津和野乙女峠の高木仙右衛門と守山甚三郎


日本のキリシタンの歴史の中でもっとも大規模な迫害があったのは、実は明治になってからのことであった。明治政府は維新後もキリシタンの禁教令を解かず、名乗りを上げたキリシタンたちを捕縛し、拷問を加えて迫害した。

なかでも「浦上四番崩れ」で捕縛され、西日本の各藩に流罪となって「浦上の旅人たち」は3400人といわれています。

名乗りを上げたキリシタンたちの中のリーダーであった高木仙右衛門と守山甚三郎とは津和野藩におくられ、ここではもっとも厳しい迫害がおこなわれた。

このあたりの話はあちこちのホームページに書かれているので、そちらを読んでほしい。

私は今ここで「乙女峠 命をかけて ―津和野殉教物語」(水口登美子著「心のともしび運動YBU本部」発行)の薄いパンフレットの高木仙右衛門と守山甚三郎についてのエピソードを紹介しよう。そこにそれまでのキリシタンたちとは少し異なった近代的なクリスチャンの姿が現れていると思う。

 

仙右衛門らが三尺牢に閉じ込められている間たびたび甚三郎は役人に呼び出され説得されました。役人たちは甚三郎を呼び出すと必ず東のほうを一心に拝み「改心して太陽を拝め」と命令しました。しかしかれはきっぱりと「拝みません」と答えます。役員は怒り「私たちが無事に過ごせるのは太陽のおかげだ。おまえたちは目に見えない神を一生懸命に拝んでいる。しかし、そんなくだらないものは一日も早く捨て改心するように」とくる日もくる日も説得しました。

ある日甚三郎は役人にむかって「それではそのわけを説明しましょう」と言って次の話をしました。「ある日お役人様が何かの用事で外出されたとしましょう。用を済ませて家への道を急ぐうちとっぷり日も暮れ、いなかのことなので道も悪く一寸先も見えません。途方にくれていた時、ある人が提灯に火をつけて『どうぞこれを使ってください』と親切に貸してくださったのです。そのお役人は提灯のおかげで無事家に帰ることができました。

お役人様、私に太陽を拝めとおっしゃるなら助けてくれた提灯を高いところにあげ、平伏して『お提灯さま、おろうそくさま、ありがとうございました。あなたのおかげで命が助かりました』と言い、提灯を貸してくださった方はどこにいるのかわからずお礼を言う必要はないとおっしゃるのでしょう。けれど、わたしなら、そんな提灯にお礼などを言わず、提灯を貸してくださった方にありがとうございました、とお礼を言いにまいります。私たちは太陽のありがたさを知っていますが。その太陽を作った神に拝み感謝しているのです」と彼は答えました。役人はあまりに道理にかなった話に何も言うことができず、怒りながら牢にほおりこんでしまいました。

甚三郎らを三尺牢にいれた役人たちは改心者に「タバコ一服でも与えたら三〇日間の門締め」と強く言い渡しました。みなは怖れ誰も牢に近づきません。その日夕方すでに改心し、城下の方へ働きに帰ってきた改心者は、甚三郎をみてみなが食物などを与えないのを知るや「同じ国から同じキリスト教を信じこの地にきたのです。今は改心していても、必ずあの人々の助け、祈りによって神にゆるしてもらおうと思っているのに、早くたべさせるように」と言って、それ以後食物を未改心者たちに差し入れたのでした。

事実改心者たちは謙遜に「私たちは弱く、キリスト教をやめて本当に悪かったのです、神にゆるしてくださるように祈ってください」と彼らに願い、どんなに軽蔑され断られても、食物を運んだのでした。未改心者が夜やってくると喜んで彼らを迎え、食物を与え、空腹を満たし、また米や野菜を牢にいる人のためにと与えたのでした。改心者の人々の謙遜であたたかい心がなければ、未改心者たちは上地にしてしまい決して長い長い牢の生活に耐えることはできなかったでしょう。

改心者たちが長崎へ帰ってから1年あと(1873年)未改心者たちが長崎へ帰ることになったとき、盛岡ら三人の役人は仙右衛門、甚三郎他二名を屋敷に招いてごちそうしました。役人たちは今までの残酷で恐ろしい拷問をわびたかったのです。その咳で彼らは「武士なら立派な武士だ。おまえたちのような信念で生き抜いたのは珍しい」と言って甚三郎らの立派で固い信仰をほめたたえたのでした。

1918年の夏、甚三郎は一通の手紙を受け取りました。それは乙女峠でキリシタンの説得に当たった役人森岡の長男の健夫さんからでした。

かれは修道士となっており、その手が意味にぜひ会ってそのときのお詫びがしたい、と書かれ浦上から津和野までの旅費が添えられてありました。

こうしてかつて津和野で迫害された者と拷問を与えた子孫が手を取り合って、殉教地乙女峠へとあがっていったのでした。森岡さんは光琳寺跡の草むらに跪き、涙ながらに「私の父の罪をゆるしてください」とわびたのでした。すると甚三郎は彼の手を取って「あなたが信者になられてこんなうれしいことはありません」とともに涙を流しあい、互いに救いの信仰を生きていることを神さまに感謝したのです。

 

残念ながらこのパンフレットはもう手に入らないので、ここで紹介できることがうれしい。津和野物語にはこんな話も潜んでいたのである。

【参考】

http://guide.travel.co.jp/article/6982/

http://www.christiantoday.co.jp/articles/17227/20151008/tsuwano-otometoge-yamaoka-koji-1.htm

 

(土屋 至/SIGNIS Japan (カトリックメディア協議会) 会長、元清泉女子大学講師「宗教科教育法」担当)

 


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