一般的に英国(イギリス)と呼ばれている国は、イングランドやスコットランド、ウェールズという大ブリテン島の国と北アイルランドの四ヶ国から成る連合王国で、本作の題名になっているベルファストは北アイルランドの首都です。全体が英国である大ブリテン島と異なり、アイルランド島では北部のみが英国に属し、南部はアイルランド共和国という別の国として独立しています。アイルランドが南北に分割されている背景には、宗教の違いや経済問題、政治対立などの歴史的経緯があるので、それを少し概観してみたいと思います。
アイルランドは中世の時代からイングランドを中心とする英国の支配を受けてきました。日本でも有名なケルト音楽やケルト模様に代
表されるように、アイルランドは独自の文化や言語、霊性といった伝統を持っていましたが、イングランド支配下でそれらの伝統は抑圧されることとなります。富や権力は一部のプロテスタントの英国派に独占され、多数のカトリックのアイルランド人には厳しい制約が課せられていました。独立運動の結果、20世紀に入ってアイルランドは独立を手にしますが、それは望まれていた完全な独立ではなく、プロテスタントのイングランドやスコットランド系住民の多い北部を除いた妥協の産物でした。爾来アイルランド島は、英国領の北アイルランドと独立したアイルランド共和国に分かれてしまっています。
以上のようにアイルランドの分断には長い歴史的背景があり、独立後もIRAのテロ活動は続きました。こうしたアイルランドの政治史やIRAのテロは様々な映画の題材となってきました。例えば、アイルランド独立に寄与した人物をリーアム・ニーソンが演じた『マイケル・コリンズ』(1996)、無実のアイルランド人たちがIRA(アイルランド共和国軍)のテロリストと勘違いされて投獄された冤罪事件を扱った『父の祈りを』(1993)、投獄されたIRAの必死の抵抗を描いた『ハンガー』(2008)などが挙げられます。このような20世紀アイルランドの社会問題を描いた名作と異なり、ケネス・ブラナー監督の『ベルファスト』は難しい議題を前面に押し出さず、困難な時代のベルファストに生きる少年を中心とした市井の人々を郷愁と共に描いています。
独立することなく英国に留まった北アイルランドの首都ベルファストでは、プロテスタント系の住民とカトリック系の住民が衝突することがないように、街中に壁が築かれていました。南北アイルランドが分断されているように、ベルファストという街自体も宗教で分断されていたのです。そんな中、暴徒と化した一部のプロテスタント系住民が、プロテスタント地区に住む少数のカトリック系住民を襲撃しました。隣人が隣人を襲う光景を目の当たりにした少年バディは、なぜこうした憎しみが生まれるのか分かりませんでした。子供らしい好奇心で年長者たちに質問するバディを通じて、レッテル張りによる対立の無意味さや荒唐無稽さが、優しくユーモラスに露わにされていきます。
カトリックとプロテスタント、敵と味方、アイルランドとイングランド、故郷と異国、現実とフィクション、父と母、祖父と祖母、そして生と死……。この世には人々を分かつ二項対立があまりにも多くありすぎます。大人が「しかたがない」と諦めている分断を純粋な子供の目線から捉えなおした本作は、1969年を舞台としたノスタルジックな白黒映画ながらも、こんにちの人々に強く訴えかける力を持っています。
(石川雄一、教会史家)
2022年3月25日、TOHOシネマズシャンテ、渋谷シネクイントほか全国公開
公式ホームページ:belfast-movie.com
<STAFF>
製作・監督・脚本 :ケネス・ブラナー/撮影監督:ハリス・ザンバーラウコス/音楽:ヴァン・モリソン/プロダクション・デザイン:ジム・クレイ/衣装:シャーロット・ウォルター /ヘアメイク:吉原若菜
出演:カトリーナ・バルフ、ジュディ・デンチ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュード・ヒル
2021年/イギリス/ビスタサイズ/98分/モノクロ・カラー/英語/5.1ch
日本語字幕:牧野琴子 字幕監修:佐藤泰人(東洋大学・日本アイルランド協会)
原題『Belfast』/配給:パルコ ユニバーサル映画
© 2021 Focus Features, LLC.