「幸いなるサクラメントゥム」
問次郎 こんにちは。前回は、ミサというか聖体に関する典礼が「入信の秘跡」と呼ばれることについての自分の疑問から始まって、イニツィアツィオとかサクラメントゥムという語が出て来たり、話がとても宗教学的になったりと、思いがけない広がりがありました。
答五郎 そうだったね。キリスト教のことを知るということは、古今のいろいろな宗教に目を向けることになるのだよ。今、言ってくれた、イニツィアツィオとかサクラメントゥムはラテン語だけれども、同じ意味のギリシア語があって、ミュステーリアっていうんだ。
問次郎 あれっ、英語のミステリーと似ていますね。そのもとですか。
答五郎 そうなのだ。単数形でミュステーリオン、複数形がミュステーリアといってね。簡単には秘密、宗教的には、前回言ったような奥義や神秘を指す言葉で、特定の人にそれらを伝授する儀式のこともミュステーリアと言っていたのだよ。
問次郎 今だとミステリーというと、謎とか不思議なことという意味合いに思いますが……。
答五郎 謎とか不思議というよりも、外の人には秘密だけれど、その宗教に入った人には明らかにされている事柄という意味合い、そしてそれを明らかにする、つまり伝授する行為、儀式も、指しているというべきかな。
問次郎 つまり、それらの単語がキリスト教に受容されて、そのようなギリシア語やラテン語で表されている奥義伝授式のようなものだということで、キリスト教入信(イニツィアツィオ)といわれるのですね。
答五郎 そう、現代はそのような比較宗教意識がずいぶん出てきているともいえる。ただ、もう少し古代のことを見てみるよ。2世紀半ばのユスティノスという人が『第一弁明』という書物の中で、キリスト者の主日の典礼(今でいうミサ)について述べているところで、当時のミトラ教と呼ばれる宗教がこれを真似しているということに言及している。「悪霊共はこれを模倣して、ミトラの密儀でもこれを行うようにとの教えを伝えました」(『第一弁明』66・4)とね。この「密儀」と訳されているのがミュステーリアで、当時、日本語では密儀とも秘儀とも訳されるような、秘密の儀式を指すときの普通の用語だったのだよ。
問次郎 「悪霊」の業とかなりきつく言うほど、ユスティノスはずいぶん他宗教を意識していたのですね。
答五郎 彼の『弁明』とは、ギリシア、ローマの哲学や諸宗教を意識しながら、それらと比較してキリスト教の真理性を訴える書物なのだ。だから、そこには比較宗教、比較思想の発想が表れている。
問次郎 今、日本にいたら神道や仏教やいろいろな宗教や思想との比較をするかもしれませんね。
答五郎 ユスティノスはそういう用語(ミュステーリア)でヘレニズム世界の密儀宗教と対比させながら、キリスト教の洗礼や感謝の典礼については真理に基づく正しい行いだと主張するわけさ。けれど、それから少しあと、3世紀初めにテルトゥリアヌスがラテン語で書いた『洗礼について』という論文では、少し違う趣が出てくる。そこでは洗礼のことを「わたしたちの水の幸いなるサクラメントゥム」と言っているのだよ。
美沙 洗礼のことですよね。つまり洗礼の秘跡は素晴らしいものだという意味ですね。
答五郎 まあ、そういうことだけれども、テルトゥリアヌスは、当時グノーシス派にあったキリスト教の洗礼と似たような儀式を行う派を批判して、キリスト教の洗礼の効果の素晴らしさ、正しさを論証したいと思って書いたらしい。その文脈で、サクラメントゥムという単語を初めてキリスト教の典礼行為について使ったとされている。
美沙 サクラメントゥムって、何かを聖別する儀式や手段という意味の語と先週おっしゃいましたね。
答五郎 そう、具体的な事例として、ローマ軍の兵士たちの誓約式を指す場合もあったという。神々に自らの命をささげて聖別されるという意味もあったのだろう。たしかにテルトゥリアヌスには、洗礼の決意や信仰宣言の効力を重視する傾向があるから、当時そのような意味で使われるサクラメントゥムという単語を積極的に使ったのかもしれない。
美沙 いずれにしても、この時代のキリスト教の人たちが、相当に時代の哲学や諸宗教や異端を意識してキリスト教のことを弁証しようとしていたのですね。
答五郎 ラテン語圏での用語法の発展の一つだね。ちなみに、テルトゥリアヌスは、サクメントゥムという単語をバプティスマ(洗礼の儀)とエウカリスティア(感謝の典礼、聖体の典礼)に対して言っている。今でいう入信の秘跡がそもそも秘跡、サクメントゥムの最初だったわけだ。
問次郎 ユスティノスが密儀宗教やミュステーリアという語に距離を置いていたのとは違うのですね。
答五郎 いや、そこには、約半世紀の時代変化があるし、その後、ギリシア語圏でも、ミュステーリアは、キリスト教の典礼、洗礼式や感謝の典礼についてもいわれるようになっていく。そして、4世紀の後半以降、全教会でそのような用語法が普及・定着していくのだよ。ギリシア語のミュステーリオン(複数形ミュステーリア)、ラテン語のサクメントゥム(複数形サクラメンタ)が、各儀式の意味を教えるなかで個々に異なるニュアンスも示しながらひんぱんに使われるようになっていく。
問次郎 そうですか、もしかして、キリスト教が公認されて、だんだんと他の宗教が衰退するか排除される時代になったことと関係があるのではないですか。
答五郎 おそらくそれはあると思う。そうして、だんだんと周囲の諸宗教のことが忘れさられて、キリスト教帝国、キリスト教世界の時代になると、それらの用語がキリスト教の専売特許に思われるようになるんだ。
問次郎 そして、自分たちにはなかなかわかりにくい用語法になっていくのですね。そうか、日本語への訳そのものから問題だったわけだ。
答五郎 ともかく、ミュステーリオンやサクメントゥムといった語が、キリスト教の用語として熟して、普及していったのが4世紀後半から5世紀にかけてだ。そして、用語の意味の振り分けもある程度見えてくる。
問次郎 ちょっとこんがらがり気味なので、教えてください。
答五郎 一つには、キリスト教としてはより根本的な用語法なのだけれど、神自身のあり方がそもそも神秘と呼ばれることや、神の救いの計画がイエス・キリストによって実現したことを指す場合、キリストの神秘というようないわれ方になる。
問次郎 過越の神秘、降誕の神秘などといわれる場合ですね。
答五郎 そう! そして、このことを踏まえて、人をキリスト者にする儀式としての洗礼式(入信式)、そして、キリスト者としての基本的な毎日の実践としての感謝の祭儀(ミサ)まで祭儀全体や個々の儀式について意味する場合がある。この場合は典礼とか儀式と訳すしかない。さらにそうした祭儀を通して人に与えられる恵みに観点を置いて洗礼とか聖体を指して「秘跡」という場合だ。
美沙 そうなんですね。神やキリストに関するより根本的な意味、典礼とか秘跡のように教会で行われることを指す場合の大きく分けて二つの意味の流れがあったのですね。
答五郎 いい整理かもしれない。いずれにしても、ここでは、サクメントゥム(秘跡)という語の背景を知ると、それが典礼を指す場合、秘跡と典礼は、同じことを神学的に見るか、行動的に見るかとの違いといってもよい。とにかく、きょうは、サクメントゥムが典礼そのものを指す語として生まれたということを広い視野で考えておいてほしい。そうしたときに「入信の秘跡」という括り方の意味に迫っていけるから。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)