ミサはなかなか面白い 87 国語化への希求はずっと前から


国語化への希求はずっと前から

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答五郎 さて、ミサの式次第に沿ってみてきた流れで、ここのところの典礼の歴史全般にも通じる感じになってきたね。先週は、ラテン語か諸国語かという問題を、宗教改革との関係でも見たのだったね。

 

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問次郎 はい、カトリック教会の場合、1960年代、今から半世紀ほど前にようやく典礼が諸国語で行われるようになったということなので、ずいぶん遅れていたなぁとも思ったのですが。

 

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答五郎 そう、ところが16世紀から20世紀の間、カトリック教会でも、ラテン語か諸国語かという問題で揺れていたという点を、きょう話すのだったね。いろいろな出来事があったのだけれど、まずフランスでのことだ。

 

女の子_うきわ

美沙  フランスというと、カトリック教会の本場という印象があるので興味深いです。

 

 

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答五郎 そのフランスでは、17世紀半ばに、ミサ典礼書をフランス語に翻訳して信徒に身近なものにしようという運動があったのだよ。

 

 

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問次郎 それは、とても近代的というか、現代的ですね。

 

 

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答五郎 やはりカルヴァン派(フランスではユグノーとも呼ばれていた)などがフランス語の礼拝を実践していたことが当然目に入っていたのだと思うよ。典礼書の翻訳やフランス語での典礼解説書づくりが盛んだったのだ。この時期、信徒に向けての説教集会や黙想会など、信徒教育が盛んになっていたことも関係していたはずだ。

 

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問次郎 でも、その時代は、そのまま発展しなかったのですね。

 

 

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答五郎 1661年に、教皇アレクサンデル7世がミサ典礼書のフランス語訳という取り組みを断罪したということがある。一般に、トリエント公会議後に定められたラテン語の典礼書は翻訳が禁じられることになったというのだ。

 

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問次郎 ローマ・カトリック教会のラテン語主義が明確になったのですね。

 

 

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答五郎 フランスの場合、ガリカニスムといういわばフランス国家教会主義があったことを知っているだろうか。当時はブルボン朝の絶対君主制の時代で、国王が教会を統括する体制を推進する動向のことをいうのだよ。教皇の権威か国王の権力かという葛藤が生じたわけだ。国王の権力に服する教区と、それに与せず、ローマ教皇に忠実な教区もあり、両方が併存していたという。それは選べたようなのだ。ガリカニスムに服する教区では当然にフランス語訳典礼書で典礼を実施したわけだ。

 

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問次郎 ちょっと想像しにくいですが、言語の問題は、教会体制の問題でもあったのですね。

 

 

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答五郎 ローマはもちろん、国王の権力に左右されない教皇に忠実な教会の一致を目指すから、その方針を示すとしたら、伝統のラテン語を固守するということになったのだろう。ちなみに、この当時一定の影響力をもったジャンセニスムという思潮も、典礼言語問題に絡んでいたようだ。ただ、これについては、難しいので省くけれどね。

 

女の子_うきわ

美沙  なんとなく、フランスの特殊事情という気もするのですが。

 

 

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答五郎 そうでもないのだよ。各国で現れ方は違うけれども似たようなことはあったようだ。また遠くアジアでも、17世紀、清朝の中国でイエズス会宣教師などが活躍して、現地文化の受容策をとり、典礼書も中国語訳も進めていたところ、宣教地対応として許可される方針もあった一方で、さっきも出たアレクサンデル7世は、この方針を撤回し、ラテン語主義でいくべきとしたんだ。中国の典礼問題といって世界史でも案外知られているよ。これは、現在も続く、キリスト教宣教における文化受容の問題、いわゆる「インカルチュレーション」問題の始まりだったのだ。

 

女の子_うきわ

美沙  キリスト教国であったフランスでは、また別な意味で文化の問題でもあったのでしょうか。

 

 

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答五郎 あの時代は、近代国語の形成期で、まだ社会のいたるところではラテン語が使用されていた。神学も哲学も教科書はもちろんラテン語だし、科学の論文や本にしても基本はラテン語だった。デカルトにしてもラテン語の本とともにフランス語でものを書いていたわけだから。

 

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問次郎 学者たちや聖職者たちが学び、書く言語がラテン語で、高度な知的文化の道具だったのですね。まだまだヨーロッパ文化はラテン文化だったのですね。

 

 

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答五郎 そうだったのだけれど、近代的な国語の成長は、18世紀になるとそれら知的文化世界をも覆うようになる。啓蒙時代とはそのような時代のことだ。そして、たとえばドイツのカトリック教会では、18世紀から各教区編纂の信徒用聖歌集には、ドイツ語のものが増えてくる。信徒にとって身近な洗礼式や結婚式などはドイツ語に訳して行うようになるなどね。

 

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問次郎 そういったことが教皇から禁じられるということがなかったのですか。

 

 

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答五郎 教皇の禁令が強く発されるとき、その権威が強く及ぶときもあれば、動向に任せていたときもあるなど、時期により違いがあったようだ。一般に18世紀から19世紀初めのドイツのカトリック教会圏では、信徒の信仰意識を高めるために典礼が重要だという認識がかなり広まっていたようなのだ。でも、まだやはりラテン語体制が変わることはなかった。

 

女の子_うきわ

美沙  言語が身近なものになれば、信徒の参加意識も変わったでしょうね。

 

 

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答五郎 言語の問題は、たしかに、信徒に対する教育ということと関連しているよね。一方で、だんだん19世紀の半ばになって、カトリシズムの復興ということが叫ばれるようになると、中世的なものの復興が重なってくる面もあって、その場合、またラテン語重視にもなっていく。何度かこのような現象、つまり国語化推進とラテン語重視の間の揺れ動き、揺れ戻しといったことが、続いていくのだよ。

 

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問次郎 そして、いよいよ20世紀に至るのですね。

 

 

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答五郎 20世紀の経緯を詳しく見るのは略すけれども、やはり、第2バチカン公会議がきっかけになって、1965年から典礼における国語使用が実行に移されることになって今に至るわけだ。

 

女の子_うきわ

美沙  17世紀や18世紀から19世紀の国語化への希求の高まりはどうして実現に至らなかったのでしょうか。

 

 

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答五郎 いろいろな要因があると思われる。一つには、国家教会主義といったことがなくなったことも大きいだろうね。信教の自由が定着していく社会になったということ。それから文化全般でラテン語ではなく、哲学の世界でも各国語による思索が定着したことが大きいかな。もちろん神学ではラテン語が原則だったのだけれどね。それともう一つはやはり宣教推進ということかな。20世紀になると、世界宣教がヨーロッパ文化の移植、ラテン的カトリシズムの移植ではなく、現地の文化を生き生きと受容して、福音を広めていくという文化受容推進の方針へと展開していったのだよ。

 

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問次郎 それって大変革ではないですか!

 

 

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答五郎 大きなことだよ。典礼が、信徒の信仰教育や福音宣教との関連で考えられるようになっただけでも大変化さ。ただ、それはまだ始まったばかりでもある。今、みんなは日本語でミサを見学しているかもしれないけれど、それは現代教会の最先端のチャレンジだともいえるのだよ。この流れで、最近の問題について次回、少し見ておくことにしよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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