グレゴリオ聖歌 5


齋藤克弘

カロリング朝フランク王国の政策の一つとして、ガリア典礼とガリア聖歌のローマ化がはかられたわけですが、実際には両方の典礼、聖歌の混合したようなものが広まっていったわけです。楽譜の話でもふれたように、グレゴリオ聖歌がガリアをはじめとするアルプス以北の修道院で広まるにつれて、その中のどこの修道院が起源かはわかりませんが、ネウマ譜が作られるようになります。このころから修道院の数も増えていき、修道院間の交流も活発になっていったことから、楽譜は各地の修道院へ普及していきます。楽譜が普及していくということは、単なる耳覚え(口伝)ではなくなるわけですから、共通の旋律や共通のニュアンスで歌えることになります。現代に続くグレゴリオ聖歌はこうして記録されるようになりました。歴史に「もしも(イフ)」ないのですが、もしも楽譜の発明が教皇グレゴリオ1世、もう少し後の時代、カロリング朝フランク王国の成立前であったら、古いローマ聖歌が現代まで歌い継がれていた可能性もあったかもしれません。

それにしても、どうして教皇グレゴリオ1世時代のローマではなく、カロリング朝フランク王国の時代のアルプス地方の修道院でネウマ譜が発明されたのか。一つだけ言えるのは、ジャレド・ダイアモンドが指摘するように、人口の多いところで発明の可能性が高まったということ以外には結論付けることができません。この場合の人口とはヨーロッパ全体の人口というよりも、修道院の人数(修道士の数)と言ったほうがよいでしょう。

この楽譜の発明に関しても、実は、どこの修道院でどういう修道士が楽譜を発明したかについては全く知ることができません。現代に生きるわたくしたちにはかなり理解が難しいのですが、まず、修道士というのは個人的な私物を所有しません。敷地や建物、祭儀に使う者から始まって、食器や果ては衣服に至るまですべてが修道院の資産です。いわば修道院が一つの人格体となってすべてを所有しています。言ってみれば人間の細胞が意識を持たずわたくしたち一人ひとりが意識を持っているのと同じような感覚ですね。修道士一人ひとりは物も所有せず、修道院あるいは院長の決定したことに必ず従います。ちょっとわたくしたちの生活からは考えられませんがそういうところで発明されたものは、個人の発明・発見であってもその人が今でいう著作権や特許権を主張することはなかったので、誰が発明したのかはわかっていないのです。

さて、このような楽譜の発明はグレゴリオ聖歌を広くヨーロッパ各地に広めるものとなりました。それまで口伝えで歌われていた古

Vera Minazzi(ed),Musica: Geistliche und weltliche Musik des Mittelalters,(Herder 2011) 48.所収

ローマ聖歌やそのほかの地方の聖歌でも記録されるようになったものがあったかもしれませんが、グレゴリオ聖歌の場合は楽譜をもって修道士が修道院間を行き来したか、楽譜を知っている修道士が自分の記憶を頼りに他の修道院で楽譜を書いて記録として残したのかもしれません。いずれにしても記録されたものは記憶のみのものに比べて、共有できることが確実であり、共有できる範囲が広くなります。記録されていなかった聖歌は記録された聖歌グレゴリオ聖歌にとってかわられていったとしても致し方のないことだったと思われます。

ところで、いずれこのことについても詳しく触れる機会があると思いますが、この時代の楽譜は「羊皮紙」という羊の皮に書かれました。中国からイスラム世界を通してヨーロッパに紙が伝わるのは11世紀頃です。しかも、まだ貴重品ですから、そうやすやすと手に入れることができるものではありませんでした。それは羊皮紙も同じで、羊の皮で作られているのですから、羊を飼っているか羊の皮を手に入れることができる、財力のあるところでなければなりません。とても一般の個人が手に入れることができるものではありませんでした。

また、印刷技術もありませんでしたから、グレゴリオ聖歌の楽譜もすべて手書きで写さなければなりませんでした。そのためには、相当の時間はもちろんですが、きれいに確実に書くことができる技術も必要でした。修道院ではグレゴリオ聖歌の楽譜以外にも聖書の写本、さらに典礼で用いる様々な儀式書の写本が作られましたが、このような写本は写本専門の修道士が何日も何か月もかかって作っていったようです。

話が少しそれてしまいましたが、グレゴリオ聖歌の楽譜はこのように財力を持つ修道院で専門の修道士によって作られました。それでは、この時代どのような人たちがグレゴリオ聖歌を歌っていたのでしょうか。おそらく、お読みの皆さんには想像がつくとは思いますが、次回はこの点からグレゴリオ聖歌を探っていきたいと思います。

(典礼音楽研究家)


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