2011年3月11日に起こった東日本大震災は、間もなく九年が経とうとしている今も衝撃的な記憶として日本人の心に残っています。昨年11月に来日された教皇様も、東日本大震災の被災者との面談で、東日本大震災の三重災害について触れられていました。私たちの中に残る記憶の中でも、特に福島第一原発の事故についての衝撃は私たちに何を残し、何を課題としているのかは、私たちの心に残っています。福島第一原発内で何が起こっていたのかを描いた映画が間もなく公開されました。
東日本大震災による未曾有の被害は、地震だけでなく、その後に起こった津波によるものが大きかったのではないでしょうか。原発事故は、その津波によって起こったといっても過言ではありません。
政府は、事故後、その詳細を調査し、その一部は所長の吉田氏に聞いた「吉田調書」として私たちの目に触れるものもありますが、その調書を細部まで見た人は少ないのではないかと思います。
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という東日本大震災が起こりました。巨大地震が起こした想定外の大津波が、福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲います。浸水により全電源を喪失したイチ エフは、原子炉を冷やせない状況に陥ります。このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらすことになります。1・2号機当直長の伊崎利夫(佐藤浩市)をはじめとする現場作業員は、原発内に 残り原子炉の制御に奔走します。全体指揮を執る吉田昌郎所長(渡辺謙)は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにします。 しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまいます。
官邸は、最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅を意味していました。
残された方法はいまだ世界で実施されたことのない“ベント”ですが、それは作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業です。外部と遮断され何の情報もない中、ついに作戦は始まります。皆、避難所に残した家族を心配しながらの作業です。
50人の作業員による苛酷な現場では、何が起こっていたのか、そして真実は何なのか、その悲惨な現場の状況をこの映画では克明に描いています。最悪の事故を免れるために、現場で必死に戦う人々の姿があります。東日本が壊滅の危機にあるとき、東京電力本店や政府との軋轢の中、死を覚悟して原発に残り、戦った職員たちは、家族だけでなく、故郷を守るために戦い続けます。くわしくは、映画館に足を運び、ぜひこの映画をご覧ください。
この作品は、90人以上の関係者への取材をもとに綴られたノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第1原発』(角川文庫刊)をもとに映画化されています。よく原作と映画は別物といわれますが、この作品はちょっと違うようです。細かいことは別にして、原作をもとに、描かれていました。私のお勧めは、映画を観てから原作を読むことです。500ページ近い本ですが、決して飽きさせません。非常にていねいに取材し、福島第1原発で本当に何が起こっていたのかが分かりやすく書かれています。
(中村恵里香、ライター)
3月6日丸の内ピカデリーほか全国公開
公式ホームページ:https://www.fukushima50.jp/
監督:若松節朗/原作:門田隆将/脚本:前川洋一/製作代表:角川歴彦/エグゼクティブプロデューサー:井上伸一郎/撮影:江原祥二/照明:杉本崇/録音:鶴巻仁/美術:瀬下幸治
キャスト
佐藤浩市、渡辺謙、吉岡秀隆、安田成美、緒形直人、火野正平、平田満、萩原聖人、吉岡里帆、斎藤工、富田靖子、佐野史郎ほか
2020年製作/122分/G/日本
配給:松竹、KADOKAWA
© 2020『Fukushima 50』製作委員会