モヘルのこと 4


フランシスコ・ザビエル 野田哲也

 

夜8時過ぎ帰る間際にモヘルに、「帰るよ、モヘル」と私が言うと彼はか細い声で「See you tomorrow」と言いました。私は愕然としました。どうしてお前はそこまで優しいんだ、明日なんか会えるはずがない、お前の命はもうすぐ無くなるだろう、でも私もお前に会いたい、心からそう望まずにはいられなかった。マザーは言います。「貧しい人の中に神様はいる」と私は初めてこの意味がはっきりと分かりました。私は彼のうちにいる神様に触れていたのでした。そうとしか思えなかったほど強い愛が私を満たしていました。

次の日の朝、私がプレムダンに行くと何人かの患者が私の所に来てこう言いました。「ブラザー、あなたの友達は天国に行ったよ」 私はすぐに霊安室に眠る彼に会いに行きました。すでに白い布に包まれている彼の前に砕けるように座り、手を合わせると涙がどうしようもないほど出てきました。「ありがとうモヘル、本当にありがとう」 そう祈るだけでした。仕事に戻ると、シスターからも同じように、「あなたの友達は天国に行きましたよ。彼に会った?」と言われました。涙ぐんでいる私はうなずくことが精一杯でした。私は彼への感謝の思いに包まれると同時に全身の力が抜けるような無力感にも包まれました。結局私は何なんだ、無価値であり、無意味、いくら頑張っても愛する者の死は訪れ、私は泣くだけであると…。

しかし午後になり彼の母や兄弟たちが彼の遺体を引き取りに来た時でした。彼の母が運ばれていく遺体を遠くで見ていた私の所にわざわざ来て、「Thank you very much brother」と言ったのでした。私は涙ぐみながら微笑んでうなずくことしかできませんでしたが、その時私の胸の中にあるものが、すーっと晴れたような思いに包まれました。ほんの数日間の彼との出会い、母親とはほんの数時間だったがそこにかけがえのない愛の関係があったことを母親は感じてくれていたのだと私は感じられたのでした。深い哀しみは死の一点を超えて生まれる新たな愛によって溶けていくようでした。お前は無意味ではない、お前はそのままのお前で良いんだよ、そう誰かが私を励まし、まだここで仕事が出来る勇気を与えられたようでした。

私のボランティア意識は彼に出会えて深められました。「与えるのではなく与えられている」のだという事を全身全霊で実体験したのでした。私は哀しくても幸せでした。私は彼から愛のうちに最後の瞬間まで生き抜く人間の素晴らしさを学んだのでした。今なら言えるかもしれない、私の信仰の灯は彼の中の神様が私のそれに油をそっと注いでくれたのだと。

(了)

(カトリック調布教会報「SHALOM」2015年7月号より転載)

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