石井祥裕(AMOR編集部)
AMORの友の一人から、「こんなクリスマス企画がありますよ」と紹介されたのが、「0422市民クリスマス」。東京・武蔵野地区のキリスト教諸教会・諸団体の合同の企画です。一般公開されているので、この名称で検索してご覧いただきたいものです。ここではサイト上の情報を踏まえつつ一感想を記させていただきます。
「0422」とは、武蔵野地域の電話番号局番で、武蔵野地域を象徴する数字です。1963年に井の頭公園野外音楽堂でYMCAとYWCAと近隣の3教会が共にクリスマス礼拝をしたのが始まりだそうです。1970年代には、さらに教派を超えて共に礼拝しようとの呼びかけがなされ、これに応じた13教会が参加するようになり、その名も「市民クリスマス合同礼拝」として、地域の人々をも招いて実施する行事へと成長していったのだそうです。
現在では、日本基督教団の諸教会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、カンバーランド長老キリスト教会、日本聖公会(杉並聖マーガレット教会)、カトリック吉祥寺教会、単立国際基督教大学教会、そして東京YMCA西東京コミュニティーセンター、東京YWCA武蔵野センターといった諸教会、諸団体が参加。教派の違いを超えて共に平和を希求する協力行事となっています。一つの教会での合同礼拝をするということが眼目として続けられてきたこの実践ですが、昨年2020年と2021年は、コロナ禍により、オンライン開催となり、各教会で制作した動画を12月1日からアドベントカレンダーのように順次公開し、最後に合同礼拝を配信するという企画になっています(スケジュールなどは、サイト参照)。
この企画を今回、知り、そして12月1日から始まった、各教会の動画シリーズを見て、まず、企画のすばらしさに感動しています。主の降誕の祝いへの待望と準備のかたちとして生まれた「アドベントカレンダー」を各教会の動画で展開していくというこのアイデア。動画の内容は、基本的に、各教会の活動・生活のコンパクトに紹介していくものですが、もし、これを各教会独自のホームページでしか視聴できないものなれば、前もって、その教会に関係するか、特別な関心をもたなければたどりつけないものとなるでしょう。
それに対して、この企画は、ある地域でのなにかユニークなクリスマス行事はないかなと探っていくと出会えるものにはなっています(もちろん口コミが大きいとはいえ)。そして、あらためて気づかされるのは、東京の武蔵野地域は、上述のような諸教派、および国際基督教大学(ICU)、ルーテル学院大学など重要な研究教育機関も含めて位置する注目すべきローカリティをもっているということです。東京における伝道と宣教、教会成長の歴史にも、興味を開かれる入口がここにはあります。そして、ここでなければ生まれていないのだろうという、教派を超えた協力の営みが、もう半世紀も積み重ねなられていたのだという事実にも驚くのです。その歩みと活動の中身に、部外者である人間が気づくことができ、そして公開内容を視聴できているのが、ここ2年間のオンライン開催のゆえであるならば、これこそ「禍転じて福となす」ではないかと思えてなりません。
ある教会動画は、「いきなり到着!」と教会堂の外観映像から始まります。思わずにっこりしてしまいました。こうした教会案内という趣旨は、一つの定番で姿だ、このような諸教会の順次紹介という連なりでみると、その意味合いがまったく違ってみえてきます。単独の教会のサイトですと、やはりその教派の信仰、その教会への招きになるのは当然ですが、この企画の中ではそうではありません。カレンダーの最終的ゴールであるクリスマス自体、主の降誕というところに向けての率直かつ謙虚な自己紹介になっているのです。自分たちのところに引き寄せるための動画というよりも、自分たちも含めてみんなを主の降誕の神秘へと連れていく……、より大きな流れの中に、自分たちも身を浸している、そのような様相が浮かび上がってくるのです。それゆえに、各動画に映るさまざまな教会の姿が親身をもって迫ってきます。全体として、楽しく視聴できる大きなポイントです。
スマホで簡便に撮影もでき、またアップして配信し、共有できるためのツールが普及し、教会のことも動画で紹介しようという試みに今、関心が高まっています。ある意図(ストーリー)をもって、教会生活や活動をプレゼンテーションしようとするとき、内容構成や見せ方をどうしたらよいかといったことへの問いかけも膨らんでいます。
その意味で、この「0422市民クリスマス」の各教会動画の喜ばしさがどこにあるのかというと、まず教会の現実を客観的に見ることができるようになることです。地域の中に、街の中に、ある個性ある建築物として教会堂や信徒会館が存在している、そんな現実を目にするとき、神社やお寺とまったく違う「キリスト教」の日本社会における存在位置に否応なしに目が行きます。教会にかかわっている内側の人間は、しばしば、周りのこと、地域のことが目に入らなくなってしまいます。そのようなときに、街中にある教会堂の姿を映像として見るとき、いったいここは何をしているのかと、もう一度、外からの視点になって見る目が開かれかけていきます。
そして、人。多くの動画は、礼拝の様子、ミーティングの様子などを通じて、集う人々の存在に、あらためて興味をもたせてくれるようになります。礼拝に関する物の配置は教派を示すしるしですので、もちろんある程度は目が行きますが、それ以上に、人としての人の姿がやはり際立ってきます。教会は人、人の集いにほかならないという単純な真実にあらためて出会います。それは、いずれしても、日本の社会の反映でもあります。年齢層も性別も国籍も……高齢者が多いという印象が強い動画もあれば、若者がたくさんいるなぁ!と驚かされる動画もあります。
礼拝堂でも会館の一室でも、そこに置かれている個々の物、本、パンフレット、座席や机の配置、絵画、生け花、オルガン、ギター、茶菓、さまざまな案内掲示……何気ない、日常の生活や活動の要素に、その場の特性とかかわる人々の意識、営みと努力が映っているのを感じます。こんなふうに視聴してみるとき、翻って、自分たちの教会、あるいは自分の家庭のすべてのもの、そして、教会にかかわる人々、街を行き交う人々の存在が新たな光に照らされて、新たな枠組みの中で感じとれるようになっていくような気がしてきます。認識の新たな可能性が、まぎれもなく、ここにあります。
武蔵野地域の諸教会のこのような営みが一般公開され、広く見られるものとなったこと、ここに、コロナ禍がもたらしてくれた、意外な恵みを感じつつ、視聴を続けています。一ヴューアーの立場でいうのも変ですが、この企画の主催者・参加者の教会・団体のみなさんの努力に敬意を評したいと思います。よいものに出会わせてくれた、このアドベントに感謝!