アート&バイブル 46:イエスとカナンの女


ピーテル・ラストマン『イエスとカナンの女』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

この絵の作者ピーテル・ラストマン(Pieter Lastman, 生没年1583~1633)は、日本ではあまり知られていないと思いますが、バロック期に活躍したオランダの画家です。この人の弟子にはレンブラントがおり、その師匠ということからも画業の確かさを感じます。彼はアムステルダムに、金細工職人の息子として生まれました。19歳の時にイタリアに行き、5年間ほど絵を学び、とくにカラヴァッジョの影響を受けました。アムステルダムに戻ってからは、光と影の強いコントラストを用い、ドラマティックな画風となりました。

この絵は、マタイ福音書15章21~28節(マルコ福音書7章24~30節、フェニキアの女の信仰)の次のようなエピソードを描いています。

イエスがティルスとシドンの地方に行くと、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫びます。しかし、イエスが何も答えずにいると、弟子たちが近寄って来てイエスに願います。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」と。それに対して、イエスは「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えます。

すると、女が来てイエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言います。イエスが、「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と答えると、「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と、その女は言いました。イエスはこれに答えます。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と。そのとき、娘の病気はいやされるのです。

 

【鑑賞のポイント】

(1)この絵はマタイ・マルコに記されたカナンの女(フェニキアの女)の信仰の深さを生き生きと描き出しています。壊れた塔や城壁は異教の世界の崩壊を示しています。背後の遠景にドーム型の神殿らしき建物も描かれています。

『イエスとカナンの女』(1617年、板絵、油彩、75×105cm、アムステルダム国立美術館蔵)

(2)イエスと女性の間に立っている人物は、祭服のような装飾のある衣服を着て、イエスに「あなたはこの女を救えるのか?」と尋ねているようでもあり、また「もはや、わたしたちの神々ではこの女の願いをかなえることができないので、この女はあなたに頼んでいるのです」ととりなしているようにも見えます。

(3)イエスは手を差し伸べて、「子どものパンを取り上げて、犬に与えることができようか?」と問いかけているように見えます。イエスの差し伸べた手の先のほうで二人の子どもがまさにパンにかぶりついています。「おいしね~」とか、「早くぼくにもちょうだいよ」と言っているようなほほえましい姿です。

(4)一方、カナンの女は両手を挙げて、イエスにまさにすがりつかんばかりの勢いです。イエスと彼女の頭上だけに光輪が描かれており、この女性の信仰の深さが描きだされています。彼女の膝もとには2匹の子犬がじゃれあっています。「主よ、おっしゃるとおりです。しかし、子犬でさえも主人の食卓からこぼれ落ちるパンくずはいただけます」とむくれたりせず、あきらめたりせず、むしろイエスのあわれみを引き寄せようとへりくだる姿とことばで、女は嘆願しています。ここには描かれていませんが、病気で苦しむ彼女の子どもは幼い少女でした(マルコ7章24節)。

 


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