スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 28


古谷章・古谷雅子

5月25日(木) ブルゴス~オンタナス(1)

歩行距離31.3㎞(巡礼路のみの距離、散策見物などは含まず)
行動時間8時間5分(含休憩、飲食)

 

今回の行程を予習していると、多くの資料や記録に「荒涼」「単調」「退屈」「遮るものがないメセタ(800mから1000mの広い高原台地)の大地」「麦畑しかない」等と書かれており、時には記述そのものが全くない。そんな形容通りにつまらないはずはあるまいと思っていたがその通り、楽しい充実した行程だった。

朝5時半起床。簡単な朝食を部屋で済ませる。6時15分出発。前回、前々回ともこの時刻ではまだ真っ暗だったが、今回は夏至も近い。薄暗いがヘッドランプを使うことなく順調に巡礼者を導く「黄色い矢印」を見つけ、アルロンソン川を左岸に渡り西へ向かう。爽やかな気温だ。自動車の行きかう道路を避けて川の南側の公園の遊歩道に入った。天を衝くような立派な並木がトンネルになっている。驚いたことに雪が積もったかと見紛うような真っ白いフワフワの綿毛が数センチの厚さで道の両側の草地一面を覆っている。昨日は風に舞うシダレヤナギの柳絮を見たが、これは並木であるポプラの綿毛だ。まさにそれが舞い落ちる季節なのだ。あとで調べたところ、昔はポプラの綿毛は有用で、集めて枕やクッションを作ったそうだ。ポプラのほかにもプラタナスやトチ(マロニエ)の巨木がゆったりと茂る公園が終わったところで思いがけなく壮麗な施設に突き当たった。幻想的な並木はそこに至る道だった。なんと優雅なシークエンスなのだろう。

ここはサンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院。12世紀後半に建てられたシトー派の修道院で、もとは王室の保養所のような施設だったという。ロマネスク、ムデハル(レコンキスタ後も納税を条件にスペインに残留したイスラム教徒)、ゴシック、ルネッサンスの様式が時代の変遷とともに折衷されていった大きな要塞のような施設で、特に中庭のロマネスク様式の回廊が素晴らしいという。このように時代を跨いだ「増殖性」はスペイン建築の特徴らしい。今回はロマネスク建築を見る楽しみも抱いてきたのだが、見学時間は10時から。立派な外壁のみを見て先に進んだ。この後の行程でも、巡礼路から少し外れれば訪れたい建物や遺跡があるものの、徒歩で寄るには遠かったり、公開時間が限られているのであきらめたところが何か所もあった。

近郊のビジャルビジャ・デ・ブルゴスの集落を迂回するといよいよ麦畑が始まった。「荒涼」などではない。今の季節では「豊穣」な、滴るような緑の大地だ。道端に自生する植物も多彩だ。フェンネルのようなセリ科の花、カラスノエンドウ、アブラナ、控えめな白いノバラ、カモミール、そしてまるでわざわざ植えたようなたくさんの真っ赤なヒナゲシが途絶えることなく咲いている。麦畑も種類や撒き時によって緑色が異なり、またすでに金色に色づき始めたころもありパッチワークのようで面白い。

メセタでは6月から農作業が本格的に忙しくなる。5月下旬はその前の美しくのんびりしたひと時らしい。草刈りも堅いアザミやビロードモズイカがある程度出てからするそうで、今はまだ野生の命が生き生きとしている。

12㎞ほど歩いたラベ・デ・ラス・カルサダスでバルに入る。搾りたてのスーモ・デ・ナランハ(オレンジジュース)、カウンターに並んでいたチョリソ(ソーセージ)と大きなクロワッサンもあまりに美味しそうなので頼んだ。巡礼手帳へのスタンプをお願いするとご主人が細い紐に通した小さな聖母マリアのペンダントを記念にくれたのも嬉しかった。

麦畑だけといっても山越えのような起伏がある。安野光雅の絵の中を歩いているようだ。日陰はない。暑くなってきた。出発から20㎞、標高996mの丘を越えてオルニージョス・デル・カミーノでまたバルに入りコーラを頼む。しばしばバルに入る理由は飲食だけではない。トイレを使うためだ。道中に日本のような公衆施設はない。バルのトイレを使うしかないが、それには飲食するか買い物をするのが礼儀だからだ。ここをブルゴスから最初の宿泊地とする人も多いようだが、まだ昼前だし天気も上々なので、もう10.6㎞先のオンタナスまで行くことにした。

 


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