新約聖書で一番最初に書かれたのが何か、ご存じですか? そう、パウロの書簡です。なかで「テサロニケの信徒への手紙一」が一番初めに書かれたとされています。福音書の方が先に書かれたように思えるけれど、実はそうではないのですね。4つの福音書の中で最初に書かれたのはマルコ福音書です。
たくさんのパウロの手紙が残されていますが、これらの多くは福音書よりもずっと先にAD50年代に書かれたものとされています。マルコ福音書が60年代、マタイとルカが70〜85年頃、そしてヨハネは90年代後半に書かれたというのが定説です。
一番最初に書かれた新約聖書、つまりパウロの手紙には書かれていないことがたくさんあるときいたら、何か気がつきませんか?
勘のいい方は気がつくでしょう。
まず、パウロの手紙には、マリアが出てきません。
それから、イエスの誕生も、イエスの説教やたとえ話もほとんど全くといっていいほど触れられていません。「善きサマリア人」も「放蕩息子」も「山上の垂訓」も「マグダラのマリア」もでてこないのです。
これってどこかヘンですよね。どうしてこういうことが起こるのでしょうか? 聖書のおもしろさは「パウロはなぜこれらのことを書かなかったのか?」という理由をあれこれと想像してみることにもあります。
推察できるわけをおもいつくままに挙げてみましょう。
まずパウロはこれらのことを知らなかった。マリアのこともイエス誕生のいきさつも、イエスのたとえ話も聞いていなかった。それらの話はパウロの時代にはまだ一般的ではなかった。一部には伝えられていたかもしれないが、パウロの耳には入ってこなかった。
パウロは知っていたが、これらは大事なことではないとして無視し、手紙でも触れなかった。
いずれにしても、パウロの時代よりも後にこれらの話が、イエスについての資料に追加されたということでしょう。
パウロはペテロ達の所に2週間も滞在しています。その間、イエスについて実際に有った事は細大漏らさず聞いていない筈が有りません。パウロの性格を考えても、それをすべからく書簡の中で繰り返し語っていない筈はありません。
パウロ書簡の中では量的にはそのような内容は少ないけれど、それこそがイエスの実像です。
それでは福音書の内容は一体何なのか。 それは単純明快で自ずと分る筈です。