キリストの衣
答五郎……さて、入祭の歌とともに、司祭・奉仕者が入堂してきて祭壇に向かっていく。入堂行列だが、この場面で、もう一つ大きな意味をもつ、典礼ならではのことがあるのだが気づいたかな?
問次郎……なんでしょう?
答五郎……あれ、気づかないかな。司祭や奉仕者が会衆と、一見して違うところだよ。
美沙……独特な服を来ていることですね。
答五郎……そう。祭服という。文字どおり祭儀用の衣服だ。基本は白衣で、ラテン語で白を表す言葉からアルバと呼ばれる。その上にストラといって首から前側の垂らす帯、さらにカズラと呼ばれる上衣(じょうい)をまとうこともある。
問次郎……神道や仏教の儀礼でも、それを司る人、神主さんやお坊さんがそれなりのきらびやかな衣をまとうので珍しいとも思いませんでしたよ。典礼祭儀というものはそういうものでしょう。
答五郎……では、なぜ、儀礼や祭儀のとき、司る人は特別な服を着るのだろうね。キリスト教もそうだからといって、どの宗教とも同じ意味というわけではないだろう。ただ、神道や仏教における意味を調べるというのは、今は手が回らないので、先の課題にしよう。
美沙……まずキリスト教なりの意味をぜひ知りたいです。
問次郎……ふつうには、ミサの場合、会衆と違って、司式する司祭やそれに奉仕する人をいわば目立たせる意味があるのではないでしょうか。
答五郎……それは確かだ。実際にそう思われているだけかもしれない。しかし、もっと踏み込んだ意味があるはずだよ。祭服の基本は白衣にあるという、この白は何を意味していると思う。
問次郎……?
答五郎……正確には、何をではなく、誰かを意味しているのだが……。
美沙……誰かといわれれば、やはりキリストですね。
答五郎……そう。福音書によれば、イエスは変容のとき白い姿に変わった。受難ののちの復活を暗示するものだった。またイエスが十字架上で死に、葬られた墓が空になっていたとき、白い衣を来た天使が復活を告げる場面がある。このように、白はキリストの復活に関係している。栄光のキリスト、キリスト自身を示す色という意味もキリスト教ではもつのだよ。
問次郎……すると、司祭や奉仕者は、キリストを表すということになるでしょうか。
答五郎……たしかに司祭については、キリストはミサの「奉仕者自身のうちに現存される」という言い方がある(『典礼憲章』7)。かなり概括的な言い方で、ミサを司式する司祭や助祭、さらに信徒の奉仕者についてもいえるのだろうと思うよ。奉仕者の基本服が白衣とされているからにはね。
美沙……そうすると、司式者や奉仕者は、その存在自体がキリストを表すということになりますね。入堂行列は、その集まりの中にキリストが入って来ることを表していることになるのですね!
答五郎……ついつい、○○神父が入ってきた。きょうは顔色がいいなとか、人間を見てしまうことが多いが、ほんとうは、入堂行列は儀式なので何かを表現している。その意味をいつも考えることが大事だよ。ここでは、まず集いの中に来られているキリストを心の目で見なくてはね。
美沙……あの~、女性の方々で何人かが頭にヴェールをしているのを見ましたが、あれは?
答五郎……昔は、女性たちはほぼ全員ヴェールをかぶってミサに参加したらしい。典礼書にはいっさい規定がない慣習上の行いだ。最近はあまり見られなくなっているともいわれる。それで、しなければならないのですか、しなくてもいいのですか、ということがたびたび話題になるらしい。
問次郎……実際、どうなのでしょうか。
答五郎……議論としてはいろいろな要素を含むテーマだが、長くもなる。ただ考える出発点として重要なのは、ヴェールは女性が成人洗礼のときキリストを着る者となるようにと受ける白衣にあたる。男性には白いストラを肩にかけて白衣を表すことが多い。この白衣の意味が大事だと思うよ。
問次郎……そうか、キリスト者とは、キリストを着ている者か。
美沙……洗礼のときに受ける白衣を、信者さんたちはいつも着ているのですね。
答五郎……着ていることを忘れてしまうことも多々あるのだけれどね(自戒をこめて)。つまり、目に見える形では、司祭や奉仕者が違うから普通の服を着ているのではなく、信者はみんな目に見えなくてもキリストの衣、白衣を着ているのだよ。ということは、ミサにはみんな奉仕者として参加しているということだ。司祭たちとの違いと同時に、信者であるかぎりキリスト自身の奉仕職(祭司職ともいう)を共通にもっているというところを意識することがまず大事だと思うよ。
(つづく)