アート&バイブル 36:キリストの復活 15世紀の2作品


稲川保明(カトリック東京教区司祭)

1.フラ・アンジェリコ『キリストの復活』

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今回は「キリストの復活」を描いた15世紀の2人の作品を紹介したいと思います。1枚目はフラ・アンジェリコ(Fra Angelico, 生没年1400頃~1455)の作品です。

サン・マルコ修道院(現在はサン・マルコ美術館)はフィレンツェを訪れるならば必ず行ってみたい場所の一つです。そこには世界一有名な「受胎告知」のフレスコ画をはじめとして、フラ・アンジェリコ美術館と呼んでも差し支えのないほど、彼のたくさんの作品を見ることができます。修道院の2階の個室(僧坊)には、若い修道士の部屋には「イエスの受難・十字架」、老齢になった修道士の部屋には「主の復活や昇天」など、慰めや希望となるテーマが描かれています(この絵は8号室にあります)。

ルカ24章1~10節には、次のようなくだりがあります。何人かの女性たちが、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行って見ると、石が墓のわきに転がしてあって、中に入っても、イエスの遺体が見当たらなかったのです。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れました。女性たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言います。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」と……「あの方が、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。そこで、女性たちはイエスの言葉を思い出し、墓から帰って、11人とほかの人皆に一部始終を知らせたのです。その女性たちについて、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリアの名前を、ルカは挙げています。

フラ・アンジェリコ『キリストの復活』(1440~42年、161×151cm、フレスコ画、サン・マルコ修道院所蔵)

では、フラ・アンジェリコの絵を見てみましょう。

 

【鑑賞のポイント】

(1)この時代のイエスの墓は石棺のような形で描かれています。聖書には「墓の入り口を大きな岩でふさいだ」と書かれているのですから、洞穴のような形の墓のはずですが、当時の人たちは聖書を読める人が少なかったため、墓よりも石棺の姿で描いたのでしょう。

(2)この絵で興味を引くのは3人のマリアではなく、聖母マリアも加わって4人のマリアが描かれていることです。一番右端ですが全身が描かれ、ベールの下に金髪、赤いマントを着て、手に香油の壺を持っているのがマグダラのマリアで、その背後に青いマントを着て、その光背が金色に輝いているのが聖母マリアです。伝説では復活したイエスはまず聖母マリアに姿をあらわしたとも言われているのです。

 

 

2.ピエロ・デッラ・フランチェスカ『キリストの復活』

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もう一つはピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1420頃~1492)の作品です。4人の兵士が描かれていますが、それはマタイ福音書の記述に由来するものです。

マタイ27章65~66節、そして28章1~4節によると、ピラトの命令で、兵士たちがイエスの墓の石に封印をし、番をします。週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行いったところ、大きな地震が起こります。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのでした。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かったので、番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになるというのです。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ『キリストの復活』(1463~65年、フレスコ壁画〈一部テンペラ〉、サン・セポルクロ市営絵画館所蔵)

ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を見てみましょう。

 

【鑑賞のポイント】

(1)白地に赤の十字はフラ・アンジェリコの作品にもありますが、これは復活のしるしとしての旗です。復活したイエスの来ている服も白あるいは赤(ピンク)が多く、イエスの両手、わき腹には傷跡があります。

(2)手前にいる4人の兵士は眠りこけていますが、これはゲッセマネの弟子たちと呼応しているのかもしれません。彼らも眠気に勝てず、本来の任務をおろそかにしてしまいました。従って兵士たちはキリストの復活の様子を見ておりません。

(3)フランチェスカはキリストの復活を効果的に描こうとして、キリストの背景に工夫をしています。画面の左側の木には葉がついておらず、冬=死の象徴をあらわし、右側の木は青々とした葉が茂っています。これは春=生命の象徴です。

 


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