カトリック東京教区が続けているミャンマー支援~~担当司祭レオ・シューマカ神父に聞く~~


はじめに

日本のカトリック教会の東京大司教区では、長く、ビルマ~ミャンマーへの支援が行われています。それは、2021年2月1日のミャンマー国軍によるクーデター発生後の状況を踏まえて、さらに新たな姿で展開されつつあります。その一つが東京-ケルン姉妹教会共同「希望の種」プロジェクトです。

ミャンマー支援の現状、日本の国と教会から今何をしたよいかについて、東京教区ミャンマー委員会担当司祭であるレオ・シューマカ神父(聖コロンバン会、カトリック築地教会主任司祭。以下「レオ神父」と表記)にお話を聞きに行きました。ちょうど6月30日に「築地教会150周年」が祝われたばかりの7月3日のことでした。お聞きしたお話によって、教区公式ウェブサイトや『東京教区NEWS』から得られる情報の意味がより明らかになってきましたので、それらも資料に最近の動きをまとめつつ(本文水色の囲み内)レオ神父様のお話とともに最近の動向をお伝えします。

 

レオ神父が主任司祭を務める築地教会は、東京のかつての外国人居留地に建てられた初期の教会の一つ。1874年に設立され、今年の5月、設立150周年が祝われてもいる。1878年から1920年までは東京教区の司教座教会でもあった。この教会が、今、ミャンマーへの入口ともなっている。

――レオ神父様、こんにちは。ちゃんとお話しするのは初めてです。よろしくお願いします。

ようこそ、築地教会へ。

 

レオ・シューマカ神父(聖コロンバン会、カトリック築地教会主任司祭)

――神父様は聖コロンバン会という宣教会の司祭ですね。どちらのご出身ですか。

ニュージーランドです。日本では、ニュージーランド出身の司祭は少ないです。築地教会では2016年から主任司祭をしています。その前は目黒教会でした。

 

――きょうは東京教区のミャンマー支援の現状について教えてもらいたくてやってきました。2021年2月1日のクーデターのことは日本でも大きく報じられていますが、その1年後に始まったロシアのウクライナ侵攻のニュースに対して、どうしても陰に置かれてしまいます。日本国民がそうであるだけでなく、カトリック東京教区に属していても、ミャンマーについてはよくわからないという人も多いと思います。菊地功東京大司教は、平和旬間やミャンマーデー、その他の機会にいつも、ウクライナのことだけでなく、ミャンマーのことも祈りの中で想いを向けるよう招いておられますので、ミャンマーへの想いをもてるよう、きょうはお話を伺いにきました。

東京教区とミャンマーの教会との関係は、周知のように、白柳誠一大司教(1994年より枢機卿、2009年逝去)の時代から始まっています。白柳大司教のローマ留学時代の同級生がミャンマーで司教になっていて、1970年代に助力を求められていたという縁がありました。

ミャンマーとの関係の前段階には、1954年(今年ちょうど70年)に結ばれたドイツのケルン教区と東京教区の姉妹関係がある。ケルン教区からは多大な援助があって、東京の教会や神学校、上智大学の発展に大きな力となった。そして、1979年、東京-ケルン友好25周年の祝いのために、ヘフナー大司教(のち枢機卿)が来日したときに、両教区の姉妹関係を発展させるべく、ミャンマー教会を支援することとなり、東京教区では、毎年11月の第3日曜日が、当時の名称で「ビルマデー」、現在の「ミャンマーデー」が生まれ、献金の呼びかけが始まり、1980年に東京とミャンマーの姉妹関係が始まる。力が注がれたのは、ミャンマー国内の神学校の建設と運営のための支援。当時、ミャンマーでは、外国人宣教師がほぼ全員追放され、外国の神学校とのかかわりも禁止されていたため、そのニーズに応えるものであった。

 

――神父様がこの活動にかかわるようになったのはいつごろですか?

1997年ごろです。当時、白柳枢機卿がミャンマー訪問を考えていたのですが、担当であった深水正勝神父様に私が同行を求められて、一緒にミャンマーに行ったのがきっかけです。それでミャンマー委員会の委員となり、担当司祭を任されるようになりました。2000年に岡田武夫大司教になって以降ほぼ毎年、ミャンマーに行っています。

2004年1月、岡田大司教がミャンマーの教会の司教協議会に出席したおり、ミャンマーの司教団は、東京教区のミャンマーデーにならって、同じ11月第3日曜日を「東京デー」として、東京教区のため、司祭・修道者の召命のために祈る日としている。

――当時の支援の様子はどうでしたか?

2005年以前は、献金を届けるのが大きな役目でした。あの頃は銀行送金がうまくいかず、現金を持っていっていました。まだそうしたことが現代化されていませんでした。そして献金が主な支援目的である神学校のためにちゃんと届いているか、どのように使われているかを確認することが仕事でした。昔の司教方の中には、教区のお金と個人のお金を区別しない場合もありましたので、そのようなことを確かめる必要がありました。今は、もちろん、司教も司祭たちもお金に関する報告はきちんとなされるようになっています。

 

インタビューの様子

――ミャンマーは、2020年からの新型コロナウイルスのパンデミックの影響も大きかったそうですね。そして2021年2月の国軍クーデター。それからのミャンマー支援の状況について教えてください。

まず、今は周知のように、東京-ケルン姉妹教会共同の「希望の種」プロジェクトが動いています。2年前からの動きです。クーデター後の国内避難民の特に子たちのための支援、とりわけ教育支援を目的としています。教育ということに関しては、歴史を見ると、植民地の時代以降、前後の独立以後も教会は教育・医療・福祉などで大きな役割を果たしたのですが、1960年代には軍事政権下で、すべてそうした施設は国営化されました。今、教育の母体は各地域のコミュニティーで、コミュニティースクールです。難民キャンプの中の学校であったり、小さな村の学校だったりします。そこに教会や修道会も参加する形で、教育支援をしています。

一般住民のための食料・生活支援、医療支援は、赤十字社、国連、国際的NGOによって主に行われており、教会の献金もこれらに向けられていますが、とくに教育支援を行うのが「希望の種」プロジェクトです。国内避難民の4割を以上が青年・子どもで、教育機会の確保が必要ですし、とりわけ戦闘地域での活動は危険も多いのですが、取り組んでいます。それらのためのボランティアの働きや持続的な運営資金のために寄付が必要で、その必要性を知ってもらうための情報提供と意識喚起に力を入れています。

 

――このプロジェクトがケルン教区との共同のものであるということも特徴的ですね。

東京-ケルンの姉妹関係が始まったのが70年前の1954年、共同でミャンマー支援を合意したのが1979年。それからの東京-ケルンの友好協力関係を担当していたそれぞれの司祭たちのいわば世代交代の時期を迎えていたということもあると思います。2022年9月29日~10月5日、ケルン教区の担当者たちが東京に来たときを機会に、10月5日から2人のケルン代表者と私と3人で一緒にミャンマーに行きました。ケルン教区自体も独自にミャンマー支援をしているのですが、この機会に、共同のプロジェクトをしましょう、ということになったのです。

『東京教区NEWS』はこうした経緯を逐次伝えている。2022年からの動きを時系列で記載しておこう。

◎2022年1月30日「ミャンマーの平和のための祈り」(築地教会)
(菊地功東京大司教、レオ神父、ラズン・ノーサン・ヴィンセント神父《ミャンマー、カチン州出身。ミラノ外国宣教会、府中教会助任[当時]》、在日ミャンマー人信徒の皆さん)
=『東京教区NEWS』 390号(2022年3月号)

◎2022年3月 祈りの小冊子『ミャンマーのためにイエスと祈る』完成=同391号(2022年4月号)
(レオ神父により6月10日付発行、教区各小教区に配布)

◎2022年4月 シリーズ「ミャンマーの教会に想いを寄せて」=同394号(2022年4月号)
(国内避難民の地域の中での学校作りの様子を写真と時事で紹介)

◎2022年7月9日 ミャンマーのための祈りの集う(東京カテドラル聖マリア大聖堂)

◎2022年8月7日 日本カトリック平和旬間中、教区において、8月7日の主日ミサを「ミャンマーの人々のための意向」でささげ、特別献金をする=以上、同395号(2022年8・9月号)

◎2022年9月29日~10月5日 ケルン教区から同司教総代理グィド・グスマン師を団長とする代表団が東京教区を訪問。滞在期間中、築地教会で「ケルン・東京・ミャンマー三姉妹教会祈りの集い」を実施=同397号(2022年11月号)

◎2022年12月 シリーズ「ミャンマーの教会に想いを寄せて」(レオ神父、「子どもたちの未来のために教育支援を」と呼びかけ。ケルン教区との協働で、紛争が深刻な5つの教区で100校を支援する目標を示す)=同398号(2022年12月号)

◎2023年6月 シリーズ「ミャンマーの教会に想いを寄せて」(レオ神父、「希望の種」プロジェクトの進展を報告、紛争地域に400以上のコミュニティースクールが設立されており、学用品や教育ボランティアへの支援が望まれていると呼びかけ)

◎2023年5月1日 ケルン教区アルテンベルク大聖堂における「アルテンベルクの光」のミサで、東京とオンラインを結び、ケルン・東京・ミャンマー三姉妹教会が心を合わせて祈る=同403号(2023年6月号)

◎2023年11月19日(東京教区ミャンマーデー) 正午から築地教会で、ミャンマー共同体によるビルマ語のミサ、司式はドミニコ会司祭ピーター・ジャレ神父(ミャンマー、カヤー州出身)。17時から目黒教会で東京・ケルン・ミャンマー三姉妹教会の友好を記念する共同司式ミサ。

◎2024年5月 シリーズ「ミャンマーの教会に想いを寄せて」(レオ神父、国軍が多くの地域で都市から離れた地域に追いやられている反面、大都市では戦闘が激化している現状と、「希望の種」プロジェクトの進展で、紛争地域や国内避難民のキャンプで300以上の学校を設立できていることを報告)

 

――神父様、わたしたちAMORでは、今回、ミャンマーに関心を向けて、その歴史、お国柄などを学び始めているところです。ただ、今まとめたような動きについて『東京教区NEWS』や関係冊子などで各小教区には情報提供がなされているようですが、信徒一般、また一般の日本の人たちにおいては、残念ながら、ミャンマーの歴史や情勢についてなど、まだ知識がとても乏しく、意識も弱いと思います。よろしければ、このAMORを通じて、ミャンマーのこと、支援状況のことをお伝えください。

それはありがたいです。2か月に1回ぐらい、現地から送られてくる写真や報告内容をもとに紹介させてもらえたら、と思います。「ミャンマー通信」などとして。また築地教会では、毎月第3日曜日の15時からミャンマー共同体のミサがあります。今、府中教会の主任司祭である、ヴィンセント神父が来て司式してくれています。共同体の様子をぜひご覧になりに来てください。

実は、ミサでの祈りは、基本的に英語です。聖書朗読はミャンマー語です。ただ、ミャンマー語は学校で習いますが、ほとんどのミャンマー人にとって、それは母国語とはいえません。しかも日本で生活しているミャンマー人信徒ですから、説教や会話は日本語で行われます。神学校で学ぶときも英語です。神学教育に役立つミャンマー語の文献がほとんどなく、英語のもので行われています。

 

築地教会にある手作りのミャンマー地図

――築地教会はホールの入り口に手作りのミャンマーの地図がありますね(=写真。レオ神父[右端]とAMOR編集委員2名)。東京で最初の教会の一つが今、ミャンマーとのかかわりの入り口になっているというところはとても意味深いと感じます。もっと東京中の、いや日本中の人々に築地教会そのものとミャンマーの国や教会のことを知ってもらえるよう、AMORも協力したいと思います。

どうぞ、いつでも築地教会にいらしてください。

 

――ところで、今年の平和旬間の8月10日には、ミャンマー研究の第一人者で、今回の特集にも寄稿していただいた根本敬先生(上智大学名誉教授)が関口教会ケルンホールで講演をなさいますね。これなどもわたしたちももちろんですが、多くの方々に聞いていただきたいと思っています。レオ神父様、きょうはどうもありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

(聞き手・まとめ=AMOR編集部)

 


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