山田真人
前回の記事では、ソーシャルビジネスに取り組むことがキリスト教的に考える召命の体験にどのように繋がるのかという点を、ボランティアとそれを事業化する体験の具体例を通して考えてきました。今回は、ビジネス取り組む人が、その事業化の中で一つのサービスが全てと関わっているということを実感し、経済の仕組みから無償で与えられた被造物の神秘への祈りの気持ちにどのように繋がる可能性があるかを、考えていきます。
そのために、キリスト教の共通の記憶である旧約聖書の神学について、考えてみます。創世記の1章は、バビロン捕囚から帰ってきて、神を賛美する祭司たちが書いたとされる、祭司資料の一部とされています。その中では、「世界や歴史の現実の背後に神の根源的な秩序付けがなされている」ことが指摘されています(『新版 総説旧約聖書』、日本基督教団出版局、P.187)。バビロン捕囚後、紀元前580年頃は、バビロニアの神話も横行していたため、その影響を指摘される一方で、祭司資料は神への信仰が強く現れており、神が完全に混沌の状態から全てに役割を与える姿を描いています。こうして、被造物は全て一人の神が作ったというのが、キリスト者によって立っている信仰の根本で、捕囚のように苦しいときでも、その信仰を思い起こすことを求められます。だからこそ、信仰を思い起こすための被造物である自然(Ecology)が、重要なものとして神学的にもとらえられます。
このEcologyと同じ、Ecoが付いている単語が、経済(Economy)です。Ecoは、ギリシャ語で「家」という意味のoikos(オイコス)と繋がっており、経済も私たちの「家」である地球を構築するものになります。これを神が作った被造物と考えるのが神学の立場であるなら、経済を動かす私たち、特に信仰を持つ人々は、神に繋がるための行為として経済活動をすることにもなります。このプロセスにおいて、NPO法人せいぼは、ソーシャルビジネスを提案し、教会やカトリック学校とともに被造物を経済でさらに生かし、福音を現代化した上で教育に繋ぎ、将来のための投資としていくことを目指しています。
その一つとして、アフリカのマラウイで栽培されているコーヒーを例にとってみたいと思います。2024年10月現在、現地を訪問したスタッフによれば北部のミスク農園では、1日1食の十分な夕食を取り、子供を学校に通わせるには十分な収入を、農園主は得ることができるそうです。一方で、天然肥料が十分に行き届かず自己負担になっており、豚を飼うなど家畜の保護が必要になってきます。さらには、コーヒーを収穫してもその後すぐに収入があるわけではありません。取引ができるビジネスセンターまで運ばれなくてはいけませんが、長期間かかります。こうした課題もありながらも、現地ではコーヒーの付加価値が高く、共同体の成長にも繋がっている点から、ビジネスが続いています。
こうした自然環境の中で起こる困難を共有した上で、コーヒーを仕入れているアタカ通商株式会社は、生豆を仕入れ、現地のためにも将来的な継続性のある輸入をしようとしています。その方法の一つが、NPO法人せいぼを通した給食支援です。以上のような流れ、関わる人々とその課題を知った上で、カトリック学校や教会がコーヒーを取り扱ったり、授業に取り入れたりすることが、経済という「家」が自然環境として自分たちの前に主体的に現れることに繫がります。この経験を繰り返し、日本の皆さんと一緒に現地を成長させていくことが、NPO法人せいぼのミッションでもあり、共通の神への記憶を新しくすることにも繋がればと考えています。
山田 真人(やまだ・まこと)
NPO法人せいぼ理事長。
英国企業Mobell Communications Limited所属。
2018年から寄付型コーヒーサイトWarm Hearts Coffee Clubを開始し、2020年より運営パートナーとしてカトリック学校との提携を実施。
2020年からは教皇庁いのち・信徒・家庭省のInternational Youth Advisary Bodyの一員として活動。