ロシアの反戦プロジェクト:《森を抜けて行こう》 「一人でも引き金を引かなかったり一人でも脱走兵が投獄されなかったらわたしたちのプロジェクトは大成功です」


大井靖子(カトリック調布教会)

わたしの新しい冒険

82歳になる少し手前で、わたしの新しい冒険が始まった。
それは毎朝起きるといちばんに、祈りとともにワンコインを手製の布の貯金袋に入れることである。1ユーロは日本円に換算するといくらになるか、50ユーロはいくらになるかなど、わたしのまったく苦手な計算も新しい経験だった。
ほぼ1万円が貯まると、手数料を入れて、1万円以下で50 ユーロを先方に送金できるようなので、早速、キャッシュカードを使ってインターネットで送金したが、思い違いや手続きに不備はなかったのか、気が気でなかった。
すると、半日もたたないうちに、「こんにちは!《森を抜けて行こう》に支援をありがとう! いっしょに戦線の両陣営の、さらに多くのいのちを救い、戦争を終結に近づけましょう」というロシア語のメールが、バルセロナの《森を抜けて行こう》のスタッフから届いた。領収書には、50ユーロ、日本円で8983円とあり、ほっとした。

 

大勢のボランティア、弁護士、カウンセラーに支えられた活動

《森を抜けて行こう》(идите лесом)は、2022年2月24日、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって約半年後の9月21日、インターネット上に開設された(ロシア国内では現在、ウェブサイトがブロックされている―訳者注、以下()内は訳者注)。
このプロジェクトの目標は、できるだけ多くのロシア人が戦争を回避できるよう支援することにある。
具体的には、動員や徴兵の脅威にさらされている人びとには心理面でのカウンセリングや法的支援など、すでに軍隊に所属している人びとには脱走し、非合法的に国境を越え、安全な場所で生活する援助、また降伏し捕虜になるときのアドバイスなどを行っている。
プロジェクトを立ち上げたのは、サンクトペテルブルグ国立大学経済学部を卒業、さらにオックスフォードサイドビジネスなどを修了し、銀行や企業に勤務した後、サンクトペテルブルグのホームレス支援団体「ノチレシュカ」(木賃宿)でボランティア活動を続けてきたグリゴーリー・スヴェルドリン氏である
スヴェリドリン氏は、2011年から軍事侵攻開始まで11年間は同団体の代表をつとめてきたが、反戦を公に表明した後、ノチレシュカを離れ、現在、ジョージアのトビリシに住む。彼は「外国のエージェント」のリストに記載され、指名手配中である〈つい最近、ロシア軍に関する虚偽の情報を流した罪で、懲役6年の判決が下りた〉。
プロジェクトには、一人の女性と二人の男性が加わり、広報、支援、救護、避難部門の責任者として活躍しているが、いずれも議員補佐官や映画評論・美術評論家などの経歴の持ち主で、侵攻開始後は三人ともに反戦を表明し、ロシアを去っている。
以上4人のスタッフの周囲では、数百人のボランティア、弁護士、カウンセラーたちがプロジェクトに携わり、活動を支えている。
わたしは、より詳しい情報を得るため、この5月から2週間おきにプロジェクトから直接送られてくるニュースレターを受けるようにしたが、7月28日配信ニュースレターによると、《森を抜けて行こう》の援助で、これまで5万人以上の人が兵役を免れ、2167人以上の脱走兵が無事、戦場を脱出できたそうである。
金銭的には、主として支援者からの毎月の定期的カンパや、単発的カンパによって支えられているが、それだけではない。ロシアの軍事侵攻に反対する、さまざまな国の、さまざまな人びとが、さまざまなイベントを企画し、積極的にプロジェクトを応援している。
その一例として、ベルリン、アムステルダム、ニース、バルセロナでは、抵抗、連帯、自由をテーマにした反戦ツアーが行われ、ジョージアとアルメニアでは、20軒以上のバーが「武器よさらば」「森を走ろう」「戦争反対」という名のカクテルやショットを用意し、収益の10~100%をプロジェクトに送っている。

 

ある脱走兵の物語―7月14日配信ニュースレターより

 脱走希望者は、2023年夏-381人
2024年夏-1104人
2025年夏-1171人
と、年々、増加している。
マクシム〈匿名〉は2回、戦場に送られ、数回、戦闘行為を拒否し、ロシアを脱出し、国外で23歳の誕生日を迎えた。
物語の発端は、2021年 12月、通常の義務兵役中の彼が、軍隊に召集されたことに始まる。2 か月後の2022 年2月24日、マクシムたち19~20歳の兵士たちに、「ドンバスのロシア語を話す住民を守る対テロ作戦」の開始が言い渡されたが、テレビはなく、大多数が携帯電話のニュースを読まず、本当の戦争が始まるとは誰も思わなかった。
2022年春、マクシムたちは補給部隊に配属され、ウクライナ国境のロソッシに向かった。そこで彼らを出迎えたのは、酔っ払いの准尉だった。准尉は数日後、ピストルを突きつけ、「サインしなければ、どうなるかわかっているか」と脅かしたので、マクシムは契約書にサインした。
ルガンスクでは70台の戦車縦隊の一員として、都市を破壊。ロケット弾ストーム・シャドウで、仲間の8人負傷、6人が死亡。
2023年、マクシムは“平和に勤務する”ため、シベリアのケメロヴォ州に移ったが、またも突撃部隊に送られたので、上申書「信条による兵役拒否」を提出した。その結果、ロストフからグコヴォへ連行され、工場の建物の中で、FSB(連邦保安庁)の隊員たちに訊問され、国家への裏切りであると非難され、《森を抜けて行こう》との結びつきを追及された。
「自分の罪を認めないなら、穴に埋めてしまうぞ」と脅かされたが、マクシムは自白書にサインしなかった。間もなく彼は、ルガンスク州クレメンナヤ戦車狙撃大隊に入れられ、前線に送られたが、戦闘行為を拒否したので、殴られ、森の中の深さ3メートルの、頭上は格子でふさがれた穴に突き落とされた。食べる物は1日2回、パンとソバだけだった。
それから今度はエンジニア中隊に移され、そこで彼は、再度、脱出路を探し始めた。
脱出路は、2024 年9月、アジゲヤ(カフカース)派遣中に見つかった。将校たちがアルコール飲んでいるとき、マクシムはブラブラカー(国際オンライン相乗りサービス)を確保し、ドライブに出かける振りをして市内を抜け出した。SIMカードを交換し、SNSを削除し、すべて現金払いにした。
11月、《森を抜けて行こう》と連絡がつき、スタッフの支援でロシアを脱出できた。マクシム:「ポケットには1万ルーブル(約2万円)だけでした。それでも友人も知り合いもいない国へと旅立ちました。そうでもしなければ、生き残れないってわかっていましたから……。ぼくは今、生きています。」
本格的なウクライナ侵攻が始まって以来、軍事法廷は所属部隊を許可なしに放棄・離脱する脱走兵に対して、少なくとも7700件の判決を下しているが、そのうち500件以上の事件で、“囚人たち”は拘置所に送られ、説得されたり、新しい契約に署名したりするよう強制される。
しかし、脱走兵の事件は、たいていの場合、法廷に持ち込まれないことが多く、彼らは捕らえられ、殴られ、何週間も連絡も弁護士もつけられないまま、穴に閉じ込められ、そして、再び前線に送られ、攻撃を強いられる。
マクシムの物語は成功例であるが、8月25日配信ニュースレターには、逃亡生活に耐えられず、脱走をあきらめ、行方不明になった兵士の物語など、悲劇に終わった例がいくつか紹介されている。

 

決して人間への信頼を失わないでください

ロシアの人権擁護団体OVD‐Infoによると、現在、ロシアで政治的な理由で迫害されいる人は3850人、投獄されている人は1656人、このうち反戦運動のために迫害されている人は1238人、投獄されている人は358人に及ぶ。

拘置所や収容所での苛酷になる一方の拷問については、国際的にも大いに問題視され、欧州議会の議員などから非難を浴びているが、昨年は北極圏の矯正労働収容所で反体制政治家アレクセイ・ナヴァーリヌイ氏が毒殺され、ハバロフスク近郊の拘置所ではピアニストのパーヴェル・クシュニル氏がハンガーストライキ中に亡くなっている。

アレクセイ・ゴリノフ元モスクワ市議会議員は、法廷での被告人最終陳述でつぎのように訴えている。

「戦争は善悪の境界線を消し、人間性を抹殺させる最速の手段です。戦争は常に暴力と血、引き裂かれた肉体、もぎとられた手足です。常に死です。わたしは戦争を拒否します。…なぜ多くのロシア人が国を去り、戻ってこないのでしょうか? なぜ突然、わたしたちの国に大勢の敵ができたのでしょうか? わたしたちに何か問題があるのではないでしょうか? せめて今、起きていることをいっしょに考える機会を与えてほしい。

それは、わたしたちの憲法で保障されている権利です。」

重い病を患うゴリノフ氏は治療も受けられないまま、アルタイ地方の矯正労働収容所の独房に監禁されている。

ロシアでの反戦行動に対する苛酷な弾圧に関して、いろいろ読んでいると、気が滅入ってきて仕方がない……。

最後にご紹介したいのは、東シベリア・ハカス共和国の刑務所に投獄されているミハイル・アファナーシェフ氏の、最終陳述での子どもたちへのメッセージである。彼はインターネットマガジン「ノーヴィ・フォーカス」編集長で、政治犯として投獄されている39人のジャーナリストの1人である。

「子どもたちに言っておきたいことがあります。わたしの身に起こったことで、人間の中の良きものに対する信頼が決して揺らぐことがないようにしてください。いつかパパと話したことがあったでしょう―あなたたちの持っている中でいちばん良いものは、弱い人を助けることと、他者への思いやりと愛です。……心から愛しているよ! すべては必ず元通りになります、だから決して人間への信頼を失わないでください。」

追記:二人の友人に、それぞれ別の機会にワンコイン貯金の話をすると、わたしのフトコロ事情を察して、即座にカンパを申し出てくれた。おかげで、3回目のカンパとして、今度は奮発して100 ユーロを送ることができた。 (2025 年9 月21 日)

(資料)森を抜けて行こうニュースレター、OVD‐ Info、ノーヴァヤ・ガゼータ、ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ

 


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