ところで、祖母江くんは登山の経験は?
それに「山のない平坦な地で宗教施設が建てられるときにも、山のようなものにして建てられるのです」。
スメール山が漢訳されて「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれ、中国、日本にも伝わります。
平安仏教を開いた最澄や空海もそんな山林修行者の流れにある人だったようで、最澄は比叡山を拠点に天台宗を、空海は高野山を拠点に真言宗を開いたんだよね。
・宮家準著『修験道:その歴史と修行』(講談社学術文庫 2001年)
・宮家準編『山岳修験への招待:霊山と修行体験』(新人物往来社 2011年)
・鈴木正崇著『山岳信仰:日本文化の根底を探る』(中公新書 2015年)
・鈴木正崇監修『日本の山岳信仰』(別冊宝島2373 2015年)
このへんが手頃な近著かなー。キリスト教の信仰の歴史と、日本の山岳信仰をつなげて考えてみると、面白そうな感じがしてくるね。
「アブラム(後のアブラハム)は、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」(創世記12:8)
アブラハムがイサクを献げるよう命じられるのもモリヤの地の山です(創世記22:2)。
「モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた」(同19:3)
そして、主が山に来臨するときはこのように述べられます。
「シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた」(同19:18)。
「シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず、エルサレムのために、わたしは決して黙さない」(イザヤ62:1)
イザヤが語る救いの完成のイメージは、すべての民を「わたしの聖なる山エルサレムに連れて来る」(66:20)ことなのです。
「主はシオンにいまし、大いなる方。すべての民の上にいます。御名の大いなること、畏るべきことを告白せよ。主は聖なる方」(詩編99:2~3)
「シオンにいます主をほめ歌い、諸国の民に御業を告げ知らせよ」(詩編9:12)
「どうか、御心に留めてください。……御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を、あなたのいます所であったシオンの山を」(詩編74:2)
マルコ福音書がそのレールを敷いたのかもしれず、たとえば十二使徒を選ぶとき、
「イエスが山に登って、これと思う人を呼び寄せられると、彼はそばに集まってきた」(マルコ3:13;ルカ6:12~13参照)
と書かれていますね。
それから祈るために行く所が山です。
「(イエスは)群衆と別れてから、祈るために山に行かれた」(マルコ6:46)
そして有名な変容の場所でもあります。
「六日の後、イエスは、ただ、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」(マルコ9:2)
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは、口を開き、教えられた」(マタイ5:1~2)
十二人の弟子たちが、ガリラヤに行き、「イエスが指示しておかれた山に登った。そしてイエスに会い、ひれ伏した」(マタイ28:16)。
そこで「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と告げます(18節)。
「しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム……です。」(ヘブライ12・22~24)
「見よ、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた」(黙示録14:1)
「典礼は教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉である」(『典礼憲章』10)
「感謝の祭儀(エウカリスチア)はあらゆる福音宣教の働きの源泉であり頂点であることは明らかであり」(『司祭の役務と生活に関する教令』5)
などなど。要するにミサの意味を語るときに、頂点にして源泉というイメージが告げられるのです。
(企画・構成 石井祥裕/イラスト・脚色 高原夏希)
※聖書の引用は『聖書 新共同訳』