ミサ曲4 あわれみの賛歌 Ⅲ


齋藤克弘

 グレゴリオ聖歌のシリーズでも触れましたが、教会改革のまさに先陣をきったのがアウグスチノ会の修道司祭だったマルティン・ルターでした。結果的にはローマ教皇庁とのボタンの掛け違いから、宗教改革という西方教会における大きな教会分裂に至ってしまいましたが、その反動としてローマ教皇庁もトリエント公会議において教会改革にも乗り出します。その中の一つが教会音楽の改革でもあり、これまで作られた教会音楽を教会改革の視点から見直して、大幅に整理してタガを締めました。その一つは世俗の歌詞が入り込んでいるようなものを禁止すること。もう一つは「ミサ曲」の中で数多く作られた「トロープス」を廃止することでした。

他の「ミサ曲」ではそれほど顕著でなかった、この「トロープス」。「あわれみの賛歌」ではかなりのものが「トロープス」で歌われていたことから、「トロープス」の挿入句を省き、歌詞の部分は「キリエ」と「クリステ」の「エ」を伸ばして歌うことにしました。ちなみに、現在のグレゴリオ聖歌の楽譜集である「グラドゥアーレ・ロマームヌ(Graduale Romanum)」の「ミサ曲」にはタイトル、たとえば、よく知られている「ミサ曲Ⅷ」には De Angelis というタイトルがついていますが、これは最初の「キリエ」の後に歌われていた「トロープス」の冒頭の二つのことばからとられているようです。

このようにしてグレゴリオ聖歌をはじめ「ミサ曲」は簡素になりましたが、実際にはグレゴリオ聖歌でミサが行われることはほとんどありませんでした。先にも書いたように、各国各地域の大きな教会や貴族の宮廷礼拝堂にはお抱えの作曲家がいて、そこでのミサのために様々なミサ曲が作曲されていったからです。皆さんも名前をご存知のことと思いますが、聖ペトロ(サンピエトロ)大聖堂の楽長だっ

サン・ピエトロ大聖堂

たパレストリーナ(ジョバンニ・ピエルルイージ)を始めとして、ルネッサンス時代にも続くバロック時代にも多くの作曲家によって「ミサ曲」が作られていくようになります。
ところで、ルネッサンス時代前半までは教会音楽は司教座聖堂付きの教役者や修道院の修道士たちがその担い手でしたが、次第に一般の民衆が演奏に携わるようになります。それにはいくつかの要因があります。まず第一に楽譜が印刷されるようになったことがあります。グーテンベルクが活版印刷の技術を発明するまでは、楽譜はすべて人の手書きによる「写本(マニュスクリプト)」でしか作ることができず、時間も費用もかかっていたことは「グレゴリオ聖歌」のシリーズでも触れましたが、活版印刷の発明によって楽譜も短時間に大量に印刷することができ、費用も安くなったことから、多くの人が手にすることができるようになりました。

もう一つの理由は教会音楽の演奏にも多様な楽器が導入されるようになったことです。皆さんもご存じのように教会の楽器で、すぐに思い浮かべるのはオルガンだと思いますが、封建領主を兼ねた司教や修道院、あるいは貴族の宮廷礼拝堂では、次第に管楽器や弦楽器が教会音楽にも用いられるようになっていきました。特に貴族の宮廷礼拝堂付きの作曲家や演奏家は礼拝のためだけではなく、宮廷で催される舞踏会などの演奏や作曲にも携わっていたのです。また、ルネッサンス後期からバロック時代にかけては、楽器の性能もよくなり、大きな聖堂やホールでも十分に響くような楽器が作られるようになり、管楽器や弦楽器は、単なる伴奏楽器ではなく、人の歌う歌と肩を並べるほど重要な表現をするようになりました。いわゆるオーケストラの走りですが、多くの楽器の演奏には教役者(聖職者)や修道士だけでは足りず、特に、貴族の宮廷においては一般の民衆の中から楽器の演奏に長けた人たちが宮廷の演奏者として召し抱えられるようになりました。いわゆる職業演奏家の時代に入ったのです。

歴史の話が長くなりましたが、実はこのような時代と礼拝や音楽の背景を知っておくことがルネッサンス後期以降の時代の「ミサ曲」の理解に欠かせないのです。

対抗宗教改革では典礼、ミサや聖務日課などに関して、司祭や修道者たちがトリエント公会議で決められた規定通りに行ったかどうかが最大の焦点になりました。言い換えれば典礼においてもあるいは教理に関しても教会の定めたとおりに正しく行ったか、従っているかどうかが重要な関心事になったのです。が、残念なことに、そればかりが強調されたことから、司祭や修道者たちが正しく典礼を執行すれば、会衆や聖歌隊は何をしても(というと言いすぎかもしれませんが)よいという風潮が次第に広まっていきました。せっかく整理されたミサ曲なども、作曲家が自らの表現をするための作品となり、テキストの大幅な繰り返しや楽器の演奏が長く続くようになっていきました。「あわれみの賛歌」も本来は Kyrie eleison 、Christe eleison、Kyrie eleison をそれぞれ3回繰り返すだけだったものが合唱や独唱者が何度も繰り返して歌い、必要以上の長さになっていきました。これは他のミサ曲でも同様でしたが固有のところに関してはそれぞれのところで触れていきます。

(典礼音楽研究家)


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