Maria. M. A
中学3年の夏休み明けから、高校1年の3月までの2年間、不登校だった。何か大きなきっかけがあったわけでもなく、なんとなく家を出られず学校を休んだ。その日をきっかけに、その後も時々休むようになった。まったく行かなくなったわけではなく、週に数日は学校に行き、保健室で過ごすことも多かった。
どうして学校にいけないのか、自分でもよく分からなかった。家族や教師、周囲の人間に『どうして?』『なんで?』と聞かれても、黙っていた。うまく説明できないのだということさえ、言葉にできなかった。自分の正直な気持ちを表現することで周りの人がどう思うのか、何か言われることが怖かったのだと思う。学校に行く。みんなが当たり前にできることができない自分。劣等感しかなかった。学校に行かなければならないことが頭では分かっているのに、身体が動かない。胃が痛い。通学バスに乗ると気持ち悪くなる。頭と心と身体がバラバラの状態で、言葉にならない言葉でいっぱいだった。
高校1年の3月。期末試験の最終日に別室に呼ばれ、進級できないことが告げられた。冬休みの時点では、補習で補えると母は聞いていたらしいが、休み明けに数日休んだ時点で進級することができなくなっていた。何も知らされなかった私は、もう後がないからと言って、友人の家に寝泊まりしてそこから友人と一緒に学校に通った。たくさんの人に助けてもらったのに、その気持ちに応えることが出来ず申し訳ない気持ちでいっぱいだった。あんなに頑張ったのに、なんだったんだろう。ひとつ口にしたら、止まらなくなってしまいそうで、泣くこともできず、ただ感情を押し殺して黙っていた。
その学校に入学したとき、校長先生から『あなたたちは、神様に選ばれてこの学校の生徒になったのだ。』と言われていた。学校を辞めることになった時、自分は神さまに見放されたのだと思った。進級できないと知らされたタイミングでは、どこも編入試験の募集は締め切られていた。編入先の候補に考えていた寮のある学校の人数合わせのための2次募集を受験し、ギリギリのところで別の学校に入学することができた。
新しい学校では、毎日学校に通った。授業を1度休んだら、学校に通えなくなってしまう気がして、保健室にさえも行けなかった。高校2年の時に、新聞で見つけた交換留学制度を利用して1年間アメリカに留学した。授業ではいつでも自分の思いや考えを表現することが求められた。良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとかは別にして、大事なのは私がどう思うかということだった。『I』を主語に話すと、『自分』というものがよりくっきりする感覚があった。なんでも自由に思うことが話せるほどではなかったので、文化の違い、学校生活の疑問、日常における様々な発見や驚き。誰かに話して聞かせるわけではない言葉が自分の中にたくさんあった。
高校3年生のクリスマスを境に、目に見えない何かに引っ張られるようにして、神学部を受験した。神学部を受験するには、推薦が必要だったし、世界史が必修だった。2次試験は小論文に面接試験。信者でもなく、神学についての知識も宗教の授業で学んだレベルの私には、越えなければならないハードルがいくつもあった。準備期間も短く、いつどこで転んでもおかしくない。そんな状況だったので、神学部に行くことが神様のみこころであるならば、そうなるだろうと勝手に思っていた。二次試験の面接を終えた後、『合格すると良いですね』と私に声を掛けた神学生に、『みこころのままに』と答えて帰った。受験に合格してからも、神様に見放されたと思っていた自分が神学部に進学するなんて、どうしてそんなことになったのか、自分でもよく分からなかった。ただ、自分は神様に呼ばれたのだと感じていた。
そんな風にして入学した神学部だったが、驚きと発見に満ちていてどの授業も学ぶのが楽しかった。大学の勉強に忙しくしている私を見て、母は『大学に入ってから、勉強する人は初めて見た』と言って笑った。そんな中、大学1年の哲学の授業で、ブーバーの『我と汝』に出会った。これまでの私の、言葉にならない言葉にも、ひとりごとのようなつぶやきにも耳を傾け、じっと聞いていた存在を知る。あぁ、私のひとりごとは神様に聞かれていたのだということに気が付いた。いつ、どんな時でも私と共にいる。『かみさま』との出会いだった。
今でも、なんで神学部に呼ばれたのか、自分でもよく分かってはいない。ただ、神学部での学びを通して私は『かみさま』と出会い、同じようにかみさまのことを語り合える人たちと出会った。そして、卒業して10年以上経つ今でも変わらず『私とかみさま』の対話は続いている。
卒業後、仕事、結婚、出産、子育て、海外生活。年を重ね、ライフステージの変化に伴って、昔の授業で先生が言っていた言葉や、聖書の言葉が、ふとした時に思い出され、それまでと全く違って響くことがあった。そんな日常における些細な神学的な発見や、他愛もない出来事を、気まぐれに大学時代の友人に書いて送った。
『文章書いてみない?』友人に、突然声を掛けられた。
ここに私が記すものは、ごく当たり前の日常であり、生活であり、私の人生の一部である。とは言っても、そこにはいつも、夜空に浮かぶお月様のように静かにみつめる、かみさまの眼差しがある。(神学部に入学した時点で、私は信者ではなかった。のちに信者となるが、信者になってからはもちろん、信者になる前から、かみさまは私にずっと寄り添い、眼差しを向けてくれていたのだと今は確信にも似た感情を抱いている。)
様々な状況の中でこの時代を生きる人たちへ、私が書くものを通じて、かみさまからのメッセージを、それを必要とする人に届けることが出来たらと思う。
(カトリック信徒、日本出身、シンガポール在住)