『ジョン・ノックス スコットランド宗教改革の立役者』


伊勢田奈緒『ジョン・ノックス スコットランド宗教改革の立役者』、日本評論社、2024年、4,950円。

いわゆる英国の一角を占めるスコットランドは、様々な点で、イングランドとは異なった国です。例えば、スポーツでイングランド代表とスコットランド代表が別々に出場するのはよく知られています。他にも、『007』のショーン・コネリーや『スタートレック』のスコッティが喋るようなスコットランドの訛りには、不思議な魅力があります。文化や歴史など多くの点で、イングランドとは異なるスコットランドですが、宗教においても独自の発展を遂げたことをご存知でしょうか。中世の間はカトリックの国であったスコットランドは、宗教改革によりプロテスタントを受け入れ、固有の教派を発展させます。そんなスコットランドの宗教改革史は、ジョン・ノックスという人物抜きに語ることはできません。日本ではほとんど知られていないジョン・ノックスですが、今回は彼についての伝記だけでなく、その著作の翻訳まで含む『ジョン・ノックス スコットランド宗教改革の立役者』を紹介します。

著者の伊勢田奈緒は、スコットランドのセント・アンドリュース大学大学院宗教改革研究所で学んだ牧師であり、ジョン・ノックスを中心とした多様な宗教改革者たちを研究してきました。彼女はこれまでもアルギュラ・フォン・グルムバッハやヨハネス・ブーゲンハーゲンといった、日本ではあまり有名ではない宗教改革者についての本を世に送り出しています。本書でも、ノックスだけではなく、ウィシャルトやラスキ、グッドマンといった、我が国では無名に等しい人々が紹介されています。ところで、本書の中心となるジョン・ノックスですが、いったい何をした人なのでしょうか。ノックスについて詳しいことは本書を読んでいただくとして、ここでは簡単に彼の生涯を紹介します。

1514年頃にスコットランド南東で生まれたジョン・ノックスは、セント・アンドリュース大学で学び、カトリックの司祭となりました。ですが、スコットランド人の宗教改革者ウィシャルトの影響を受け、プロテスタントとなります。ノックスの人生を変えたウィシャルトは、政治的影響力のあるビートン枢機卿の暗殺を試みるなど過激な行動に出て、最終的には1546年に火刑に処されてしまいました。指導者ウィシャルトの処刑に憤ったスコットランドのプロテスタントは、師の遺志を継いでビートン枢機卿を暗殺し、セント・アンドリュース城に籠城します。籠城派と呼ばれるこのグループに加わったノックスは、師ウィシャルトに負けず劣らずの激しい説教師となり、プロテスタントの同志を鼓舞しましたが、最終的にはフランスの支援を受けた政府軍に敗北してしまいます。捕虜となったノックスは、ガレー船の漕ぎ手という肉体労働の刑に服すこととなりました。

1549年、刑期を終えたノックスは、プロテスタントのエドワード6世が治めるイングランドに逃れ、イングランド宗教改革に手を貸しました。しかし、このプロテスタントの少年王は、病弱で長生きせず、1553年に早世してしまいます。エドワード6世を継いだ姉のメアリ1世は、敬虔なカトリック信者であり、イングランドにカトリックを復興する熱意に燃えていました。エドワード6世時代に活躍した他のプロテスタント同様、ノックスは改宗か、亡命か、殉教かの選択を迫られました。「犠牲者は一人で十分です」という師ウィシャルトの言葉に従ったノックスは、ジュネーヴへ逃れ、そこで宗教改革の大物ジャン・カルヴァンの弟子となります。カルヴァン派の本拠地で改革派神学を学んだノックスは、1559年、プロテスタントの「会衆軍」とカトリックの「摂政軍」の間で内戦が繰り広げられていたスコットランドへ帰国し、プロテスタントの指導者となっていくのです。そして1560年、摂政の死により勝利を手にした「会衆軍」は、宗教改革議会を成立させ、ローマ教皇の首位権を拒否し、スコットランドのプロテスタント化に成功したのです。こうしたスコットランドのプロテスタント化の過程で、政治的にも神学的にも最も重要な役割を担ったのがジョン・ノックスでした。

石川雄一 (教会史家)


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