根本 敬(上智大学名誉教授)
国際報道の変化は目まぐるしい。昨年10月以降、イスラエルの攻撃で悲惨な状況に陥っているガザに関するニュースが多く流れているが、あれほど報道されたロシアの侵略によるウクライナの苦境についての報道は後退しつつある。ミャンマー(ビルマ)で起きた軍事クーデターとそれに抵抗する国民のニュースも、3年半前には盛んに報じられたが、今では稀にしか目にすることがない。状況は悪化する一方にあるにもかかわらず、多くの日本人にとって2021年2月1日に生じたクーデターと、その後の人々の苦しみは、関心の外に置かれつつある。シリアであれ、アフガニスタンであれ、大混乱が生じた国や地域の場合、どのケースでも共通していえるが、「状況の悪化」が「日常化」してしまうと、メディアは報道への情熱を失う。状況が「改善に向かう」か、「より極端に悪化」しない限り、その情熱は戻ってこない。
しかし、ミャンマーの国民にしてみれば、世界が自分たちへの関心を失ったとしても、置かれている状況が劣化の一途をたどっていることに変わりがなく、人々は自らの力で生き残りを図るしかない。元政治囚たちが運営するNGO「ビルマ政治囚支援協(AAPP)」の調査によれば、クーデターから1255日目にあたる2024年7月9日現在、ミャンマー国軍によって殺害された非武装の国民は、拷問死を含め5372人にのぼる。
逮捕者も2万7000人を超え、そのうち釈放された者は6300人余に過ぎず、アウンサンスーチー国家顧問をはじめ、多くの民主派政治家は長期に拘束されたままである。故郷の村や町を空爆されたり焼かれたりしたために、やむを得ず脱出して逃げる国内避難民(IDP)も優に200万人を超える。全人口の3人に1人にあたる1760万人以上が貧困状態に突き落とされ、人道支援を求めている状況にある(2023年10月時点 国連人道問題調整事務所OCHA報告)。
とはいえ、ミャンマーの人々は国軍政権にやられっぱなしなのではない。少なくない数の人々が未来を見据えた自発的な抵抗(不服従)を続け、その規模は年々拡大している。その中心には、クーデター後すぐに結成された国民統一政府(NUG)という対抗政府が存在する。NUGは国軍に抵抗する国民をまとめ、粘り強い活動を展開している。昨年9月の彼らの公式声明によると、ボランティアの市民によって構成される国民防衛軍(PDF)は全293大隊編成され、9900回におよぶ戦闘を通じて国軍側の兵士を1万人以上戦死させたという。また全国に330ある郡区(日本の県の3分の1程度の行政区画)のうち、250郡区(76%)において抵抗活動を展開しているという。
発足当初のNUGは亡命オンライン政府に過ぎなかったが、いまや一部の閣僚が国内に居住し、国軍支配から解放した地域で行政府を指揮している。国民の強い支持をもとに、「自国民を殺す存在」と化した国軍の解体・再編成を訴え、なによりも軍による政治関与の完全除去、民主主義と少数民族の平等な権利の保障に基づく文民統治の連邦国家を作ることに全精力を注いでいる。
その手段として、はじめは外交闘争や非暴力の不服従運動に重きを置いていたNUGであるが、国軍が一般住民の住む地域で空爆や焼き討ちを強めたため、やむを得ず市民による武装闘争を併用する政策に転じた。いわば「不当な権力や命令」に対する「不服従」運動の中に、非暴力だけでなく武器を使った抵抗手段を本格的に取り入れたのである。それは必然的に長年にわたる国軍との戦闘経験を有する少数民族武装勢力との連携を強めることになり、独立後はじめて、ミャンマーで平野部に住む多数派のバマー(ビルマ)民族と、高原山岳地帯に居住する様々な少数民族たちとの政治的・軍事的連携が成立することになった。ミャンマーはいま、内戦にあるのではなく、幅広い国民の連帯に基づくクーデター政権の打倒と、国家の未来を見据えた全面的な創りかえに向けた「革命的」状況にあるといえる(これはオーストラリア国立大学ミャンマー研究所長のニック・チーズマン博士の見解に基づく)。
昨年10月27日、ミャンマー北部の中国との国境地帯において、3つの少数民族武装組織が合同して一斉攻撃を開始した。国軍側は多くの基地を奪われ、投降者も続出した。そのほかの少数民族軍も攻勢に加わり、前述のPDFも平野部で抵抗を強めた。首都ネイピードーと最大都市ヤンゴンだけを見ているとはわかりにくいが、いまや国軍(クーデター政権)はミャンマーにおいて半分程度の領域しか支配できていない状況にある。
歴史を簡単に振り返ると、1948年の独立以来、ミャンマーでは少数民族勢力による中央政府に対する武装抵抗が長期に続いた。それは彼ら自身の政治的権利と経済的利権の確保を目指す戦いであったが、その封じ込めの役目を負った国軍(政府軍)は、来る日も来る日も国内で自国民相手に戦闘を続けることによって、文民統治のもとで動く国防の専門集団としてではなく、自国民そのものを敵視する治安維持特化の軍へと変質し、政治への介入を目指すようになった。
その象徴が1962年のクーデターであり、その後、1988年と今回の2021年、計3回にわたるクーデターの実行であった。選挙で選ばれた代表から成る文民による統治を拒絶して、軍そのものが政治の実権を握り、結果的に独裁集団と化した彼らにとって、戦う相手は外国軍ではなく、国内在住の「軍に従わない」国民だけとなっていったのである。そこでは人権は無論の事、「法の支配」の概念もないがしろにされた。
NUGのズィンマーアウン外相(女性)が昨年11月に来日した際、筆者も参加した集会で次のように語ったのが印象的である。
ここでいう「法の支配 rule of law」とは、権力者が法律を自分たちの支配の道具として勝手につくりご都合主義的に適用する「法による支配 rule by law」とは根源的に異なる。換言すれば、権力者を縛ることに主目的が置かれた「法の精神に基づく支配」のことを指す。国軍が依拠する「力による支配」は、いうまでもなく法を自らの権力維持のために使う「法による支配」である。ミャンマー国民は現在、幅広い連帯と抵抗を通じてそれを打倒し、「法の支配」が貫かれる新しい国づくりに邁進しているのだといえる。
私たちは日本に住んでいるかぎり、「法の支配」の大切さについて自覚する必要はほとんどない。しかし、ミャンマーでは人々が生活の多くを犠牲にしながら、「法の支配」の実現を追い求め、苦難の道を歩んでいる。その情熱、痛手からの回復力(いわゆるレジリエンス=復元力)、そして何よりも「不当な命令には従わない」勇気から私たちが学ぶことは多く、彼らの努力に私たちは敬意を払いたい。そして国際社会の一員として、ミャンマーの人々のことを忘れることなく、人道支援を軸に、さまざまな形で応援できるように心がけたい。