祖父母と高齢者のために祈る教会


AMOR編集部

カトリック教会の教皇フランシスコは、2021年に新たに「祖父母と高齢者のための世界祈願日」(World Day of Grandparents and the Elderly)を導入しています。同教皇は新たな世界祈願日や月間の提唱者で、これまでも「被造物を大切にする世界祈願日」(9月の第1日曜日)、すべてのいのちを守るための月間(9月1日から10月4日)、貧しい人のための世界祈願日(年間第33主日)を定めています。

「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は毎年7月第4日曜日とされて、2021年7月からスタートしていますが、日本では今年2024年から、日本の「敬老の日」と関連づけるために、9月第3日曜日(つまり「敬老の日」の前日にあたる日曜日)に移行しています。この祈願日の新たな出発です。

ところで、教皇フランシスコはなぜこの新しい祈願日を導入したのか、その経緯と理由がまさしく2021年7月25日の第1回のこの日のためのメッセージで明らかにしています。

なお、すべての教皇メッセージはカトリック中央協議会公式サイトのこちらから閲覧できます。

 

教皇の心には、2020年からの新型コロナウイルスの全世界的感染拡大(パンデミック)の状況のもとでの高齢者たちの厳しい処遇、犠牲が大きな衝撃となったようです。そして、社会の中で孤独・孤立に追いやられ、十分な健康面・精神面の両方で、十分な保護を受けられていないという諸国でも見られる状況に対して心を痛め、社会的にも教会的にも、とくに人間的な交わりにより高齢者の生活における安心を目指していいます。

この世界祈願日が7月第4日曜日に設定された理由は、教会暦において、7月26日がマリアの両親、聖ヨアキムと聖アンナの記念日となっていることに関係しています。この二人は聖書には登場しませんが、新約聖書外典『ヤコブ原福音書』によるマリアの誕生、成長に関する物語に出てくる人物です。この外典が伝えるマリア伝説は、絵画やマリアに関する祝祭日の形成に大きな影響を及ぼしているものです。

このヨアキムとアンナについて教皇フランシスコは、こう語っています。

「イエスの祖父である聖ヨアキムも、子どもがいなかったために共同体から孤立していたと伝えられています。彼の人生は、妻アンナ同様、無益なものとみなされていました。けれども主は天使を遣わして彼を慰めました。彼が悲しみに暮れて町の門の外に立っていると、主のみ使いが現れていいました。『ヨアキム、ヨアキム、主はあなたの執拗な祈りを聞き入れられました』」

教皇自らも老人であるとのことを語り、「わたしがローマの司教(=教皇)の召命を受けたのは、いわゆる定年を迎え、これ以上新たなことはできないだろうと思い込んでいたときでした。主はいつもわたしたちのそばにいてくださいますが、いつでも、新たな招きをもって、新たなことばとともに、慰めを携えておられ、いつもわたしたちのそばにいてくださいます。お分かりでしょうが、主は永遠であり、決して引退なさいません。決してです」と力づけます。

こうして始まった「祖父母と高齢者のための世界祈願日」、そのメッセージは、第2回になると、高齢者自身にある使命を強く語ります。

「聖書が教えているように、長寿は祝福であり、老人は疎まれる存在ではなく、いのちを豊かに与えてくださる神のいつくしみの生きたしるしです。高齢者を世話する家庭は幸いです。祖父母を敬う家族は幸いです」

「わたしたちは、年を取ることは、肉体の自然な衰えやどうにもならない時の経過であるだけでなく、長寿というたまものでもあると気づくでしょう。年を取ることは、呪いではなく祝福です」

「老齢期は、舟に櫓(ろ)を置き隠退の身となる無益な年月ではなく、なお実を結び続ける年代です。わたしたちを待つ新たな使命があり、未来に目を向けるよう招いています」

「親愛なる祖父母の皆さん、親愛なる高齢者の皆さん。今のこの世界においてわたしたちは、優しさ革命の担い手となるよう招かれています。わたしたちが手にしたもっとも尊い道具、わたしたちの年代にもっともふさわしい道具を、もっとたくさん、もっと上手に使うことを覚え、それを果たしていきましょう。その道具とは、祈りです」

2023年の第3回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のメッセージは、同時期にポルトガルのリスボンでワールドユースデーが開催されていたことにちなみ、祖父母世代と若者世代の両世代間の交流ときずなをメインに語っています。聖書が示す、マリアとエリザベトの出会い(ルカ福音書1章)に、そその美しい模範があると語りつつ、「主は若者に、年を重ねた人たちとかかわることで彼らの記憶を大事に守りなさいとの呼びかけを受け入れるよう、そして高齢者のおかげで自分は大きな歴史の流れに属する恵みを与えられているということに気づくよう期待しておられます。一人の老人との友情を通して若者は、人生を現在の視点だけから均質化するのをやめ、必ずしもすべてが己の能力次第なのではないのだと胸に刻むようになります。そして高齢者にとって一人の若者の存在は、自分たちの経験が失われずに、夢がかなえられるという希望をもたらすのです」と告げます。まさしく多世代交流の勧めです。

Jan Victorsが描いたルツとナオミ

2024年の第4回のメッセージは、とりわけ高齢者の孤独・孤立のテーマに切り込んでいます。内戦、戦争に遭っている国々や地域の老人たちの孤立はもとより、先進国、とくに高齢化が進む社会において、老人と若者というふたつの世代を敵対させようとする社会の中にある操作に対して、警鐘を鳴らします。「たとえば、高齢者が必要とする社会サービスの費用を若者に背負わせることで、国の発展のための資金、ひいては若者のための資金を吸い取っている、という考え方が広まっています。この現状認識は歪んでいます。高齢者の生存が若者の生存を危うくしているとでもいわんばかりです。若者を支援するには、高齢者をないがしろにする、あるいは抹殺することが必要だといわんばかりです。世代間対立は錯誤であり、敵対文化に毒されていることの産物です。老人と若者を対立させることは、容認できない一種の操作です」と。

そして旧約聖書のルツ記が物語る老齢のナオミとその息子の嫁ルツとの関係を思い起こさせ、その中でルツが選択して、ナオミを見捨てないという決断を称え、そこにヒントを見て、呼びかけています。

「ルツの自由と勇気によって、わたしたちは新しい道へと導かれます。彼女の道に従いましょう。この若い異邦人の女性と年老いたナオミとともに旅をしましょう。今の習慣を変えることを恐れず、わたしたち高齢者のために、違う未来を想像しましょう。たくさんの犠牲を払いながら、ルツの模範を実践して高齢者の世話をする人、また一緒に生活する人のいない親戚や知人に日常的にそっと寄り添いを示している人、皆さんに感謝の意を表したいと思います。……高齢者に寄り添うこと、彼らの、家庭、社会、教会でのかけがえのない役割を認めることで、わたしたち自身も多くのたまもの、多くの恵み、多くの祝福を受けるのです」

「祖父母や高齢の家族に、優しい愛を示しましょう。自信を失い、別の未来が可能だという希望をもてずにいる人々を訪ね、ひとときをともにしましょう。切り捨てや孤独につながる自己中心的な態度に抗し、『わたしはあなたを見捨てません』と臆することなくいって別の道を歩む人の、開かれた心と喜びの顔を示しましょう」

このように「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の成立事情と、そこに込められている思いを教皇メッセージから聴いていくと、教会向けの呼びかけとはいえ、現代社会全体に瀰漫(びまん)するある傾向に対して、断固戦おうという強い意志も明らかです。

日本でも単身生活高齢者世帯が増加し、そこにおける、またそれに関連する、さまざまな問題や懸念が語られており、見守りサービスの促進などが進められています。社会全体の有り様を凝縮しているともいえる課題の意識化と教皇のメッセージは実によく響き合うものがあります。この祈願日の意味と意図は、教会のみならず、もっと一般にも知られていってよいものでしょう。

 


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