空白と反復


柄谷凜(東京教区信徒)

一体どれほどの時間とエネルギーを、宗教について悩んだり考えたりすることに費やしてきただろう。それも虚しく。宗教をめぐる葛藤は、私という人間をつくり、また私から人生を奪った。私は、宗教を追求すると同時に、宗教から逃れようとしてきた。これは矛盾だから、はじめから失敗を運命づけられた企てのはずだった。しかし不思議なことに、それらの相反する課題は今、共に果たされたと感じている。

私の宗教との関わりは、小学校に上がる前に、父にキリスト教の日曜学校に送られたことに始まった。私はほどなく自分をキリスト教徒だと思うようになった。しかし、その何年か後に父は、ある小さな新興宗教に入り、いやがる私を無理に連れていった。その何年か後には同じことがあり、そしてそれはさらにもう一度繰り返された。父は、愛情深く知的な人だったが、破綻したところがあり、また自分の価値観の共有をしばしば暴力的に迫った。

一つの宗教というのは、一つの包括的な世界観と結びついている。だから、宗教を変えることは、世界観の総入れ替えを伴う。それを強制されるというのは、何ともいえず嫌な、そして屈辱的なことだった。関わった個々の宗教は、悪いものだという感じではなく、それぞれに心惹かれる面もあったが、そういう問題ではなかった。私は異なる世界観に引き裂かれて足場を失い、底なし沼に沈んでいき、必死にあがいた。

私は、宗教全般に対してアンビヴァレントな思いを抱くようになった。一方で、宗教には、何とは分からなかったが、非常に大切なものが隠されているような気がした。他方で、宗教は倒錯した病的なものだと感じられた。それは美しい理想にあふれていていたが、同時にそこには、思い込み、こじつけ、ごまかし、押しつけ、独善などがからみついていた。宗教を受け入れることもできず、かといって捨てることもできない、そんな葛藤が、大人になってからも私を悩ませ続けた。馬鹿馬鹿しい悩みのようだが、私にとっては、自分を芯から蝕んで生命力を吸い取ってしまうようなものだった。

自分が何に悩んでいるのか、それすらよく分からなかった。宗教のことで悩んでいるのか、それとも宗教はただの隠れ蓑で、本当は他の問題なのかもしれない。いや、それならまだましで、単に自分が甘やかされた立場にいる暇人であるためにどうでもいいことが重大事に思われているだけなのかもしれない、そんなふうにも疑ったが、答えは分からなかった。

今思えば、そのすべてがそれなりに正しかったと思う。私を悩ませていたのは、宗教でもあり、宗教とは関係のないことでもあった。それらは、どちらがどちらであるか分からない形で発生した。そして、もし私が生活のために朝から晩まで必死で働かなければならないような立場にあったら、そんなことで悩み続ける余裕はなかっただろうから、それは私の比較的余裕のある立場がもたらした問題であったともいえるだろう。多分、物事というのは、そういう錯綜した形でしか経験されえない。ここからここまでが宗教の問題で、ここからは別の問題、ここまでは本質的な問題だが、ここからは非本質的な問題、というようにはっきり分けられない。だから、厄介なのだろう。しかし理屈のための理屈ではない、生きた問題というのは、常にそういう難しさをもったものなのだと思う。

フロイトの概念に「反復強迫」というものがある。人は、トラウマとなるような経験、特に幼少期の経験を、その後の人生で無意識のうちに再現しようとする、というものである。たとえば、暴力的な父親に育てられた娘が、大人になってなぜかわざわざ暴力的な男性を選んで結婚し、その上その状況に甘んじて抜け出ようとしない、というような例があげられる。この仮説に自分の経験を当てはめてみると、辻褄は合う。

私は、父に庇護されると同時に縛り付けられた。そして、父の期待に応えようとすると同時に父から逃れようとした。そのような幼少期のアンビヴァレントな経験を、私は無意識のうちに舞台を変えて再演し続けてきた。たとえば私は、常に哲学や宗教を求めてきたが、同時にそこから逃れようとしてきた。それらを求めたのは、納得いく世界観を得たいと願ったからだ。しかし固定的な価値体系というのは人を縛るものだから、哲学や宗教を嫌ってもいた。ここにあるアンビヴァレンスを、幼少期の経験の反復だと考えることができる。私は血で血を洗い、葛藤は解決するどころか肥大していった。このような説明は説得的ではある。しかし、ジル・ドゥルーズはこう言っている。

「反復されることになる最初の項などは、ありはしないのだ。だから、母親へのわたしたちの幼児期の愛は、他の女たちに対する他者の成人期の愛の反復なのである。(……)反復のなかでこそ反復されるものが形成され、しかも隠されるのであって、そうした反復から分離あるいは抽象されるような反復されるものだとは、したがって何も存在しないのである。擬装それ自身から抽象ないし推論されうるような反復は存在しないのだ。」

(『差異と反復』)

この魅力あふれる言葉を要約しようなどというのは気が引けるのだが、簡単にいうと、大体こういうことだろう。トラウマとなるような原体験というようなものは、実際には存在しない。現在の経験を過去に投影し、原体験なるものをつくりあげているだけだ。しかしその原体験は、ただ虚構だといってすむものではない。人は、そういう虚構を積み上げていくことを通してしか物事を認識することはできないからだ。

これはこれで、非常に納得のいく考えではある。そもそも幼少期の、それも被害者意識にまつわる記憶などは、歪められたものである可能性が高い。自分の葛藤を、幼少期の経験に由来するものと考えるのは、短絡的なのだろう。そもそも理由など、どうとでもでっちあげられるものだ。それでも、私にとって宗教との関りは、常にアンビヴァレンス・葛藤として経験されてきたということは、一応事実といっていいかと思う。そしてその経験が、私の人生を圧倒してきたことも。

しかしいつからか、その葛藤が、イエスの内に包み込まれていくような感覚が生まれた。キリスト教への反発と共鳴が拮抗する状態が長いこと続いたあと、じょじょに共鳴の割合が高くなっていった、そのような流れの中で起こった変化だったと思う。

念のためにいうと、キリスト教への共鳴というのは、キリスト教の教義をそのまま信じることではない。公平に言って、キリスト教の教義は、平均的な現代人にとって信じられるようなものではないだろう。少なくとも、文字通りの事実としては。たとえば、イエスが復活したことが全人類の救いの唯一無二の根拠である、という教義を文字通り事実だと受け止めている人は、キリスト教徒のなかにもあまりいないのではないか。トマス・ホッブズは、キリスト教の教義をすべて信じていなければキリスト教徒ではないということなら、この世にキリスト教徒は一人もいなくなってしまうだろう、と書いている。一六世紀にしてすでにそうだったのだ。自然科学が知のフォーマットとなった時代を生きる、それも哲学という、疑いを使命とするようなものに傾倒してきた私のような人間にとっては、なおさらだ。

シモーヌ・ヴェイユ

ところでこれは、素直に(独善的に、ではなく)教義を信じている人への批判ではない。私は、いつもそういう人たちに憧れを抱き、自分もそれに倣いたいと密かに願ってきた。しかし、私がそうしようとすれば自分を欺く他ないことに気づき、あきらめざるをえなかったのだ。私の中で次第に大きくなっていったキリスト教への共鳴というのは、イエスへの魅了、特定の神学者や信徒への尊敬、キリスト教文化への愛着などが混ざり合った、漠然としたものだった。それが少しずつ大きくなっていき、いつの間にか閾値を超えた。すると私は、雪崩のようにキリスト教のうちに崩れ落ちた。

私は今、自分に信仰があると感じている。しかし、信仰とは何であるのかを語ろうとすると、とたんに言葉を失ってしまう。そのとき、思い出す出来事がある。はじめて日曜学校に行った日、五歳くらいの私は、集会場、というよりは飯場のような小屋の中で折り畳み式の椅子に座っていた。先生か誰かがやってくることになっていて、それを待っていたのだと思う。小さな窓から日差しが差し込み、目の前には演台があった。そこにぼんやりと座っていると、まったく唐突に、自分が何かにひどく感動していることに気づいた。涙が出てきた。何の脈絡もないことだったので、何に感動したのかは分からなかった。「ああ、そうだったのだ」と深い納得を覚えた。しかし、何が「そうだった」のかもやはり分からなかった。

今、私にとって信仰とは、この日に抱いた不思議な感覚に近い。とはいえ、私が長年の七転八倒の末に得た感覚は、最初のときとは異なり、一度にではなく、じょじょに生まれた。長い年月の間にイエスとの関り――聖書を読む、神学を学ぶ、祈るなど――を重ねるうち、ある頃から深い納得の感覚をもつようになった。しかし奇妙なことに、それで何に納得したのか、ということは分からないのだった。教義に納得したのではないし、神学に納得したのでもない。そういう言語化できるようなことに納得したのではなかった。納得の内容は、いってみれば、〝ない〟のだ。

感覚的な説明を試みると、次のような感じになる。私はふとそこに、茫漠とした空白が広がっていることに気がついた。そしてその空白は、私に納得と安心をもたらした。私の中では、その空白とイエスとは、分かちがたく結びついていた。イエスを思うと空白がたちあらわれ、空白を思うとイエスの存在を感じる。私には、イエスが誰であるか分からない。イエスが何者であるかという答え・説明を持たないという意味だ。その意味では、イエスもまた空白なのだった。このような経験については、長いこと言葉にできずにいた。うまく説明できるようなことではないし、また誰かに言って分かってもらえることとも思えなかった。

最近になって、偶然、カール・バルトが、信仰とは「空洞」であると書いていたことを知った。空洞とは「一切のものの破却」である、という。また、シモーヌ・ヴェイユが、恩寵を受け入れるためには自分の内に「真空」がなければならないと書いていたことも知った。バルトは、私が愛読した神学者の一人で、ヴェイユの『神を待ち望む』は、十代の頃わけもわからず繰り返し読んだ偏愛の書だった。しかし、「空洞」「真空」のことは知らなかった。たんに忘れていただけかもしれないけれども。ともかく、彼らの言っていることと、私の「空白」には響き合うものがあるように感じた。とはいえ、私の経験は、「一切のものの破却」というような徹底したものではない。もっとずっとささやかなものだ。ただそれによって、何十年にもわたる葛藤が鎮まっていった。そして、それまで理念の外化・象徴としか思えなかったイエスを、生きた存在として身近に感じるようになった。

キルケゴール銅像

キルケゴールに「反復」という概念がある。キルケゴールの反復は、フロイトの反復強迫における反復とは異なる。フロイトの反復は、無意識のうちに我知らず繰り返してしまうという、呪いのようなものだ。対するキルケゴールの反復は、繰り返したいのにどうやっても繰り返せないものだといえる。いったんそれを経験しても、自分の力で再現することはできない。それは、その都度新たに生起するほかない。

考えてみれば、それは当然のことだ。出来事というのは、こちらには見通せないような因果性の糸で織りなされた、人、時などの全体の状況と分かちがたく結びついて起こる。私たちには、ある経験がどのような因果関係によって生起したかということは分からないから――さらにいえば、私たちが想定しているような意味での因果性が実在するのかどうかすら分からないから――、同じ経験を再現できない。

キルケゴールにとって、反復とは、信仰の別名だった。彼は信仰を、繰り返しえないものの反復であるとしている。繰り返しえない、というのは、自分の力で再現できない、ということだろう。それは神の側から一方的に与えられるものであり、自分の努力によっては獲得できない。だからこそそれは、ただの繰り返しではなく、いつも新しいのだ。キルケゴールは、「反復は、それが可能であるならば、人を幸せにする」という。

私は冒頭で、宗教をめぐる自分の中の相反する望み――宗教の追求と、宗教からの逃走――が共に果たされたと感じている、と書いた。それをもたらしたのは、全く予期しなかったもの、空白だった。空白は、いつも新たに私のもとに訪れてきて、私を包み込む。いわば「反復」として。空白は、生きた実在として直観されるが、対象化されえないため、そこにあって悟性は気絶したようになる。

私のうちではいつも、キルケゴール的な反復はフロイト的な反復と重なり合い、混ざり合っている。いまだ私は、得体の知れない亡霊にどうしようもなく憑りつかれており、それを振り払うことができない。しかしそのとらわれは、自身の殻を破って未知のものをあらわそうとしている。

キルケゴールがいうように、反復は私を幸せにしただろうか。分からない。空白は、幸不幸といった意味の世界よりも大きく、それを包み込んでいる。そのことのうちに、幸福があると言えるのかもしれない。しかし、あえてそうはせず、空白を空白のままに受け止めていたいと思う。

 


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