俺たちの旅


あき(カトリック横浜教区信徒)

皆さんもいろいろな旅の思い出があることでしょう。そしてそれぞれの旅が心の糧になっていることは間違えないと思います。私もいろいろな旅をしてきたのですが、今日ご紹介するのは40年以上前の旅です。

 

旅のはじまり

私は何度か転職して今の会社に勤めていますが、最初に勤めたのがある電気メーカー。そこで技術職に携わっていました。ある時私のところに会社から1通の通知(当然メールなんてありません)。なんとグアム・サイパン船旅の参加依頼でした。

「どゆこと?」

聞けば、当時若手の数人に白羽の矢が立ち、他社のメンバーと一緒にチームワーク、リーダーシップを目的とした研修に、人前に出ることが苦手な私を推薦してくれた人がいたらしいのです。
海外旅行なんて経験が浅く、まして船旅なんて。「グアム・サイパンに行くなんて。英語もできないし」と毎度の尻込みしている間に出発の当日になってしまいました。

確か浜松町の竹芝桟橋だったでしょうか。
妻と幼いわが子に見送られながら、船上の人になったのを覚えています。
同じ会社の人とは、この船出以降会うこともありませんでした。船室は他社の人との4人部屋。身の回りの小さな手荷物一つで乗り込みました。

 

グループ分け

割り当てられた船室に着くとまずはあいさつ。互いの会社を名乗って自己紹介から始まりました。
集会室に集まり、主催の方が旅の説明をしてくれます。まずはグループ分けとのこと。
必要な担当(リーダー・副リーダー・書記・発表者など)とグループの人数を説明すると、皆でどのようにグループ分けをするか、その方法から話し合いが始まりました。
結局くじ引きでグループが決まりました。

次にグループ内の各担当を決める話し合いが始まります。
全員が何かしらの担当になるようにとのこと。私たちのグループは、なぜか立候補制になってしまいました。
で、あろうことか気の迷いか、なんと私はリーダーに立候補してしまったのです。
研修という思いが強かったのかもしれません。
当然他にリーダーに立候補する人などはおらず、副リーダーの女性とグループを仕切ることになってしまいました。

 

リーダーになれるか

船旅は往復2週間程度だったでしょうか。
その間リーダーを仰せつかることになりました。
毎日の研修のテーマは別として、見ず知らずのメンバーと話し合って研修を進めていくことの苦しさと難しさを味わうこととなりました。

自己紹介から始まったグループ討議。
リーダーに立候補はしましたが、どのように場をまとめたらよいか。
全く分かりません。
だらしないリーダーでした。

夕方話し合いが終わり夕食。
その後、解放された気分の中、皆で胸襟を開いて酒を呑み話し合うことだけが楽しみでした。
むしろこの時間こそグループがまとまる良い時間であったかもしれません。
この船には酒が大量に積まれていました。
主催者もきっとこうなることを分かっていたのでしょう。

夜、船のデッキにあがると、周囲は全くの暗闇。漁火も見えません。
満点 に光る星が輝く前方の空に南十字星を見つけ、後方には白く泡立ち暗闇に消えていく航跡を見ながら明日のテーマの進め方を考えました。

 

最後のテーマ

程なくしてグアム・サイパンに寄港しました。
寄港と言っても、陸に泊まることはなく夜は船に戻ります。
行きの酒は全て艦内で飲み干し、港で帰りの酒を沢山仕込みました。

何日かして最後の研修のテーマとなりました。「みなさんは、船旅を経験されて船酔いもだいぶ経験されたでしょう。」「そこでこの船が揺れないアイデアを各グループで考えてください」とこんなテーマ。確かに船で大風呂に入ると、湯船の縁につかまっていないと体が揺れて酔ってしまいそう。
皆でアイデアを出しあい、発表者の担当が発表することになりました。
発表には順位がつけられました。
私たちのグループは最下位ではありませんでしたが中くらいに終わりました。

 

リーダーの資質

船の中にはいろいろなタイプのリーダーがいました。率先してアイデアを出して皆を引っ張る人。自分からは何も言わずに皆に任せる人。場の盛り上がりだけを意識している人。今でも私自身にリーダーの資質があるとは思っていませんが、当時引っ込み思案の私にとって大変刺激になりました。
グループの中でリーダーは何をしたらよいのか。血迷って手をあげて始まった経験が、今思うと私のどこかに残っていると思います。

私が学んだこと。
人は一人では生きていけない。
皆がそれぞれの個性を生かしていく。
その中で、それぞれが認め合いながら生きていく。
リーダーはその補佐役であること。

 

俺たちの旅

若いころの旅。
自分が形成される時期の旅。
俺たちの旅。
今思うとそんな旅でした。
船旅は終盤を終えて、出発地点の竹芝桟橋に戻ってきました。船上で外界から否が応でも隔離されて話し合い飲み明かした旅。
寄港し甲板にでると、下の方に幼子を連れて、手を振る妻の姿が見えました。
ただいま。

おわり


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

thirteen + twenty =