ミサ曲 6 栄光の賛歌 Ⅱ


齋藤克弘

 バロックから古典派時代のオーケストラ全盛期に作曲された栄光の賛歌は、そのテキスト(歌詞)以上に楽器の演奏に重きが置かれ、ミサの祈りの流れとは関係なく、作曲家のテクニックが披露されるものとなったことは前回にも書いた通りです。確かに、作曲手法を世に問うための作品としては優れたものが数多く作曲されたとは思いますが、一方でミサ本来の祈りの流れという、典礼におけるもっとも重要な側面が無視されたことは否めない事実です。このような流れにくさびを打ち込んだのが、以前にも名前をあげたことのある教皇ピオ10世です。

ピオ10世が教皇就任後わずか4か月目に発布した自発教書において、栄光の賛歌と信仰宣言(当時はニケア・コンスタンチノープル信条のみを指しました)は、グレゴリオ聖歌の伝統に従って比較的短くすることが求められましたし、その他にも教会の音楽は聖歌(声)が中心であって、前奏や間奏などが長くなってはならないことも指摘されました。確かに、自発教書であって法的な拘束力があるわけではなかったのですが、この自発教書が最も基本としたものが、教会が長く歌い継いできたグレゴリオ聖歌であったことから、その後の聖歌の作曲にもかなりの影響を与え、さらには第2バチカン公会議後の典礼音楽もこの自発教書を基本にして刷新されました。

ところで、栄光の賛歌で大きな変化があったのは、テキストの区切りにおいてです。第2バチカン公会議の典礼の刷新で重要な役割を果たしたイエズス会の司祭ヨゼフ・アンドレアス・ユングマンは公会議の前に、栄光の賛歌に関する膨大な古代の資料を研究分析し、それまで前半の区切りとされていた「主の大いなる栄光のゆえに感謝し奉る」がそうではなく、次の句「神なる主、天の王、全能の父なる神よ」までが一区切りの終わりであることを明らかにしました。第2バチカン公会議で刷新された『ローマ・ミサ典礼書』では、このユングマンの研究成果を取り入れて、ラテン語の原文ではDomine Deus , Rex caelestis,Deus Pater omnipotens. と冒頭の天使と天の大群の歌の次のピリオドをここにつけています。ですから、栄光の賛歌に作曲をする場合には、ここを一区切りとする必要があります。ただし、第2バチカン公会議以前に発行されたミサ典礼書にのっとって作曲された曲については既得権があり、歌詞の変更に伴って曲を変更することができない場合にはそのまま曲に従って歌うことが許されていますから問題はありません。

現在、栄光の賛歌はそれ自体が独立した儀式(歌)とされており、待降節と四旬節以外の主日とすべての祝祭日、および盛大な儀式のときに歌うことができます。もともとは会衆の歌であったものですから、ミサに参加する会衆一同が容易に歌えることが望まれます。新たに作曲する場合には、歌うにしても伴奏するにしても、難しいものにならないようにする必要がありますが、かといって、ミサの賛歌としての品位を欠くものでもあってはなりません。

もう一つ触れておきたいことは、先にも上げたように、栄光の賛歌が歌われる主日(日曜日は)52(1年の主日の数)-4(待降節の主日)-6(四旬節の主日)=42であり、そこに、主日以外で歌われる、平日以外で多くの人が参加する主な祭儀、主の降誕の夜半のミサと日中のミサ、神の母聖マリア(1月1日)、主の晩さんの夕べのミサ、復活の聖なる徹夜祭(1年で最も重要な祭儀)、聖母の被昇天の6回を加えても、48回にしかなりません。1年365日のうちの48回ですから、いかに少ないかがわかると思います。

栄光の賛歌は冒頭の天使と天の大群の神への賛美のことばからなっていますが、賛美とは詩編もそうであるように、歌うことが賛美そのものです。栄光の賛歌は1年のうちで歌う回数が少ないものですが、父である神と主キリスト、そして聖霊の交わりの中でわたしたちが神への賛美を声高らかに、天使と天の大群とともに全世界に響かせる賛美の歌であることを忘れずに、歌いたいものです。

(典礼音楽研究家)

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