キリスト教の公認
キリスト教を長く迫害してきたローマ帝国ですが、内戦に勝利したコンスタンティヌス大帝の時代、313年に政策を大きく転換し、キリスト教信仰を認めるようになりました。それまで命がけで守られてきた信仰は、いわゆる「ミラノ勅令」によって公に認められ、地下に隠れて集会をしていたキリスト者たちも、ようやく安心して信仰生活を送れるようになったのです。
皇帝の保護を受けるようになった教会は、急速に広がっていきました。各地に教会堂が建てられ、信者が公職に就くことも珍しくなくなります。たとえば、ローマの教皇座が置かれるラテラノ教会の基礎も、この時代に築かれました。帝都ローマの市長にキリスト者が選ばれることもあったほどです。
ただ、勢いよく広がった一方で、教会の制度や教えはまだ十分に整理されていませんでした。地域によって理解や教え方に違いがあり、対立や分裂も起きていました。なかでも、「イエス様とは誰なのか?」という、信仰の中心に関わる問いについてさえ、意見が分かれていたのです。
分裂の恐ろしさを身をもって知っていたコンスタンティヌス大帝は、この状況を心配しました。キリスト教が帝国内で大きな力を持ち始めているのに、その内部が分裂したままでは、新たな混乱が起きかねない。そう考えた皇帝は、帝国中の高位聖職者たちを集めて会議を開くことを決断します。こうして史上初の公会議である「第一ニカイア公会議」が開催されたのでした。
アレイオス
この会議で最大のテーマとなったのは、「イエス様とは誰なのか?」という問題、つまりキリスト論でした。エジプトのアレクサンドレイアで司祭をしていたアレイオスは、「イエス様は神に造られた最高の被造物である」と考えました。つまり、イエス様は非常に尊いお方ではあるけれど、創造主である神ではない、というのです!
彼の理屈はこうです。すべてを造られた神だけが「造られていないもの」であり、「始まりのないもの」です。そしてそれは、神様は「不変」であるということも意味しました。
では、イエス様はどうでしょうか?イエス様はマリア様からお生まれになりました。生まれたということは始まりがあるということです。つまり、イエス・キリストは「造られたもの」であり「始まりがあるもの」であるため、神様を神様たらしめる条件である「造られていないもの」でも「始まりがないもの」には当てはまりません。また、イエス様は幼子から大人へと成長されました。そう考えると、「不変」とも言えそうにありません。こうした理論からアレイオスは、イエス様を神様とは考えなかったのです。
これに対して、ある人は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハ1・1)という聖書の言葉を引用して、言であるイエス様は神様であると反論するかもしれません。ですが、アレイオスも負けじと聖書の「主はその道の初めに私を造った。いにしえの御業の始まりとして」(箴8・22)という言葉を引用して、救い主イエス・キリストが「始まりがある」「被造物」であることを証明しようとしました。
「イエス様は神様ではない」というアレイオスの主張は、冒涜的ですが、筋が通っているようにも聞こえます。そのため、アレイオスの主張は広まっていき、司教のような高位聖職者の中にも公然とアレイオス支持を表明する者が現れました。神学論争は、政治や地域の対立にまで発展していき、やがて収拾がつかなくなっていきます。
こうした状況を看過できなくなったコンスタンティヌス大帝は、325年、小アジアのニカイアという街(今日のトルコに位置する街で、古典ラテン語ではニケアと呼ばれる)で、史上初の全地公会議(英語ではエキュメニカル・カウンシル)を開催しました。
第一ニカイア公会議
教会史上最初の公会議となった「第一ニカイア公会議」ですが、全地公会議という名称から受ける印象とは異なり、出席者のほとんどはローマ帝国の東部地域から来ていました。なんと、ローマ教皇ですら欠席しており、教皇特使が代理人として出席しただけでした。
318人もの出席者が集まったとされる第一ニカイア公会議でしたが、肝心のアレイオスは参加しておらず、また、アレイオス派の参加者もごく少数でした。これに対し、アレイオスを痛烈に批判していたアレクサンドレイア司教アレクサンドロスと、その側近であった助祭アタナシオスを中心とする反アレイオス派は議会で存在感を示し、議論を主導しました。その結果、アレイオスの主張は排斥され、その教理は異端と断じられました。
第一ニカイア公会議で採択された「ニカイア信条」は、後に「ニケア・コンスタンチノープル信条」として知られる形に編集され、今日に至るまで唱えられ続けています。この信条では「わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を」という文言で創造主への信仰が表明された直後に、「わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを」という言葉でイエス様への信仰も告白されます。そして「主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました」と宣言することで、イエス様が「造られていないもの」であることが明確に記されています。これは、イエス様を「造られたもの」と考えたアレイオスの教説を否定するための文言だと言えるでしょう。なお、ここで「父と一体」と訳される「ホモウシオス」という言葉を巡っては後に別の論争をおこすこととなります。
新たな問題
「第一ニカイア公会議」は、帝国中から参加者がまんべんなく集まったわけでも、公平な議論で決着がついたわけでもありませんでした。キリスト教の分裂を政治的理由から解決したい皇帝によって招集され、教皇も出席しなかった「第一ニカイア公会議」は、神学的な議論の場というよりも政治的な会議であったという事ができるかもしれません。
ですが、ローマ皇帝の権威によって決議が裏書きされた「第一ニカイア公会議」によって初めて、キリスト教は明確な教義を持ちえたとも言えるでしょう。これまでは、地方の様々な教会が独自に発展させてきた制度や教えを保持していましたが、皇帝の権威が背後にある「第一ニカイア公会議」によってキリスト教は初めて“中央”から統一された教義を確立したのです。なお、アレイオスとアレイオス派は追放され、その教えは当時ローマ帝国を脅かしていたゲルマン人の間で広まることとなります。
ところで、「第一ニカイア公会議」で決着したかに思われた「イエス様とは誰なのか?」という問題は、その後、解決するどころか、むしろ議論が激化してしまいました。その一因として、「ホモウシオス」という言葉の解釈を巡って様々な学説が出たことがあげられます。他にも、「第一ニカイア公会議」の決定を一度は支持したはずのコンスタンティヌス大帝が、アレイオス派であった妹コンスタンティアの影響を受けてアレイオス派に傾倒したことも事態を複雑にしていきました。「第一ニカイア公会議」は、キリスト教の分裂を解消したのではなく、むしろ新たな論争を引き起こしてしまったのです。
石川雄一 (教会史家)



