりも教皇が日本語でミサをなさったということに深い印象がありました。

もう一つ、東京カテドラル関町教会で「聖職者の集い」が行われました。私は、聖パウロ修道会の神父や修道士と一緒に聖堂の中で教皇が入られるのを待っていました。周りには、他の修道会のシスターや神父がいて、同じように待っていました。正面の門から祭壇に向かう通路を挟むように柵が設置され、教皇が通れるようになっていました。しかし、教皇がいざ入堂しますと教皇に触れようとするあまり、周りの司祭やシスターが波のように動き出し、私もその波に揉まれました。私の隣には、同級生の志願者がいたのですが、彼も一緒に通路のきわにまで後ろから押されました。私も彼も手を伸ばし教皇に触れようとしました。そして、彼は教皇の手を触れ、さらに教皇の指輪がスルスルと抜け落ちそうになるところまでなったのです。その時、教皇の隣にいたお付きの人が同級生の手を掴んで離し、指輪を元に戻したのです。私の手は、なんと後3センチ横にあったのですが……。

今考えてみるとそんな近くまで教皇の側に行くことが出来たというのは、一つの恵みと行ってもいいかもしれません。今度来日される教皇フランシスコとは、どのような触れ合いができるのでしょう。日本の教会にとっても大きな動きがあるでしょうし、私の中にも何か恵みがあるかもしれません。

 


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