ミサはなかなか面白い 86 ラテン語か諸国語か


ラテン語か諸国語か

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答五郎 前回から16世紀の話に入った。キリスト教の歴史の中でも大きな出来事があった時代だったね。

 

 

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問次郎 世界史でも学ぶ宗教改革やトリエント公会議のことですからね。でも、あの時代のことは過去のことではなく、もう現代がそこから始まっているというお話は刺激的でした。

 

 

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答五郎 キリスト教や教会のこと全体にとってもそうなおだけれど、ミサとか典礼についても現代的問題状況に突入したといえるよ。それは言語の面からもいえるのだよ。

 

 

女の子_うきわ

美沙 宗教改革を実施した諸教会がそれぞれに国語礼拝に転じていったというプロセスですね。

 

 

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答五郎 そう、ドイツのルターによる宗教改革も最初はラテン語の礼拝式文を使っていたのに、すぐドイツ語礼拝への要求が高まって「ドイツ語ミサ」という形態に移っていった。多かれ少なかれ、スイス・ドイツ語圏の改革者ツヴィングリ派でもドイツ語礼拝、カルヴァン派ではフランス語礼拝、英国国教会では英語礼拝が実行されていく。

 

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問次郎 宗教改革は、国語礼拝創出運動でもあったわけですね。

 

 

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答五郎 前提にあったローマ典礼のミサを単純に国語に置き換えたのではなく、彼らのミサ批判、神学的思想をこめた礼拝を創出するなかで、国語にするということも当然の流れだったようだ。

 

 

女の子_うきわ

美沙 ルターといえば、聖書のドイツ語訳でも有名ですね。

 

 

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答五郎 そう、近代ドイツ語を作り出すためにも貢献したといわれているものだ。改革派(カルヴァン派)でもフランス語の聖書、英国でもやがて欽定訳聖書というものが出てくる。

 

 

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問次郎 16世紀は聖書の諸国語訳が推進された時代なのですね。

 

 

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答五郎 そう。それは、キリスト教史だけの問題ではなく、各国の国語史、文化史全般とかかわることだったよ。それと、自分なんかはいつも感心するのは、宗教改革の諸教会では、とくにルターやカルヴァンのものが知られるけれど、カテキズムという教理問答書ないし教理教育書も、諸国語で出されているということだ。国語による礼拝、国語聖書、そしてもちろん国語によるカテキズムというものを創り出すことで、まちがいなく信者一般の信仰生活の質の向上が図られたということなのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 信者というか市民たちの教育状態も上がったということがあるのでしょうね。

 

 

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問次郎 それに対して、ローマ・カトリック教会は、ラテン語をこの段階では守り、ようやく第2バチカン公会議で、典礼の国語化に踏み切ったという流れですね。

 

 

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答五郎 そうなのだが、それをどう評価するかが問題ではないかな。宗教改革の諸教会がやったことを、カトリック教会は、およそ400 年遅れて行ったということなのだろうか。それだけの遅ればせながらの改革だったのだろうか。

 

 

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問次郎 聖書は、ラテン語訳聖書、伝統のヴルガタ訳聖書が守られたのでしたね。

 

 

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答五郎 ローマ・カトリック教会の公用語はラテン語という伝統は、とても強かったのだね。トリエント公会議の後には『ローマ・カテキズム』というものが出るが、それもやはりラテン語だった。

 

 

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問次郎 いくらカトリック教会圏の国でも、教養ある人々がいて、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語といった国語の発達もあったでしょうに。

 

 

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答五郎 カテキズムの世界では、ルターの『大教理問答』以前にも、カトリック圏で作られた例があって、そこでは、国語の導入がなされていたという。イエズス会初のドイツ人で、ドイツ語圏のカトリック教会の復興を推進したペトルス・カニジウスは、さまざまなタイプのカテキズムを著しているのだけれど、たいていドイツ語版とラテン語版の二つが出されている。

 

女の子_うきわ

美沙  信仰教育という対信者向け、庶民向けのものでは国語にするというセンスがやはりあったのですね。それは安心しました。

 

 

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答五郎 ヨーロッパ文明が育つ上で母親のような役割をしたのが古代ローマ文明だったので、ラテン語がすべての面で公用語だったというのはむしろ自明で、そのようなあり様にむしろ従順だったと、カトリック諸国についてはいえるのかもしれない。

 

 

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問次郎 逆に、宗教改革の諸教会が国語化に踏み切れたということが驚きだということですか。

 

 

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答五郎 教会が分離するということ自体が大変なことで、それに踏み切れたのは、単に神学的な問題だけからだけでなく、教会が社会全体と結びついたあの時代だから、カトリックの最高の権威であるローマ教皇や、カトリック的ヨーロッパの政治的最高権力である皇帝、つまり神聖ローマ皇帝の権力とも離れるという大胆な政治判断も含まれていたのだよ。

 

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問次郎 うわぁ、話が大きくなってきましたね。ラテン語か諸国語かということは、そんな文明論上の大問題だったとは!

 

 

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答五郎 言語ってそこまで重要なものだよ。ローマ・カトリック教会がラテン語を守ろうとしたということには、カトリック的ヨーロッパの一致を守ろうという意志もあったと考えるべきなのだよ。国や民族の違いを超えての信仰の一致のしるしという意味をね。

 

 

女の子_うきわ

美沙 それはそれで、とても美しい理念なのではないでしょうか。

 

 

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答五郎 それともう一つ、諸国語というのは、いわば俗語、生活言語なわけだ。それに対して、神のことばを保っている書物は聖なる書、文字通り聖書、それに神の恵みのしるしを示し、また神にささげる信仰を示す典礼は、ますます神聖な行為と考えられ、それを司る司祭はまさしく聖職者と考えられたわけだ。

 

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問次郎 でも、それだけに、宗教改革者は市民の世俗の言語の中に、神のことば、神への祈りを深く根ざさせようとしたところに眼目があったわけでしょう。

 

 

女の子_うきわ

美沙 それもそれで、意味がありますね。

 

 

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答五郎 珍しく、美沙さん、揺れているね。実際そこのところは、実は、カトリック教会でも、早くから考えられていて、決して、20世紀半ば、第2バチカン公会議後になってようやく実践されたというわけでもないのだよ。

 

 

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問次郎 えぇっ、カトリック教会でも国語化運動があったのですか?

 

 

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答五郎 そうだよ。案外それは知られていなかったかな? トリエント公会議から第2バチカン公会議までの400年間、がっちりラテン語が守られていたと思っていたかな? そんなことはなくて、むしろ、今、美沙さんが、一方で、とても美しい理念といったカトリック的統一のしるしとしてのラテン語と、信者の生活に根ざしていくための国語採用という、相反する二つの理念の中で、近世・近代のカトリック教会も揺れていたのだよ。特にそれはフランス、ドイツで目立っていたのだね。それについて少し次回紹介してみよう。

 

女の子_うきわ

美沙 ええ、ぜひお願いしたいです。日本の言語事情にとっても参考になるのではないでしょうか。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


ミサはなかなか面白い 86 ラテン語か諸国語か” への1件のフィードバック

  1. 今回のテーマは、様々な課題も抱えていますね。理解できる国語での典礼の良さは異論の余地はないでしょう。一方国語だから「分かる」かといえば、そうとも言い難いです。復活節入祭の歌の「あなたは私の上に手を」で、だれがだれに?と問うと、ほとんどの人が「イエス様がこの私に」と答えます。「御父が御子に」とは一回歌う中では誤解されたままです。
     過日、韓国の信者さんから、日本では、どうして「キリエ エレイソン」と使わないのか聞かれました。諸外国では、この部分について自国語とギリシア語を併用しているところが結構ありますね。もちろんこれが東方典礼からの流入という背景もあるでしょうが、一語には訳しきれない意味の深さもあるのだとおもいます。教会が多国籍化してきた現在、どこかの国、地域ではない共通教会語としてのラテン語の見直しも必要かと思います。もちろん懐古趣味ではなく、英語を話さないアジアの人とも、共通言語で賛歌をささげるのもいいことでしょう。外国の方は日本語を学びます。同じように固有の賛歌など、私たちも学ぶのは、大変でしょうか。遠いむかしの日本人信徒の姿にならうだけです。

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