初めての聖体拝領


寺尾寿芳

夜の司祭館生まれ

わたしが受洗してまもなく30年になります。当時は大阪ではたらくしがない独身青年サラリーマンでした。当時住んでいたマンションにはのちにオウム真理教として悪名を轟かせる宗教団体が主催するヨガ教室のチラシがよく投函されていて、ためしに行ってみようと考えていたのですが、それに先立ち、マンションの窓から見える奇妙な尖塔をもつ教会に行っておこうと思い立ちました。それが玉造教会で、そこで助任司祭をしていたN神父様によって導かれました。まさに命拾い。

バブル期のサラリーマンでしたので、教会に通えるのは週末金曜日の夜9時過ぎ。N神父様は毎回わたし一人のために司祭館の一室での時間を確保してくださり、その後なんとか洗礼に至りました。いまも神父様との交流はつづいています。ともあれ、こんな調子なので、わたしには夜の司祭館こそが教会であり、聖堂はほぼ無縁。主日のミサもろくに参加したことがないままの受洗の恵みでした。

 

初聖体のとまどい

洗礼式は1989年のクリスマスミサのなかで行われました。司式はふだん親しく教えを受けたN神父様とは異なり、長崎生まれの厳格な感じがする主任司祭のH神父様でした。大都会大阪のカテドラルでのクリスマス(しかもバブル時代!)なので、普段とは大違いの満員御礼の大聖堂でした。それにしてもデートの一環でしょうか、カップルの多かったこと! ミサの後彼らはどこへ向かったのでしょうか。それはさておき、洗礼の瞬間は、おそらく人生で最も多くの人たちの視線を浴びた瞬間だったでしょう。今後の人生(あとどれくらい残されているのか…)で、あの場面を凌ぐ注目度を得ることはまずありえません。

ところが、多忙な若きサラリーマンであるわたしは夜の司祭館で愚痴を言い連ねることには長けていた一方で、洗礼の準備はほぼできず、かなり省略したと思われます。現に記憶に全くありません。「出たとこ勝負」の想いで洗礼に臨みました。額に聖水が流れた瞬間の感動はいまもただちによみがえってきます。

さて、洗礼も無事済み、ミサも終盤、聖体拝領となりました。誰よりもまず先にわたしが呼ばれ、衆目の集まる場で聖体を受けます。準備不足のわたしも何度かは目にしたふだんの主日のミサでの信徒のふるまいを思い起こし、掌を重ねて聖体が置かれるのを待ちました。しかし、H神父様は微動だに動かないのです。凍り付いたような瞬間。H神父様は小声でなにかをつぶやいているのですが、聞き取れません。絶体絶命の危機となってしまいました。

 

「正しさ」からくるつらさ

そのとき、歴史好きだったわたしの脳裏に、昔のミサにまつわる微かな知識が頭に浮かんだのです。「これは口を開けろ、とういことか」。で、口を開いた瞬間、聖体はわたしの口の中に放り込まれました(と表現すべきでしょうか、正式には…)。

この記事を読まれる方々にはなじみの、しかし、すこし複雑な思いが混じる話題ではないでしょうか。H神父様とは受洗の前も、そしてその後もまったく交流がありませんでした。ただ、やはり長崎出身で司祭の権威を重んじる(その後、あるミサの中での説教で、司祭たるもの信徒の前では走ったりするような「はしたない」姿をぜったいに見せてはならない、と語っておられました)、いわば旧世代の司祭として、「人生で最高の瞬間」である洗礼に続く初聖体に当たっては「正しい」やりかたで聖体を受けるべきだとお考えになったのでしょう。

その後、信仰と近代化といったテーマを考察するような立場に至ったわたしにとり、この場面は学びの歩みのなかでたびたび想起される、謎解きを請うような象徴的なイメージをもって思い返されるものとなりました。伝統と正統、宗教と文化、教理と慣習といった問題が絡んでくる話題なのでしょう。

正直言いまして、この初聖体の経験で傷ついたことは事実です。H神父様の善意は疑いえません。しかし、いまに至るまで聖体拝領の瞬間、どうしても「あれか、これか」という二分法的な思いがトラウマのように立ち上ってくるのです。「正しさ」にはどうしてもこの手の排他的な思考形式がつきものであるようです。

 

身体の喜び

この二分法的な発想は、ときに過剰な概念や「史実」などで飾り立てられ(いわゆる復古主義的な立場からネットなので批判を繰り返す人たちの知識はなんと「豊か」なことでしょうか…)、暴走ぎみです。

おもえば聖体はまさに「体」です。そしていささかベタな考えでしょうが、われわれの身体はもっと自然で多様で開かれた寛容な存在だと思われます。そこにはどこか食事においてあるべき健康な感覚や感情が伴います。薄い聖体が舌のうえで唾液と混ざり合い溶けていく感覚。固い聖体が全然溶けないので、歯でバリバリ噛み砕くときに沸き起こってくるおかしさを伴う感情。身体はつねにどこか喜びを欲しているような気がします。

それは作法を超えて、神と人が具体的に交りあう神秘の次元です。その神秘を味わうためにも、無作法の誹りを恐れず、作法をできるだけ念頭に浮かばせないこと。そのためには、語るに落ちるかもしれませんが、時代の流れや多数派のやり方にゆだねてしまうことも「あり」だと思います。むしろ席に戻ってから、口の中でなにが起こっている出来事を楽しみ、慈しむことが、愛に満ちた食事の場にふさわしいような気がします。というわけで、わたしがミサに出たいなあ、と心の底、いや腹の底から思うのは、おなかがすいたときです。こんな話で、すみませんでした。

(カトリック東京教区信徒)

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