「father カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語」対談 5


戦争の消えない傷

伊藤 直接クメール・ルージュはご存じないにしても、その直後ぐらいからカンボジアの激動みたいなものは見ていらしたんですね。

後藤 そうです。一人ひとりはほとんどしゃべらないんですけれども、例えば、私の子どもだった子は、ベトナム兵をナイフで殺しているとか、同じ村の中で、あの人がポル・ポトについた、自分の親はあの人たちに殺されたというのがあります。でも、今はみんな黙ってしまって、心の中に持っていてもお互いに話しません。やはりトラウマとして残っています。あれはどうやって解決していくんでしょうか。この方たちもいつか亡くなっていくでしょうから、そこまでいかないと消えないのかなという不安はあります。彼ら一人ひとりの中にある心の傷というのは、私が戦災にあって、すごい傷を受けて、それは今でも残っています、死ぬまで消えないと思っています、そのトラウマと同じようなものを彼らもみな持ち合わせています。ただ、平和に暮らすためにそれを表に出さないというだけです。

伊藤 ラーさんと神父様とのやりとりで、誰が考えてもラーさんの両親は殺されていると思うのを……。

後藤 それは失礼だと、生きているかも知れないのにというのは、彼の実感なんですね。

伊藤 人を3人殺したという話もありましたね。

後藤 鬱になってしまって、自殺寸前までいったんです。それで放っておいたら自殺するというので、精神病院に入れたんです。精神病院なら監視がついています。自殺させないために半年まではいきませんでしたが、入れました。

伊藤 戦争というのは、殺す殺されるという単純なものではない、深いものがありますね。

後藤 これは死ぬまで持ち続けなければならないんでしょうね。

伊藤 それを学校づくりということで、癒やしとおっしゃっていましたけれども……。

後藤 それしか方法がありませんでした。いくら言葉で慰めても、効き目ないでしょうね。

伊藤 ある意味学校をつくるということで、確実に癒やしはできるということでしょうか。

後藤 そんなことで、少しお手伝いできたかなと思っています。それは同時に私の癒やしなんですね。

伊藤 映画の最後に、自分の幸せを求めていると、他人を不幸にしてしまう。でも他人の幸せを求めていると、自分が幸せになっているとおっしゃっていますね。

後藤 それは実感ですね。

伊藤 司祭職の前にキリスト者、あるいはキリスト者ではなくても、人間というのは、そういう生き方をすることで、全員が幸せになれるということなんでしょうか。

後藤 そうですね。ですから、私の中では理屈はないです。戦争絶対反対なんです。戦争によって物事は何一つ解決しないどころか、戦争によって傷を負った人は、その傷を死ぬまで持ち続けますし、それで死んでいった人たちは無念だったと思います。だから戦争による解決というのは、私は信じません。

伊藤 理屈なしに絶対反対。

後藤 反対。何が何だって反対です。

伊藤 何が何でもですね。イエスさまもそういう生き方をなさっていますね。

後藤 よく、本当のキリスト教かと言われるんです。どうも阿弥陀の匂いがすると言われます。お前のキリスト教は阿弥陀のキリスト教ではないかと言われるんです。僕は小学校6年生まで、毎晩お経の練習をさせられて、阿弥陀様の前でお経を上げて、私の中には骨の髄までしみ込んでいて、そのしみ込んだ阿弥陀様の信仰を突き抜けてキリスト教に出会った。だから僕は仏教を否定してキリスト教になったのではなく、それを受け入れて、その向こうでキリスト教に出会ったと言っています。

父に対しても同じ。最後には死ななければならない。公会議の前でしたから、あの頃は洗礼を受けなければ救われないと私もそう教えていました。父が死んだ時は、公会議の前だったんです。その時はもう神父をやっていました。そうなると、父になんとか洗礼を授けなければならないということで、いよいよ危なくなってきたという時に、「坊主何年やった」「60年やった」「何をやっているんだ。新聞配達や牛乳配達をやっているのと同じだ。お経配達して、お布施もらって生活をしてきた」。

父は、法然、親鸞、蓮如のお三方が大好きでした。私も今好きなんですよ。そこで、「法然、親鸞、蓮如は極楽にはいらっしゃらないよ」。父はびっくりしてしまって、「どこにいるんだ」と言います。「当たり前だ。あんな立派な方は極楽を突き抜けて天国だ。お父さん、あなたは無理です。あなたは極楽止まりです」と言いました。すると、「俺はどうしたらいいんだ」と。ひどいですね。それは偽りの計画ですが、「あなた、そのままじゃダメです。洗礼を受けなさい」と言いました。だまして洗礼を受けさせたようなものですが、神様は許してくださるでしょうね。そういうわけで親不孝は一つ償ったつもりです。

母の方は全身焼けただれて、川に横たわっていたわけですから、この母はどうなるのかいつも心配でした。この母を天国に行ったときには探さなければならないと、キリスト教的なことを言っています。やはりすごく気になります。

伊藤 意図して仏教、真宗とキリスト教を融合したということではないんですね。

後藤 細胞にしみ込んでいて、何にも矛盾がありません。坊主が妻帯するとか、大いに結構ではないですか。その上で私がいるんですから。

伊藤 本日はいろいろとお話を伺わせていただき、どうもありがとうございました。

4月21日(土)より東京・吉祥寺COCOMARU THEATERにて絶賛上映中

公式ホームページ:http://father.espace-sarou.com/

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