モヘルのこと 2


フランシスコ・ザビエル 野田哲也

 

その日もゲストハウスに着く頃には疲れ切り、一歩も歩けそうにないくらいでした。しかし彼にまた明日会えるのかどうか、分からない事が本当に辛く、どうしようもないほどの虚しさにも包まれました。私には彼のために祈ることでしか私の生気を取り戻すと言うか、自分を見つけだせないくらいでした。

そんな私の救いは夕方の礼拝でした。静けさの中に身を置き、今日してきたこと、明日しなくては行けないことをゆっくりと内省するように考えるのでした。私は私に語り続けた。「笑顔でいなさい、明るくいなさい、愛をかたときも忘れずに自分を持ち続けなさい」と。私が私であるために祈るのでした。祈り方が分からなくても祈りなさいというマザーの言葉のままに私はありました。祈りがなければ生きられないと思うほど、祈りが必要不可欠でした。明日もこの体がしっかり動くようにと、モヘルに会えるようにと。

その次の日はちょうど私の誕生日でした。朝からいろいろな人たちの祝福を受けました。もちろんマザーからもでした。この祝福が私の心と身体を軽くし、幸せな気持ちにしてくれたのを覚えています。この日はモヘルに私の名前を教えました。彼は Tetsu と言う事が出来ず、私を「てちゅ」と呼ぶようになりました。彼は英語も少し話すことが出来たので、私たちは本当に仲が良くなりました。治療が終わり、彼を室内に戻そうとすると彼は「5 minutes in the sun」と何度も言うので太陽の下でしばらく彼と話しました。彼はたぶん暗い部屋の中に何日もいたのでしょう。陽ざしを嬉しそうに浴びていました。

彼はその病状に関わらず、ユーモアがあり、愛らしく、きれい好きの男でした。彼はマフラーを頭にきれいに巻き、シスターからもらったメダイを首に飾っていました。彼はイスラム教徒なのにそのメダイにキスをし、「私のお母さん」と言ってとても嬉しそうに微笑んだりもしました。身体が至る所が腐り死をまじかにしている彼をここまで幸せにするのは何か、それはまさしく信じる心に違いないと確信しました。そこに私は神を感じたような気がしました。宗教とは無縁に育ってきた私がそう感じたのでした。その日の礼拝も明日も彼に会えますように、私のこの体をどうか動かしてくださいと祈るだけでした。

(カトリック調布教会報「SHALOM」2015年6月号より転載)

 

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