王とはそもそも? 文字からのアプローチ(AMOR流リサーチ)


そぼ
こんにちは。お久しぶりです! 前はバチカンと教皇について質問させてもらったよ(特集24参照)。今回は、「王」がテーマなんだね。どうしてなのかな?
りさ
こんにちは、リサです。編集部に尋ねたところ、復活祭との関連がまず根底にあり、その上で日本の天皇の代替わり(4月30日~5月1日)の時期となったことも考慮したい、さらには教皇来日の意味までも考えたいとしたことのようです。私見ですが、ちょっと欲張りの感があります。

 

 

キリストが「王」?

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そぼ
それで「王」なわけか。でも、キリストの復活と「王」は何か関係があるのかな?
りさ
福音書の受難についての叙述では、どの福音書でも、イエスが「ユダヤ人の王」であったことが十字架刑の決め手になったらしいことが書かれています。またイエスは、ピラトの前で「わたしの国はこの世には属していない」(ヨハネ18:36)と告げています。
そぼ
地上の王、この世の王ではないけれど、この世に属していない「わたしの国」を語ることで、自分はその国の「王」であると言われている感じもするな。そうか、イエスが告げていた「神の国」のことでもあるのかな?
りさ
そして、イエス・キリストの十字架上での死と復活を念頭において、フィリピ書ではこんなふうにいわれています。

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をほめたたえるのです」(2:9~11)

この精神での賛美は、ミサの栄光の賛歌に受け継がれています(別稿参照)。聖書の用語法でも典礼での用法でも「主」であることのうちに「王」であることが含まれているようです。

そぼ
はは(笑)、漢字を見ても、「主」の中に「王」は含まれているね。点をとっただけだ。
りさ
キリスト教関係の編集者に聞いたところ、「主」が「王」と誤記されているのを校正で見逃したことがしばしばあるということでした。ただ、ラテン語だと主はDominus、王はRexなので、単語の形として連想させるものではないですね。聖書のヘブライ語、ギリシア語、その他西洋語でもそうでしょう。

 

 

漢字で見る「王」「主」「皇」「帝」

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そぼ
字面ではたしかに「王」は「主」に含まれているけれど、ほんとうにそれは関係があるのかな?
りさ
手元にある漢和辞典(大修館書店『漢語林』、旺文社『漢字典』)で調べてみましたが、「王」と「主」の漢字の由来は全く別のようです。「王」は支配権の象徴として、大きなまさかり(「かま」という辞典もあります)の象形から生まれた字だそうです。
そぼ
うーん。古代らしいな。やはり武威がもとになっている字なんだね。外に対しても、内に対しても力を発揮する感じがあるな。
りさ
一方、「主」は、火をともす台の皿の上に火が燃えているさまをかたどったものだというのです。静止している炎の意味から、じっととどまって動かない中心的存在を意味するようになったのだとか。
そぼ
へぇ~。それは驚きだ。動じない存在として中心にいる人のことか。ただ、中心にいる人は支配権をもつ人という場合もあるんじゃない?
りさ
それは、たしかにあるようです。字の由来としては別であっても、意味が近づいてくるということがあるのですね。漢字の面白さです。ちなみに「王」と近い字で「玉」がありますよね。
そぼ
将棋でも「王将」と「玉将」は対応し合っているしね。「王座」と「玉座」もほとんど同じ意味だし。というか「王」に点が増えているだけ、「玉」のほうがより偉いような気がするけど。
りさ
ところが「玉」という字は、三つのたまを縦のひもで貫き通したさまをかたどったものということで、「王」とは由来が全然違うのです。美しい宝石を意味するところから「美しい、とうとい、りっぱな」という形容にも使われる字になって、「玉座」といえば、玉(ぎょく)を散りばめた座という意味で、りっぱな座、天子(神格をもつ主権者)が座るところの意味が出たようです。「玉音」という熟語は、天子のことばという意味になります。
そぼ
「玉音放送」、終戦の詔勅、8月15日か……
りさ
少し話が逸れました。「王」をめぐる話でしたね。このテーマと関係のあるもうひとつの漢字に注目しましょう。「皇」(音読み:こう、おう)です。
そぼ
「皇帝」「天皇」、それに「教皇」にも使われているな。見ると、「白」と「王」の組み合わせだね。これはさすがに「王」と関係があるよね。
りさ
はい。そのとおりです。「白」は光を放つ日のかたどりで、王はやはり威力を示す、まさかりの象形ということで、輝ける王、輝ける支配権者という意味の字となります。王の意味を強調している字といえるかもしれません。それで、中国でも諸王の上に君臨する「皇帝」、神格をもつ主権者「天子」の意味で使われ、日本では「天皇」が王の王である大王(おおきみ)の称号として7世紀に使われ始めたということが一般に知られています。
そぼ
「日の出る処の天子」の意識だね。中国の皇帝・天子に対等な地位にある意味で「天皇」と称するようになったと。ところで気になってきたのは「皇帝」の「帝」の字なんだけど、これはどういう字?
りさ
「帝」の字は、木主(「もくしゅ」または「ぼくしゅ」)に支え木を付けたさまをかたどったものだそうです。
そぼ
モクシュ?
りさ
木主とは、神や人のたましいにかえてまつるもの、みたましろのことです。つまり、位牌や木像のことですね。ここから降臨する天の神を意味することになり、「上帝」「天帝」といえば天の神のことを指し、やがて天下を統治する君主、天子、いわゆる「皇帝」を指すようにもなっていくそうです。
そぼ
あっ。「上帝」ということばは、中国宣教の中で、Deusの訳として使われていたこともあったらしいね(特集19の記事「キリスト教の『神』が生まれた時代」参照)。どうしてそこで「帝」の字が出てくるのかと思っていたんだけど、上帝は天の神なんだね。

 

 

すべて神、キリストにも当てはめられる

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りさ
「王」「皇」「帝」、これらの漢字の成り立ちには、古代の中国大陸の民族のもった世界観、宇宙観、宗教心さえもが窺えるものです。原義をたどっていくと、すべて聖書や教会の中で、神やキリストを賛美する表現と通じるものがたくさんあるのではないでしょうか。
そぼ
たしかに「皇」という字なんか、典礼でいう「栄光の王」というのと意味とほとんど同じだ。
りさ
詩編で神をたたえる文言の一つですね。「門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、あがれ。栄光の王が入る」(『典礼聖歌』158~9の答唱。詩編24・9からとられたもの)など。
そぼ
となると、聖書の神、キリスト教の神、そしてキリストを「皇」で表してもいいってこと?
りさ
漢字の原義だけで見れば、そうかもしれません。ただ、現実に「皇帝」「天皇」が存在するわけですし、「この世に属するものではない」国を意味させるために、地上に存在する名称とは違うものにしたいのではないでしょうか。推測ですが。
そぼ
聖書の神のことを賛美する表現をどう訳すかというときも、そういうことを考えに入れるわけか。
りさ
「王」と訳せているのも、日本の場合、「王」ということばが実質的な統治者に使われることがあまりないので、「王」は案外使いやすいのかもしれません。推測ですが。
そぼ
たしかに、日本の場合、大和時代は別として、天皇とか、上皇とか、将軍とか、大名とかが実際の統治者・支配者だね。
りさ
西洋に関しては、皇帝と帝国、王と王国、大公と大公国とかいろいろと統治者の位階があります。それらを細かく見るのは省きますが、「王」は世界史用語の感じがします。
そぼ
そう思うよ。そして、「王」は部族、民族の「かしら」、首長で、人民とは密着した支配者という感じがする。
りさ
たしかに、西洋史年表を見るだけでも感じられることですね。自然に、いわば下から出てきた支配者という感じです。人の上に立つだけのなにか、武威や血統や統治能力における優れがあってのことでしょう。さらにより普遍的な支配者が出てきて、それは大王、王の王、至高の方とも呼ばれるところで、皇帝といった称号をとるようになります。地上を超えた存在、天的なものの権威を引き受け、神格をもつ存在に自らがなるか、そのような存在と関わる祭司などを伴うことがしばしばです。「皇」も「帝」も「皇帝」も「天皇」も、字としても意味にしても、「天的な存在」「至高の存在」「カミ性」が語られるのもそうなのでしょう。
そぼ
中国の皇帝や日本の天皇やローマ帝国の皇帝、神聖ローマ帝国皇帝やビザンツ帝国皇帝などは、そういう性格があるね。
りさ
聖書や教会の典礼にみられる神やキリストへの賛美表現は、「主の主」とか「天の王」とか「王の王」とか、すべて漢字の原義だけを見れば「皇」も「帝」もすべて含んでいるようなものといえます。でも、「わたしの国はこの世には属していない」という、そのような「神の国」の福音ですし、王であるキリストについての証言が、キリスト教の場合は重要なのです。
そぼ
でも、教会の典礼で「王」とよく発するのは、どこか古っぽい言い方、あるいは西洋的な言い方の感じがつきまとっているけど、それでいいのかな。
りさ
それは、ここでのテーマを超えることで、キリスト者の皆さんで考えてください。

 

 

和語では「きみ」「すめら」

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りさ
ところで、古語辞典を見ていて面白いのは、「王」にあたる日本語(和語)は「きみ」だということです。
そぼ
大和の大王(おおきみ)の「きみ」か。「君が代」の「君(きみ)」でもあるね。
りさ
万葉集での「きみ」の用例はそのまま天皇を意味するものがあり、身分の高い人への敬称の用例は枕草子や源氏物語から出てきて、やがて「主君」「主人」を意味するようになるようです。
そぼ
君子、君主、主君など「君」(くん)と読むときの用例がそれらに関連しているね。
りさ
興味深いことに「きみ」と読む漢字を見ると「公」「王」「后」「君」「皇」「卿」とか、さまざまあります。
そぼ
神やキリストについていう「主」「王」、マリアについていわれる「后」、枢機卿の「卿」への連想が刺激されるな。
りさ
さらに「皇」の字については「すめら」「すめらき」という訓読みがあります。「かみ」「きみ」と並んで。第一には天皇の意味と説明されています。「すめらみこと」という天皇への尊称を聞いたことがあるのではないでしょうか。
そぼ
「すめら」か。記紀万葉の世界っぽい!
りさ
「すめら」について『岩波 古語辞典』は、サンスクリット語で至高・妙高を意味するsumeru、 そして、最高の山を意味するモンゴル語のsumelが語源との説明を記載していますが、諸説あるようです。
そぼ
神を「いと高き方」「至高のお方」とたたえる聖書のセンスと「すめら」は近いものがあるね。いろいろ聞かせてもらったけれど、漢字や古語に含まれている古代の人々の感性や洞察や宗教心のほうが、はるかに刺激的だ。

 

 

文字からの影響を鮮明化させた上で

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りさ
言霊ではないですが、漢字の形にも魂が宿っているようなときがあります。とくに象形文字的なものの場合、無意識にその根源の意味が伝わってきているのではないでしょうか。そのように、文字から無意識に影響を受けている点を鮮明化してから、いよいよ、キリストが「王」である意味や、現実の制度の中での皇帝(ヨーロッパや中国にはいませんが)や天皇のことを考えていくのが大切なのではないでしょうか。そこにどれだけの歴史的な経緯があったか、国や人の間の意識や戦い、思惑や計算、そして、宗教心が働いたかをひもといていくのが大切であると思います。すっかり私見になってしまいましたが。
そぼ
なるほどと思わされるよ。ヨーロッパの言語での「王」や「皇帝」がどういう語源や位置づけのものなのかも調べたくなってきた!
りさ
それは、またの機会とさせてください。

(企画・構成:石井祥裕、イラスト:高原夏希=AMOR編集部)

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