宗教改革500周年を迎えた2017年。教会が対立から対話への大きな足跡を残しつつある中、日本でもそれを象徴するイベントが数多く開催された。中でも「えきゅぷろ!」は次代の諸教派を担う青年たちが活躍したことで大いに注目された。当日の様子はすでにキリスト教各メディアで詳しく報道されている。
前回に引き続き、実行委員会カトリック代表の黒須優理菜(くろす・ゆりな)さんにイベントの今後の展望についての話を聞く。これからのエキュメニカル運動、教会一致運動の姿と困難、やりがいについて考えたい。
※前回の内容はこちらです。
来年度からの話が出てきました。
展望のようなものはありますか?
次回以降の方針はまだこれからです。実行委員会の代表も、2017年はカトリックでしたが毎年各教派で回していきたいですね。代表が決まれば方針も決めていくことになります。開催日も遅くとも2月にはお知らせできると思います。
また、2017年はカトリックの教会が会場でしたが、他教派の教会にも行ってみたいですね。諸教派のたくさんの青年に集まってほしいので、どこででもというわけにはいきませんが……それに教会のスケジュールもありますよね。次回のことはこれからですね。
礼拝のスタイルも毎回変わるかもしれないし。一回目だったからこそ成功したのだとも思うし、二回目以降もうまくいくかはわからない。
次がまだ二回目ですからこれからの話になりますけれど、今できているのは東京だけですが、場合によって全国展開するのかな、とか、そんな話もちょっとは出ています。今の段階では無理なんですが、地方開催や、あるいは参加者が増えていけば支部を作るとか、各地でいろんなイベントができるようになるかもしれません。
野心的な展望ですね。
各地の青年たちにとって参考例になれるといいですね。
はい。ですから、その礎になるためにも私たちは続けていかなればなりません。私たちが全国規模のイベントを計画するというよりは、このようなイベントが東京だけでなく各地でも開催されたらいいと思います。
「えきゅぷろ!」のような大きなイベントは年一回ですが、月一回でも、たとえばみんなで他教派の礼拝に出席してみるということもしてみたいですね。お互いに呼びかけて。
超教派の青年会が出来たら、多くの教会からお呼ばれされそうです。
招いてもらえるなら行きやすいですしね。
カトリックがエキュメニカルな活動に入ってくること自体がルーテル教会や日本基督教団の人たちには新鮮だったみたいです。「まさかカトリックがオッケーしてくれるとは」みたいな。本当にそういう反応があったんです。全体の顔合わせのときに、向こうの青年たちとしてはカトリックに負担を押し付けちゃったんじゃないか、カトリックは拒絶するんじゃないかと、すごく心配していたようです。しかしカトリックの青年が乗り気だと知って、堂々と前に進んでいける仲間になったと思います。
次回以降、イベントをよくするためにもトークセッションのテーマは大事だと思います。
やりたいことはありますか?
今回(2017年)も、トークセッションのテーマを決めるのはとても大変だったんです。
幅が広すぎたり、逆にあんまりセンシティブな話題には踏み込めなさそうとか。
先生方や神父様に、キリスト者の恋愛観や結婚観についてのテーマを提出したときに、「これって私たちに聞くことなの?」って言われたりして。必ずしも聖職者や教職者だから語るものということでもなかったんです。
宗教改革やエキュメニズムや日本社会とキリスト者などは大きなテーマですけど、若者向けのテーマをどう話し合っていくかっていうのは意外と難しくて。結局、当日語ってもらった内容は、牧師や司祭の人たちの召命とか、どうしてその道に進んだのかとか、なぜその教派だったのかとか、そういう話になりましたね。
しかし、そもそもイベントというのは毎年同じプログラムを繰り返していては意味がありません。トークセッション、パンの分かち合い、合同礼拝は欠かしたくはないとは思いますが、しかしどう変化させていくか、どう飽きずにみんなでやっていくかは考えていかないといけないと思います。
お互いが学びあうことをしないと意味がないから、トークセッションも二回目三回目となれば少しずつ踏み込んで、お互いがちょっと「うっ」てなる部分やちょっと嫌だなと思うこともあるかもしれないけど、ちょっとずつ踏み込んでいきたいなとは思います。
今回の「えきゅぷろ!」を通して、黒須さん自身の中で起きた変化のようなものはありましたか?
実は、私自身もこの一年でやっと他教派の皆さんと接することへの恐れがなくなったんです。怖かったんです。私はカトリックしか知りませんでしたが、神学部に入る前は信仰の形っていろいろあってもいいじゃんと素朴に思っていました。しかしカトリックのことを勉強し始めてからいつの間にか譲れないものがしっかり出来ていて。
私は秘跡をすごく大事にしたい。ゆるしの秘跡や病者の塗油がないと辛い。実際にそれで私は救われたなと感じているので、それを否定されると思うと怖かった。そして別の教派の人たちの前で自分が排他的な人間になってしまうんじゃないかというのがもっと怖くて。場合によっては、他の教派の青年たちと接するときにちょっとした発言で相手を傷つけてしまうんじゃないかとか。
自分が傷つく分にはまだいいんですけど、相手に嫌な思いをさせるんじゃないかっていうのは一番怖かった。実は、すごくビクビクしながらヤンフェスも出てたんです(笑)。「えきゅぷろ!」のミーティングのときだってお互いの考え方が読めないから、まさに手探りでした。聖餐の考え方について話し合っていたときもすごく辛くて。他教派のみんなが割りとあっけらかんとしていてくれたからどうにかなりましたけど……。
そんな思いが、やっと「えきゅぷろ!」を通して乗り越えられたかな。今は他教派の青年たちのことも大好きだし、彼らの信仰の熱さというか、熱量というものを感じるし、向こうも私たちの活動をすごく評価してくれるし。お互いが尊重し合うことで、「それは違うよね」というような言い方をしなかったから、怖くなくなったかなと思います。
20世紀のエキュメニズムの議論を実体験として経験したイベントになったのかもしれませんね。
視界が広くなりました。私の狭まっていたカトリック観が、広がっていったような。深まりながら広がりました。
「教会の外に救いなし」って言葉がありますよね(注)。でも、第二バチカン公会議(『教会憲章』16項)も言っていますが、自分の落ち度なく教会を知らない人は、この言葉にはあてはまりません。「カトリック」という言葉を知っていても中身を知らない人はこの言葉には当てはまらないというのが、今回私が見出した意味です。
キリスト教の諸教派に限らず様々な諸宗教も存在しますけど、中身を知らなかったら選びようがないじゃないですか。まず私たちはお互いが何を大事にしているかを知るべきだし、その中で、やっぱり同じ福音に生きているんだと感じられるなら、やり方が異なっていても、同じ生き方をしてるんだと。そう分かれば、向こう側には救いはないんだなんて思う必要もないんです。わたしがカトリックの教義を譲ってしまったら私が救いにあずかれないかもしれない、その逆に私がカトリックの教義にこだわることで他教派の人たちが救いにあずかれなくなるかもしれない、そんな発想にこだわる必要はないんだと、そんな恐れもなくなるんだなと。そんなことを考えました。
諸教派に分かれた地上の教会の痛みを肌で感じたわけですね。
他教派の青年たちにもそういう変化はあったのでしょうか。
実際のところはあまりわからないですけど……。新しいところに踏み込んでいくって、怖いじゃないですか。これから新しい教派を招き入れるようになったら、同じような痛みを毎回経験するんだろうと思うんですけど、最初に比べれば緩和されていくのかな。
遠い将来、教会が本当に一致していくことになったり統合されることになったら、きっとみんなとまどうだろうし、自分がなくされるか相手をなくすかのどっちかになるのかもしれませんよね。でも教派を超えた繋がりで協働を続けていれば、そういう恐れ自体や垣根をなくしていくことに結果的にはなるんじゃないかと思うんです。
私はこの一年そういう感じで本当に距離感を計りながらやってきた感じです。
その後のかかわりの中で、「優理菜もルーテルになっちゃえば」って言われたりして(笑)。あ、そういう軽い気持ちで教会に行ってもいいんだって思ったりもしました。そのくらい気軽にお互いの教会に足を運べる仲になれたんだなって。
熱い想いを聞かせていただきました。
スタッフ同士でも話していますが、今回の「えきゅぷろ!」は歴史的な一歩だと思っています。キリスト教が一致していく動きがどんどん大きくなって、何十年後、何百年後かの教科書や神学書に、日本でこんな「えきゅぷろ!」のような動きがあったのだと、本当に端っこにでも書いてもらえたら嬉しい。青年たちがこうして教派を超えて活動するのは日本ではもしかしたら初めてでしょうし、自分たちが歴史を動かしているんだって感覚でやっていけることってすごくありがたい。これからもそういうやりがいを持って進んでいけたらいいなと思っています。
(了)
聞き手(文責):石原良明(webマガジンAMOR編集部)