「心に留めてください」……生者と死者のメメント
答五郎 こんにちは。奉献文の旅も終盤に近づいているところで、いわゆる「取り次ぎの祈り」と呼ばれているところを見てきたね。
問次郎 「取り次ぎ」という言葉に面食らいましたが、第2奉献文の「神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに、永遠のいのちにあずからせてください」というところで、彼らの祈りによる支えや助けを願っているという意味があるのだということで、少しすっきりしました。
答五郎 これらの祈りの中で、死者のため祈りがあることに気づいていたね。第2奉献文には……
美沙 「また、復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟とすべての死者を心に留め、あなたの光の中に受け入れてください」ともあります。
答五郎 そうだね。そんな祈りを聞いていてどう思ったかな。
問次郎 前にも言いましたが、死者たちの天国での安息を願っているという意味合いはわかりやすいと思いました。
美沙 私は、ああ、ミサは、毎回、死者のことを祈っているのだなと思いました。ときどき、その教会で亡くなった人、だいぶ前に亡くなった人も最近亡くなった人も、名前をあげて祈るということがありますね。死者のことをこれほど、いつも祈っているのだなと。
答五郎 そう、私も同感だ。そして、第2奉献文では「全教会を愛の完成に導いてください」とあるけれど、今生きている教会の人々のことを祈る部分も、他の奉献文ではいろいろに語っているよ。
問次郎 じゃあ、今度は僕が。えっと第3奉献文では「あなたがここにお集めになったこの家族の願いを聞き入れてください」……ここかな。第4奉献文では「あなたのすべての民と、あなたを求めるすべての人、また、キリストの平和のうちに亡くなった人々、あなただけがその信仰を知っておられるすべての死者を心に留めてください」……今生きている信者と死者のことをまとめて「心に留めてください」といっています。
答五郎 そう、「心に留めてください」の祈りをラテン語で「メメント」といって、このような箇所を生者のメメント、死者のメメントというのだよ。「心に留めてください」は、ほかに似た言い方として「顧みてください」「思い起こしてください」があるけれど、実はこれは旧約聖書の詩編の中で、民が神に祈る基本といってもよいぐらいのことなのだよ。
美沙 でも、神に思い起こしてください、と祈るときに、わたしたちもその人たちのことを思い起こしていますよね。
答五郎 そう、そこがほんとうに大事だね。それが「その人々のために」祈ることなのだよ。祈るという限りかぎりはわたしたちが神に向かっているけれど、でも、その人々(生者・死者含めて)のことを心に留めてくださるよう願うという立場になっているよね。
問次郎 あれっ、「取り次ぎ」という言葉を思い出すな。祈っているわたしたちが、「その人々」のことを神に取り次いでいる役回りか。
答五郎 そうなんだ! 奉献文のこの部分は「取り次ぎの祈り」というふうに括られるけれど、文脈しだいで違う意味で使われていることに気づかされるよね。前回の第2奉献文でいえば「神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに、永遠のいのちにあずからせてください」、
問次郎 第3奉献文でいえば「神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒と殉教者、すべての聖人とともに神の国を継ぎ、その取り次ぎによって絶えず助けられますように」です。
答五郎 そこでは、これら聖人たちの「取り次ぎ」はわたしたちのための「祈りによる支えと助け」を意味していただろう。生者と死者のメメントのところでは?
美沙 ああ、わたしたちが、その人たちのことを神に祈ることで、その人たちを支え助けているというわけですね。取り次ぎ役はわたしたちですね。
答五郎 そう、結局、「取り次ぎ」ということばで、奉献文のここの部分を括っても、別な意味でいわれているだろう。それにどうも、偉い人に取り次ぐというニュアンスがあるので、なんとなくここの祈りの文脈には、用語として不十分な気がしてこないかな。いずれにしてもわかりにくいだろう。かたちとしては「共同体のための祈り」、「神の民の連帯性の祈り」、ひいては「すべての人のための祈り」といってもよいものなのだよ。
美沙 さっき、死者のことを毎回祈っているのだなと思いました。もちろん神の民の歴史を築いた人や自分たちの共同体(家族)の中で亡くなった人のことだけでなく、今生きている教会の人々のことも祈っているのでしたね。
問次郎 うーん。あれ……? 共同体のための祈り、すべての人のための祈り、どこかで聞いたことがあるなあ。共同、共同……。あっ、「共同祈願」! ことばの典礼のところの共同祈願だ。
答五郎 ふふぅん……そうなんだ。まさしく、奉献文の中の共同祈願なのだよ。逆にいえば、ことばの 典礼の共同祈願も、「取り次ぎの祈り」なのだよ。実際、英語では、ここの共同祈願は、インターセッション(intercession)またはジェネラル・インターセッション(general intercession)、文字通り、すべての人のための取り次ぎの祈りというぐらいなのだよ。
問次郎 ミサでは、共同祈願、すべての人のための祈りが2回あるということになるのか。
美沙 この対比と関連づけは面白いですね。一つは福音にこたえてすべての人のことを祈る、もう一つは、キリストの生涯の究極である死と復活に示された神のみ心にこたえて祈るということになりますか。
答五郎 そうなるね。ことばの典礼の共同祈願の中で、困難にある人のために祈るという意向が欠かせないとされるけれど、ここの部分で、さまざまな困窮者のために祈るタイプの奉献文も伝統的にはあるぐらいだよ。
問次郎 聞いていると、奉献文がずいぶん生き生きと感じられてきます。マンネリ感をいちばん感じやすいところかと思ったのですが。
答五郎 そう、それはよかったね。奉献文がこのような「共同体のための祈り」へと展開しているところが、実にキリスト教的なところではないかなと思うのだけれど、どうだろう。さて、奉献文の旅ももうあと一、二歩だ。
問次郎 次は、いよいよ、結びの栄唱になりますか。
答五郎 いや、実はその直前の部分がまた重要でね。次回はそこにするね。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)