伝統的にカトリック教会では7月24日に聖クリスティーナを記念します。古代に苛烈な拷問を受けて殉教した聖クリスティーナは、中部イタリアを中心に崇敬を集め、「サンタ・クリスティーナ」というワインの名前にもなっています。今回は、中世以前の聖人伝の宝庫であるヤコブス・デ・ヴォラジネの『黄金伝説』の記述をもとに、聖クリスティーナについて学んでみましょう。ただし、彼女の壮絶な拷問を想像すると食欲もワインを飲む気も失せてしまうかもしれないので、ご注意あれ。
キリスト教を厳しく弾圧したディオクレティアヌス帝の時代のローマ帝国に生きた聖クリスティーナは、裕福な異教徒の家庭で生まれ育ちました。器量のよいクリスティーナに求婚する男たちは多くいましたが、彼女の父ウルバヌスは、クリスティーナをローマの神々に仕える巫女にしようと考え、自分の娘を塔に監禁しました。塔に閉じ込められ、金や銀でできた偶像を拝むように強いられたクリスティーナでしたが、ある時、彼女に聖霊が臨みます。
聖霊の導きによってキリスト信者となったクリスティーナは、偶像崇拝を拒み、父と対立しました。
「私はユピテルやユーノーといった神々ではなく、唯一の神様を拝みます。」
「娘よ、一柱の神様だけ拝んだんじゃ、ほかの神様が嫉妬しちゃうだろう。沢山の神様たちを拝みなさい」
「いいえ、私が拝むのは父と子と聖霊だけです」
「三柱の神々を拝むなら、ほかの神々も拝んだらよかろう」
「いいえ、お父様。父と子と聖霊は三であり一なのです!」
三位一体の神秘をウルバヌスに告げたクリスティーナは、金や銀でできた偶像を打ちこわし、その金銀を貧しい人々に分け与えました。このことを知ったウルバヌスは激昂し、12人の男たちに娘を打擲させました。ですが、クリスティーナは信仰によってこの肉体的苦痛を耐え、12人の男たちは疲れ果ててしまいました。これを見たクリスティーナは、「さぁ、あなたの神々に祈って、男たちにもう一度私を打つ元気を取り戻せるように願ったらどう?」と偽りの信仰に留まる父を挑発しました。娘の不敵な言葉に怒ったウルバヌスは、今度は彼女を牢へ閉じ込め、裁判にかけました。
自らが裁判官となったウルバヌスは、クリスティーナが神々を崇拝しないのであれば、彼女を勘当して拷問を加えると脅しましたが、信仰に燃える娘は父の脅迫には屈しませんでした。そこでウルバヌスは、実の娘の肉を釘で裂き、手足を折るという残虐な拷問を加えました。ですが、クリスティーナはこのような暴力には屈せず、自分の削がれ落ちた肉を拾い上げ、父に投げつけて言いました。「自分が生んだ肉を食らうがよい!」
このような拷問にも耐えるクリスティーナは魔女に違いないと思ったウルバヌスは、彼女の首に石臼をくくりつけて湖に投げ入れて溺死させるように命じました。水に投げ込まれたクリスティーナですが、今度は驚くべきことにイエス・キリストご自身が彼女を救いに来られ、湖の水で洗礼を授けてくださいました。なんと、クリスティーナはイエスから洗礼を受けたのです!
こうして名実ともにキリスト教徒となったクリスティーナは、その後も様々な拷問にかけられますが、神様に守られて信仰を貫き通しました。ある時はアポロ神殿に連れていかれて偶像崇拝を強制されましたが、クリスティーナが「砕けよ」と命じるとアポロの像は粉々に砕け散りました。別の時には呪い師が毒蛇をクリスティーナにけしかけましたが、その毒蛇はかえって呪い師を襲って殺してしまいました。クリスティーナは毒蛇に荒野へ帰るよう命じ、その後、死んだ呪い師を蘇らせました。
このように超常的な力のあったクリスティーナですが、ついに殉教の時がやってきます。まずは乳房を切り取られましたが、そこからは血ではなく乳があふれ出ました。続いて舌が切り取られましたが、それでもクリスティーナは喋ることができ、切り取られた舌を裁判官に投げつけました。眼に舌が当たって失明した裁判官は怒りに駆られて弓でクリスティーナを射抜き、彼女は天の父のもとへ帰っていきました。278年のことでした。
石川雄一 (教会史家)