『モリのいる場所』


「生きるよろこび」とはなにか

昭和49年。結婚52年目の画家とその妻の、夏の1日――これがこの映画の99分である。

熊谷守一という実在した人物を映画にする。映画にするからには、ドキュメンタリー映画でも劇映画でも、監督の人為的な創作が加わる。だから熊谷守一も監督の沖田修一という人間の眼で追うことになる。もちろん、演技者の守一役―山崎努、妻の秀子役―樹木希林の芝居にも付き合うわけである。この映画には、そうした魅力も含まれている。

築40年以上という家と木々に覆われた庭がモリカズの生活のすべてである。庭へ出て虫と戯れ、池の傍に座って魚を眺める。庭にはいくつか特定の座る場所が設けられている。蟻をじっと見つめ、その足の動きを凝視する。その真剣な眼差しは、まるで無邪気な幼子のようである。

モリカズは言う「草や虫や土や水がめの中のメダカやいろいろな物を見ながら回ると、毎日回ったって毎日様子は違いますから、そのたびに面白くて…」

モリカズの画風は、「モリカズ様式」と呼ばれ、明るい色彩と単純化された形を特徴としているが、この画風は戦後確立されていった。清貧の暮らしなかで、モリカズは絵を描き続けた。それをじっと支えたのが秀子だった。
夜、秀子はモリカズと碁を打ちながら「うちの子たちは早く死んじゃって」と呟く。これは希林のアドリブだと言う。5人の子どものうち、3人を赤貧で亡くしているから、単に、のほほんと人生を送ってきた夫婦ではないという背景を出したかったのだそうだ。

モリカズはいつも夜にアトリエ(画室)で絵を描く。碁を打ったあとで「…ほーら」って秀子が言うと、モリは「みんな、学校がなくていいな」とアトリエに入る。モリカズがアトリエに行くのは、学校に行くことなのだ。そのあと、秀子が肩をすぼめてフフフと笑う。このシーンがなんとも微笑ましい。

仙人のように生きるモリカズは、淡々として人生を達観していたのだろか。
「『いま何をしたいか、何が望みか』とよく聞かれますが、別に望みというようなものはありません。だがしいていえば、『いのち』で

豊島区立熊谷守一美術館

しょうか。もっと生きたいことは生きたい。みなさんにさよならするのはまだまだ、ごめん蒙りたい、と思っています」
自分が生きたい道を究める人間は、あくまで生きることに生々しい執着を持っている。モリカズは97歳まで、虚飾のない人生を全うした。

映画のなかでは喜劇タッチの場面もあり、超絶の人を親しみやすい身近な存在にしてみせる。沖田監督は劇映画としての熊谷守一を、沖田流の作法で観客を飽きさせることなく、エンディングまで引っ張っていく。そこに、「熊谷守一」が厳然として存在した。山崎努の抑えた演技も光る。劇映画として、守一と秀子という実在の人物を忘れがたいものにしてくれている。

「誰が相手にしてくれなくとも、石ころ1つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も暮らせますから。」と

いうモリカズの言葉が忘れられなくて、この映画を観たあとで、初夏の陽気のある日、ぼくは熊谷守一に会いたくなって豊島区にある「熊谷守一美術館」に行った。ここには確かにモリカズが居て、「生きるよろこび」についてぼくに問いかけていたのだった。

(鵜飼清、評論家)

©2017「モリのいる場所」製作委員会

5月19日(土)シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国ロードショー

監督 /脚本:沖田修一
出演:山﨑努、樹木希林
加瀬亮 吉村界人 光石研 青木崇高 吹越満 池谷のぶえ きたろう 林与一 三上博史
2018年/日本/99分/ビスタサイズ/5.1ch/カラー

配給:日活
製作:日活 バンダイビジュアル イオンエンターテイメント ベンチャーバンク 朝日新聞社 ダブ

公式ホームページ:mori-movie.com
twitter @mori_movie
facebook @morimovie2017


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