信仰の遺産――「浦上四番崩れ」150年の「旅」――


竹内修一(上智大学キリスト教文化研究所所長、イエズス会司祭)

潜伏キリシタンが、4回にわたって検挙された――いわゆる、浦上崩れである。しかし、一番から三番における崩れと四番におけるそれとの間には、本質的な違いがある。すなわち、前者は、密告によって起こったものの、農民らは、自らがキリシタンであることを表明しないまま事件は落着したが、後者は、それを表明したがゆえに起こったのである。「浦上四番崩れ」(1868年~1873年)は、浦上村のすべての三千余名が、名古屋以西の20藩に分けて流配され、棄教を迫られた。この「浦上四番崩れ」がまた、「旅」とも呼ばれる。

これに関して、2018年6月23日に、上智大学キリスト教文化研究所の第46回連続講演会「信仰の遺産――『浦上四番崩れ』150年の『旅』――」が行われた。

第一の講演は、イエズス会日本管区長のレンゾ・デ・ルカ師が「信仰伝承の証しとしての『旅』を考える――なぜ信仰が伝わったのか――」と題して考察した。250年間もの間、迫害を受けながらも信仰は受け継がれた――これは、日本の教会の特徴である。潜伏キリシタンは、しかし、時代に応じて信仰表現を変えながらも、その本質は忠実に守ってきた。それを可能にしたのは、いったい何なのか。「旅」は、確かに、それ以前から受け継がれてきた信仰の延長線上にある。

第二の講演は、青山学院大学教授の藤原淳賀氏が「浦上四番崩れを通して見るカトリックの伝統の豊かさ――プロテスタントの視点から――」と題して考察した。日本のキリスト教との出会いは、三度ある。まず、16世紀、イエズス会を中心とした宣教。次いで、19世紀の開国と共に再来したキリスト教との出会い。そして、20世紀の敗戦後のキリスト教宣教である。同講演では、特に、以下の諸点が取り上げられた。キリシタンの「苦難」の理解、ザビエルやヴァリニャーノといった優れたリーダーにおけるマイノリティーの視点、共同体の力強さと霊性、儀式の豊かさ、そして聖母の伝統である。

第三の講演は、長崎純心大学教授の古巣馨師が「旅する教会の神秘――受けて、証しされた信仰――」と題して考察した。カトリック教会は、自らを「旅する教会」と呼ぶ(『教会憲章』第7章)。しかし、それ以前にも、教会は、「受難と証し」の信仰の歴史を「旅の話」と呼んでいる(浦川和三郎『切支丹の復活 後編』)。それはまた、司祭不在の250年間にも及ぶ苦しみの中で、希望を待ち望んでいた「旅する教会の話」でもある。信仰は、どのように育まれ、受け継がれ、そして証しされてきたのかなどが話された。

その一週間後の6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第42回世界遺産委員会によって、世界遺産へ登録されることとなった。これは、約250年にも渡る禁教・弾圧の中にあっても、信仰が守り受け継がれたことが評価されたからである。

〝潜伏キリシタン〟と〝隠れキリシタン〟――その相違については、意見がある。その一つによれば、前者は、明治時代になり禁教令が解かれた後、カトリック教会に戻った人々であり、後者は、そうしなかった人々である、というものである。

潜伏キリシタンの関連遺産は、12の資産によって構成されている。すなわち、それは、「始まり」「形成」「維持・拡大」そして「変容・終焉」の四期に区分される。まず「始まり」には、島原の乱(1637年)の舞台となった「原城跡」。「形成」には、平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)、同上(中江ノ島)、天草の﨑津集落、外海の出津集落、外海の大野集落。「維持・拡大」には、黒島の集落、野崎島の集落跡、頭ヶ島の集落、久賀島の集落。そして「変容・終焉」には、奈留島の江上集落と信徒発見の場と言われる大浦天主堂である。

いずれにしても、江戸時代の初期から約250年間、禁教による弾圧に対して、自らの信仰を守り続けた人々がいた。この事実を見ること、それが、歴史の真実を語ることの原点である。それにしても、「信仰を守り続ける」とは、いったいどういうことなのであろうか。思うに、それは、少なくとも、ある特定の個人の行為ではなく、同じ信仰・・・・を守り伝えようとした人々の、切なくも希望に開かれた営みにほかならないのではないだろうか。

信仰は、何らかの抽象的な概念でもイデオロギーでもない。具体的な人間の生き方そのものの体現である。そのようなものを継承・伝承する場合、いったい、どこにその力の源はあるのだろうか。それは、単なる精神的遺産といったものに還元することはできないだろう。つまり、人間の営みを無視するのではないが、それを遥かに凌駕した力の存在にあり、その体現が、生きた信仰なのではないだろうか。

人間は、常に、不完全な存在である。それゆえ、そのような人間の営みが、完全なものであるはずはない。信仰もまた、その例外ではない。それにも関わらず、その信仰の継承・伝承が約250年にも及んだ。その事実を、私たちは、どのように受け容れ理解したらいいのだろう。もし、伝承の内容そのものが真理であるならば、たとえ伝承の主体が不完全なものであっても、きっとそこに、信仰の遺産は生れるであろう。

 

※連続講演会の内容の詳細は、来年発行される『上智大学キリスト教文化研究所紀要37』に収録される予定です。

 


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