こどもしょくどう


平成から元号が変わろうとしている現代を考えるとき、日本は敗戦からよくここまで豊かな国になったものだと思う。東京オリンピックを中学1年生のときに見ていたぼくは、また東京オリンピックを見られるだろうことを現実のものかと疑うほどだ。

ところが、もう一方の目線で日本を眺めると、どうも摩訶不思議な出来事に驚く。それは特に子どもに関してのことだ。なんでも先進国のなかでは突出して「相対的な貧困状態」にある子どもが多いのが現代の日本だという。厚生労働省の発表では「子供の相対的貧困率」は16.3%で、6人に1人の子どもが貧困状態にあるのだと知らせている。つまり、子どもたちが満足な食事をとれない状態が現代の日本なのだということのようである。

ぼくは、野坂昭如の葬儀で永六輔が遺影に向かって話した言葉「あなたは、戦後すぐの子どもたちが飢えた顔をしているのを思い出し、もう二度とあのような子どもたちの顔を見たくないといつも話されていましたね」が記憶に残る。テレビに映し出された野坂の顔に、ぼくはあの『火垂るの墓』をオーバーラップしていた。戦時中や戦後すぐに生まれた人間は貧しさに負け、その子どもは戦後の経済発展で豊かさに負けた、とはよく言われる。では経済発展で育った人間の子どもたちは……。

映画『こどもしょくどう』には、両親から見離され、車中で生活しているミチル(鈴木梨央)とヒカル(古川凛)の姉妹が描かれ る。その姉妹に少年ユウト(藤本哉汰)が手を差し伸べ、自分の家で食事をさせてあげる。少年の家は食堂を営み、両親は少年の行動を見守っている。ユウトの幼馴染タカシ(浅川蓮)の家は育児放棄の母子家庭である。ユウトはタカシを自分の家に誘って食事をしている。

映画ではなぜ姉妹の両親が子どもと離れたのかは描かれない。家族4人そろって海の傍のホテルに泊まり、観光したことを回想するシーンが繰り返されるだけだ。しかし、そのことが、かえって両親への思いを見るほうに伝える効果を生み出しているように思える。姉妹が孤独になり、追い詰められていけばいくほど、両親のことが気になり、ふと、両親の事情が勝手に頭を過ぎり、あの回想シーンが甦ってくる。

日向寺監督は「本作は、実際にある『こども食堂』の活動を再現するようなものにはなっていない。『こども食堂』が生まれるきっかけ、萌芽を、子供たちから見た世界を通して描いた。それは、『こども食堂』が広がっている根本的な問題に迫りたいと思ったからである。ある子供たちにとって現在は、孤絶し分断された世界であろう。そのような世界であっても、人が人と出会い、思うことによって、人は変わりうるということを描きたいと思った」と言う。

戦後社会が何を生み、何を見落としてきたのか。『こどもしょくどう』は大きな問題をテーマにしてぼくたちに問いかけてくる。子どもたちが可哀そうであるように、また、その親たちも「孤絶し分断された世界」でうごめいてる。

この映画のなかで希望の象徴として出て来る「空にかかる虹」は、現代を生きる、孤独な人間が求める、幸せへの架け橋であろうか。ぼくはいま、同伴者イエスがわれわれの傍におられることを祈らずにはいられない。

(鵜飼清/評論家)

2019年3月23日から岩波ホールにて上映、ほか全国順次ロードショー

監督:日向寺太郎/原作:足立紳/脚本:日向寺太郎、足立紳/撮影:鈴木達夫
出演:藤本哉汰、鈴木梨央、常磐貴子、吉岡秀隆、浅川蓮、古川凛ほか

製作:パル企画、コピーライツファクトリー、バップ/配給:パル企画
製作国:日本/製作年:2018/93分
©2018 「こどもしょくどう」製作委員会
公式ホームページ:https://kodomoshokudo.pal-ep.com/

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