齋藤克弘
最初の楽譜は線がなく、約100年後、一本の線を引くことで音の高さを初めて表すようになったこと、その線は下の音が半音になるド(C)とファ(F)であったことまでお話ししました。このド(C)とファ(F)を音部記号として使うこと、実はかなり長い間続いていたのです。というよりもファ(F)を表す音部記号は今でも使われています。現在、わたしたちが使っている楽譜は線が五本の五線譜で、ピアノや混声合唱の楽譜の場合、上段ではト音記号(ソの音を表す記号がついている)、下段はヘ音記号(ファの音をあらわす記号がついている)になっているのはご存知のことと思います。このヘ音記号がお分かりのように一本線の時代から続いているのです。ド(C)の音を表す記号=ハ音記号もあまりなじみがないものですが、今でも、弦楽器の一つビオラの楽譜で使われています。
さて、音符についても少し話をしておきましょう。最初の楽譜であるネウマ譜では、指揮者の手の動きが書かれていましたが、線が引かれて、その線が4本になって四線譜ができると手の動きを表したネウマは黒く塗られた四角い音符に代わっていきます。この段階まで音符によって大きく音の長さが変わることはありませんでした。言い換えれば、音の長さはどの音符でも同じだったのです(正確には微妙な違いはありましたが)。それがルネッサンス時代になると、縦棒がついた菱形を黒く塗った音符と中を白抜きにした音符によって二種類の長さの音が表されることになります。中を白抜きにした音符は黒く塗られた音符の二倍の長さを表しました。この発明は、線を引いて音の高さを表したことに続く、画期的な発明といえるでしょう。
これで楽譜は
① 音も高さも覚えてニュアンスだけを表すネウマ譜
② 線によって音の高さは表したが長さは一定
③ 黒塗りと白抜きの二種類の音符で長さも区別する
という現在の楽譜の基本ができたわけです。
この後、楽譜は線が五本に増え、音符は形が丸に変わり、縦棒には旗もつくようになります。これが現在に至る大まかな展開です。
ところで、ドの音をあらわす記号、ハ音記号ですがこれはバロック時代まで鍵盤楽器や合唱の楽譜で用いられていました。皆さんご存知のヨハン・セバスティアン・バッハの自筆の楽譜でも、鍵盤楽器の上段ではハ音記号が五線譜の第一線(一番下の線)に書かれています。また、合唱譜でもソプラノのパートは同じく第一線に、アルトのパートはビオラと同じ第三線(真ん中の線)に書かれています。このようにバロック時代までは、それぞれのパートや楽器の音域をなるべく五線の中におさめることができるように、それぞれの必要に応じて表記する線が変えられていました。言い換えれば、現代のように決まった線にしか書かなくなったのはこの後の時代になってからということです。表記する線が帰られていたのは五線になってからではなく、実は、グレゴリオ聖歌の四線譜の時代からで、グレゴリオ聖歌では、途中で旋法が変わったり、音域が変わる場合には、曲の途中から音部記号の書かれる線が変わる曲もあったのです。
では、バロック時代まではハ音記号とヘ音記号が用いられていた楽譜で、どうしてト音記号が新たに用いられるようになったのかという疑問が浮かび上がりますね。最初の楽譜はグレゴリオ聖歌のためのもの、つまり、単旋律で歌うためだけのものでしたが、次第に声楽だけではなく楽器にも使われるようになります。楽器は旋律だけの楽器、例えばリコーダーとかバイオリンとかの場合は楽譜も一段で済みますが、オルガンのような鍵盤楽器の場合は二段ないし三段の楽譜を使わないと記譜することができなくなります。
先にも書いたようにバロック時代までは鍵盤楽器の上段(通常右手)の楽譜も一番下の線である第一線にハ音記号を付けたものが用いられていましたが、それだと下段の楽譜と上段の楽譜をまたいで音が進行する場合、下段の第五線の上のシの音と上段の第一線の下のシの音が接点の音になります。これだと音が連続する場合見にくいと感じた人が多かったのでしょうね。しかも、シの音は昔から非常に不安定な音とされ、グレゴリオ聖歌の時代から臨時記号のフラットがつけられたのはシの音でした。そこで接点の音を、調号がない場合の音階の主音であるドとすれば、楽譜も見やすいことから、シの一つ上の楽譜の第二線すなわち下から二段目の線をソ(G)とするト音記号が発明されたというわけです。鍵盤楽器、特にピアノフォルテ(通称ピアノの正式名称)の開発によってハ音記号の楽譜は衰退し、現在は上段はト音記号の楽譜、下段はヘ音記号の楽譜に統一されているのです。
で、最後に一言。このように、現代の音楽教育は、線も5本もあって音符の種類もたくさんありさらに調号もあるという、最も複雑な楽譜から始めているわけですから、どうしても楽譜を見るのが嫌になるのは当然なのかもしれませんね。わたくしが思うに、まず、音符の種類も少なく、ハ音記号かヘ音記号のグレゴリオ聖歌から歌いだせば、もう少し楽譜を見るのが楽しくなるかもしれません。(典礼音楽研究家)