土屋至
私は1979年にローマで開かれたCLC(Christian Life Community)世界大会 Rome'79 に日本の代表として参加した。世界の45カ国から100名以上の参加者による国際会議であった。
このときのハイライトはなんといっても就任間もないときの前々教皇ヨハネ・パウロ2世との謁見であった。そういえばあのときの世界大会でそのときのイエズス会総長ペドロ・アルペ神父ともお会いして日本語で挨拶したのだが、残念ながらその写真は残っていない。
大会の何日目かに、今日は「教皇謁見」があるというアナウンスがあったのだが、私はその「謁見」という言葉が分からずにピクニックにでも行くのかなと思っていた。それにしてはみな正装していたので、へんだなと思っていたら、だれかから「服装は正装」と指摘されて着がえたのだが、どこに行くんだと人に聞く勇気はなかった。「教皇に謁見する」というのは「to have an audience with the Pope」というのだが、その audience というのがわからなかったのである。
バスは田舎のほうの山の中に入っていったので、ますますピクニックだとおもっていた。
あるお城みたいなところにつくと、そこにはたくさんの人たちがいた。人混みをかき分けて私たちは城の中のある部屋に通された。私はまだこの時点でも「なんだ、古城の見学か。それにしてもたくさん人がいるな」くらいにしか思っていなかった。
外の人たちが「ビバ、パパ!」と叫んでいて、初めて「教皇謁見」であることを知ったのである。そこはカステル・ガンドルフォという教皇の別荘だったのだ。
1時間くらい待たされて、白いスータンを着た教皇が現れた。「ほんとうだ! 教皇ヨハネ・パウロ2世だ。」かれは一同の前で、短いメッセージを読み上げられた。その内容はおぼえていない。
それが終わると聞いていた人はみなわれさきにと教皇の前に駆けより、握手を求めだした。私は例のごとくどうしたらいいのかわからずに出遅れてしまったが、それでも教皇と握手をすることができたのである。
教皇の手は私の手より冷たかったが、でも大きくて柔らかだった。
「日本から来ました。ぜひ日本にも来てください」と私は英語でいい、教皇は「Sometime in the near future」と応えられたと記憶しているのだが、さだかではない。
実際にその何年後かに教皇ヨハネ・パウロ2世は日本に来られるのである。
幸いにもあとで、そのときの私が教皇と握手している写真が届けられた。
私はその写真をそれほどありがたいものとは思っていなくてほとんど誰にもみせなかったのだが、なにかのきっかけでその写真を教会の人たちに見せるととてもうらやましがられ、それで初めて教皇謁見の価値を知ることになる。
そして教皇が亡くなられたときに、その写真をもう一度とりだして、みなにみせびらかしたものである。
土屋至(つちや・いたる)
聖パウロ学園高校「宗教科」講師
SIGNIS Japan会長
宗教倫理教育担当者ネットワーク&ワークショップ事務局長