心に残る瀬戸内の味


中村恵里香

私の両親は、広島出身者なので、東京の魚はおいしくないと、食卓に上る料理に魚がのることはあまりありませんでした。せいぜい出てきたのは、鰯か鯵でした。そんな食生活の中で、私がこんなに豪華と最初に思い出すのは、夏休みに行く祖父母の家での食事です。子どもの頃、身体の弱かった私は、夏休みに入ると、すぐに寝台車に乗せられ、広島に行くことが義務づけられていました。

夜19時ぐらいの寝台車の最上段に乗せられ、東京駅で見送られると本当に心細い思いをして列車に乗った記憶があります。早朝、広島駅に着くと、最上段の寝台車から車掌さんに抱きかかえられて降りた駅のホームには、祖父が待っていました。駅から5分ぐらいのところにある家に行くのですが、そこには祖母とダックスフンドが2匹待っていました。

祖父は、八百屋を営んでいて、隣は間口半間の小さな魚屋さんでした。その店の店主は、祖父と同じ年ぐらいの女性で、戦争未亡人だということは後に知りました。そのおばさんは、私が行くと必ず抱きしめてくれて、「大好きな魚をたくさん準備したからね」といってくれました。

鯛ご飯

そのおばさんの言葉通り、最初の夕飯は、鯛三昧です。大皿にもられた鯛の刺身、鯛の煮付け、鯛ご飯に、鯛のお吸い物。鯛づくしの豪華な夕飯です。でも、幼い私には全部は食べられません。そこで、翌日、翌々日は、その鯛を使ったさまざまな料理が出てきました。

最初は母方の祖父母の家ですが、1週間ごとに父方の祖母の家、父の姉の家と1ヶ月間各家でお世話になります。

父方の祖母の家に行くと、祖母は料理が得意なので、さまざまな料理が出てきました。その家で一番心に残っているのが東京でいうとばら寿司、広島ではちらし寿司でした。魚は一切入っていません。かんぴょうや干し椎茸、ゴボウ、にんじんを煮たものを寿司飯に混ぜ、上に桜でんぶと錦糸卵を飾ったものです。決して豪華な料理ではありませんでしたが、祖母の作る料理の味の絶妙さは、本当においしいものでした。

瀬戸内の海

伯母の家では、リヤカーを引いたおばさんが魚を売りに来ていました。そこでは生きたエビをさまざまに料理したものがよく出てきました。

3軒を1週間ごとに回る生活は、子どもの私にはすごく刺激的で、料理を習いつつ、瀬戸内の味を1ヶ月間堪能していました。

私の料理の原点は、この3軒の家で食べた料理の数々です。瀬戸内の新鮮な魚の味は、忘れられない心を打つ味です。

 


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