ミサ曲8 感謝の賛歌Ⅱ


齋藤克弘

 ピオ10世が発布した典礼音楽に関する自発教書によって、感謝の賛歌も本来の歌い方をするように改められました。感謝の賛歌は本来、奉献文の最初に司祭が救いの歴史を奏でる叙唱の結びに、共同体全体が神の前で神をたたえて歌う「すべての天使と聖人とともに」歌う賛歌です。叙唱の結びでは必ず「歌います」とか「感謝の賛歌をささげます」など、次に来る感謝の賛歌を「歌う」ということが言われていますから、感謝の賛歌は歌うことが基本というより、歌ってなんぼのものです。変なたとえになりますが、のど自慢の大会で、あるいはカラオケで前奏の後、歌詞を歌わないで読み上げる人はいないと思います。ここまでできるのはかなりの変人?かよっぽどの天邪鬼(あまのじゃく)でしょう。感謝の賛歌も歌ってなんぼのものですから、歌わないのは本当はおかしなことなのですが。

感謝の賛歌を歌うときに気を付けてほしいことが一つあります。どういうことかというと、この地上に生きているわたしたちは、感謝の賛歌を歌う第一の主体ではない、わたしたちが歌い手の主体ではないということです。こういう風に書くと、何をおっしゃるウサギさんと言われそうですが、これも叙唱の結びのことばを見れば明らかです。

「天使と大天使は神の威光をたたえ、わたしたちも声を合わせて賛美の歌をささげます。」(三位一体)
「数知れない天使は昼も夜もあなたに仕え、栄光を仰ぎ見て絶え間なくほめたたえます。わたしたちはこれに声を合わせ すべての造られたものもともに、あなたをたたえて歌います。」(年間週日六)
「あなたの恵みをたたえる天使、聖人とともに、わたしたちも感謝の賛歌をささげます。」(結婚式二)

三つの叙唱の結びのことばを列挙しましたが、ごらんになってわかるように、感謝の賛歌は天のエルサレムにおいて神の前で神をたたえて歌っている天使(や聖人)の歌に合わせて歌うものなのです。天使や聖人は時間も空間も超越した神の国において神をたたえることができますが、時間と空間に制約されて生きるわたしたちは、生まれてから召されるまで感謝の賛歌を歌うことは残念ながら不可能です。時間と空間を超越した神の国を前もって体験することができるミサの中で、天使と聖人の歌声にこころと声を合わせて歌うのが感謝の賛歌なのです。

さて、ミサに参加している皆さん、ちょっと振り返ってみましょう。いかがでしょうか、ミサで感謝の賛歌を歌っているとき、天使や聖人と一緒に歌っていると感じているでしょうか。もっと、踏み込んで言うと、感謝の賛歌を歌っているときに皆さんのとなりで天使や聖人が一緒に歌っていると感じられるでしょうか。感謝の賛歌とはそういう賛歌なのです。もし、天使や聖人を身近に、というより、一緒に歌っていると感じられたなら、どれだけ素晴らしいことでしょうか。それはもう、すでに、時間と空間を超えて神の国の宴を体験していると言っても過言ではないからです。

このような感謝の賛歌の本質を考えると、ミサに集う人々の声が、天上の天使や聖人はもちろん、すべての造られたものの声とともに神の栄光をたたえる歌声となって、時間と空間を超えた賛美の歌となるものなのです。こころのそこから、全身全霊を使った歌声となるように、そして、声の一致が心の一致を表すものとなるように、声を合わせて歌うことが大切なことなのです。

そして初めにも言いましたが、本来歌うものなのですから、やっぱり歌うことが始めの一歩なんですよね。

(典礼音楽研究家)


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