アート&バイブル 27:聖フランシスコ・ザビエルの奇跡


ニコラ・プッサン『聖フランシスコ・ザビエルの奇跡』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

先日12月3日のザビエルの祝日にちなみ、その奇跡を描く、プッサンの作品を鑑賞しましょう。

ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 生没年1594~1665)は17世紀のフランス・バロック期を代表する画家ですが、画家としての生涯の大半はローマで過ごしました。

ニコラ・プッサン『自画像』(1650年、パリ、ルーヴル美術館所蔵)

ノルマンディー地方のレ・ザンドリに近い、ヴィレという村で、地方小貴族の家に生まれ、10代後半から20代の大部分をルーアンやパリで過ごしました。1612年から滞在したパリでは、ジョルジュ・ラルマン(Georges Lallemand, 1575~1635)という画家に師事しました。1624年、29歳のときにローマに赴きます。当初はカラヴァッジョやヴェネツィア派の影響を受けて、バロック的作風の創作をしますが、次第に古典古代芸術やラファエロに傾倒して、古典主義を確立するようになります。

やがて、教皇ウルバヌス8世(在位年1623~44)の甥であるフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿(生没年1567~1679)の知己を得て、画業が認められるようになり、この枢機卿を通して作品がフランスに送られたことによって、故国でもその名声が広まります。そこで、当時のフランス国王ルイ13世(在位年1610~43)に呼び戻され、プッサンは1640年からパリに滞在し、ルーブル宮殿の装飾事業に従事しますが、わずか2年後再びローマに戻り、終生をそこで過ごします。

プッサンが活躍した17世紀はバロックの全盛期でしたが、彼の作品はバロックの特徴である「強い明暗のコントラスト」や「劇的な激しい感情」などの表現は抑制され、古典的な、深い思想的背景をもった宗教画や歴史画が主な作品のモティーフとなっています。

(『新カトリック大事典』『新潮 世界美術辞典』ウィキペディア日本語版等を参照)

 

【鑑賞のポイント】

『聖フランシスコ・ザビエルの奇跡』(1641~42年頃、油彩、44×234cm、パリ、ルーブル美術館所蔵)

(1)17世紀、ローマ・カトリック教会はプロテスタント教会に対抗して、宣教活動・教会建築・宗教美術の点でも力を入れていました。聖フランシスコ・ザビエルの業績もその手紙を通して知られ、1622年、イグナチオ・ロヨラとともに聖人に列聖されるほどザビエルの人気は高まりました。ルーベンス(生没年1577~1640)などもザビエルの奇跡を描いています。

(2)ザビエルはカトリック教会におけるヒーローでしたので「彼ほどの聖人ならば奇跡の一つや二つは行っていたに違いない」という思い込みからか、「ザビエルは東洋で、死んだ若い女性をよみがえらせた」という奇跡として描かれています。

(3)中央で手を合わせて天に向かって祈るザビエルに答えて、キリストが威厳に満ちた姿を表し、その祈りを聞き入れられたという構図となっています。

(4)当時、東洋への旅は宇宙旅行に匹敵するほどの冒険的な旅であり、またインドや東洋の様子などは今ほど正確にはわかりませんでした。それゆえ、描かれている人々の服装や習俗などには正確さがありません。この絵の周囲にいる男性の姿は中国的な雰囲気ですが、死んでいる若い女性を取り囲んでいる女性たちの姿は古代の女性のような服装です。

(※画像はクリックで拡大します。)


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