土屋至(SIGNIS Japan会長/元宗教科教員)
ダイナミック・メモリーとは「今の自分にもいきいきとよみがえる思い出」ということか。食に関してこれを分かち合うと盛り上がる。談論風発、みんながそれを持っているのである。それで今それを分かち合ってみよう。思いつくままに書き連ねていく。
最初に思い浮かぶのはやはり「おふくろの味」だろう。私の母は「料理が苦手」というコンプレックスを持っていた。だから晩年「料理がうまくなくて申し訳ない」といっていたが、息子・娘たちは「そんなことはないよ。お母さんの料理をこどもたちはみんな楽しんでいたよ。お母さんの作ったもので何が一番おいしかった?」と聞いたら、妹はすぐさま「カレー」と答える。弟2は「もりそば」である。そういえばこの2人はデパートにあるお好み食堂で「何でも好きなものを注文していいよ」と言ったらすぐさま「カレー」「もりそば」と答えていたっけ。弟1はなんて答えていたか思い出せない。
私は「コロッケ」と答えたら、弟妹はみんな「そうそう、それそれ」と応えたのだ。そういえば母はたわら型のコロッケを何十個とつくっていたが、それは肉屋で買うコロッケとはまったく別の味がしていて、私たちは「うまい! うまい!」とまたたく間にたいらげた。
父が好きなものもけっこう子どもたちに反映されていた。年の差が1年おきという私の兄弟(弟2人、妹1人)の4人。とにかく食欲が旺盛で父母を含めて6人家族が1升のご飯を炊くときがしばしばあった。
その筆頭はカレー。ただしわが家には大きい鍋がなく2つの鍋に分けて1つの鍋はカレー、もう1つの鍋はハヤシをつくっていた。すると妹と弟1は「カレー、カレー、カレー」と3皿分カレーライス。私は「ハヤシ、カレー、ハヤシ」。弟2は「カレー、ハヤシ、カレー」。みんな3皿のおかわりをしていたのだ。
つぎに「とろろ」。父が好きだったのかもしれない。こどもたちはとろろをするすりばちを「しっかりと押さえる役」をおおせつかっていた。そしてご飯、あっという間にするっと流し込むのですぐに「おかわり!」。母は自分の食べる暇がないほどこどもたちの「おかわり!」が続いた。
さて、次は「いっしょご飯の福音家族」。これは晴佐久昌英神父のスローガンだが、それを聞くずっと前から私たちはそれをCLC(Christian Life Community)で実践していた。CLCは祈りと分かち合いを定期的にするコミュニティを日本で50位持っている。その多くはコミュニティの例会で食事をともにする「いっしょご飯」をつづけている。
そういえば「いっしょご飯」は「分かち合い」とどこかよく似ているのである。
「いっしょご飯」にもいろいろな形がある。もっともプリミティブなのは「コンビニやスーパー」などでお弁当を買って持ち込むタイプ。ここのお弁当はおいしいとかの話題が出る。
地の塩CLCは泊まり込みで例会を持っていた。すると土曜日の分かち合いが終わったあとに「ハッピーアワー」があった。それぞれが持ち込んだとっておきの「つまみ」や「ワイン」が披露され、みんなでそれを楽しむ「聖なる時間」があったのがとてもすてきな体験だった。
私はそこによくお酒を持ち込んだ。「清泉(きよいずみ)」「玉縄城」「至」という純米酒がとても気に入っていた。
私が清泉女学院に就職した年の朝日新聞正月版に「日本酒銘酒百選」というリストがあった。そのなかに「清泉(きよいずみ)」という名の日本酒があるのではないかとおもって丁寧に見ていったら「あった!」のである。新潟県の久須美酒造が作る酒である。さっそく醸造元に問い合わせて横浜で手に入らないかときいたら、鎌倉に1件あるという。すぐにそこを訪問して「清泉」を注文したら、純米酒と醸造酒は在庫があったが、大吟醸「清泉 亀の翁」はめったに手に入らないという。私は「清泉女学院」の教師なので「それを是が非でも手に入れたいのだけれど」と言ったら、その酒屋の主人が「あ、そうですか。いつもお世話になっています。それならなんとか手に入れましょう」と言ってくれた。どうやら、清泉小学校の先生がおなじみさんのようであった。「私は大船の中高の方ですが」といってもかまわず入手してくれて「幻の大吟醸 清泉 亀の翁」が手に入り、コミュニティのみなで楽しんだ。
「玉縄城」という酒との出会いにもストーリーがある。私が清泉を退職するときに見つけた酒で、これは大船の小林酒店の主人が作ったレーベルで、佐渡の北雪酒造の酒に玉縄城というラベルをつけたのだそうだ。玉縄城とは清泉女学院の中高があるところにあった山城である。ここは小田原城の出城だ。
「至」という名の日本酒との出会いもストーリーがあった。地下鉄本郷三丁目の駅の近くの居酒屋においてあったのである。私の名前がお酒の名前になっているなんて、とさっそくネットで検索したら、東京駅の八重洲地下街の酒店においてあるという。「至」という名は醸造元の逸見酒造の社長さんのお名前だそうである。これもおいしい酒であった。
CLCの集まりは食べ物とセットで思い出される。
フィリピンのタガイタイというところでホームステイしたときに、湖でとれたという魚がとてもおいしくてついおかわりをしてしまった。そのことを帰って別な人に話したら、「それはいけないことをしてしまった。たぶんその魚は家族の数だけ用意されていて、あなたがおかわりをしたことで家族の誰かが食べられなかったのではなかっただろうか」と言われてしまった。
CLCの世話人会が五日市教会でおこなわれたときに、広島のメンバーがシャコを持ってきた。それをゆでて食べたらおいしかった。寿司ネタしか食べたことがなかったので、「シャコがこんなにおいしいものとは」と舌鼓をうった。
話がそれたが「分かち合いと食事の共通点」の第1のタイプは「持ちより型」。分かち合いならみなが持ち寄ったものを分かち合うこと。分かち合いの標準型である。料理ならどこで手に入れたとか「あそこの料理はおいしい」とか「これのレシピを教えて」とかの分かち合いへ発展し、「今度そこへみなで食べに行かない?」と発展することもある。
第2のタイプはそこのホスト役が料理を作って客を出迎えるタイプ。料理の得意な人がいるとこのタイプが多い。分かち合いならあるメンバーの特異な体験を分かち合うのがこのタイプ。講師の話を聞くのもこのタイプだろう。
第3のタイプは材料を持ち寄り、みなでいっしょに料理するタイプ。そこで手に入れる料理のコツは貴重である。分かち合いなら、みなで持ち寄ったものを加工して共有の体験に作り上げるのがこれにあたるだろう。
第4のタイプは共同生活をして、共通の食事を一緒にするというのが最も深いタイプの食事であろうか。分かち合いなら「運命を共有する」という関係になるだろう。
私の「食のダイナミック・メモリー」にはこんなこともある。生涯で食べた最もおいしいものに上がるかもしれない。
50年ほど前に私が勤めていた印刷会社の社内旅行で房総に行ったときのこと。その日の昼食はある食堂で「てんぷら食べ放題」という予定。料理のできるまで近くの海岸にでたら、そこで女子大生が地引き網を引き上げようとしていた。ところが力不足で逆に海に引きずり込まれそうになっていて「助けて!」と悲鳴を上げていた。私はすぐに仲間を呼びに行き、何とか網を引き揚げることができた。
その網には圧倒的にイワシが入っていた。それはすぐに箱に入れられて持って行かれた。ハマチのえさになるのだそうである。イワシに混じって、イシダイ、エイ、カレイがあってそれは別のかごに入れられて市場へ持ち込まれた。何もお土産はもらえなかったが、お礼を言われて帰ったら「天ぷら食べ放題」が待っていた。
その天ぷらはナスとピーマンとサツマイモ、そしてイワシ。天ぷらというからエビとかイカの天ぷらを予想していたので少しがっかりしたのだが、その天ぷらは特にイワシがとてもおいしかった。「これは先ほど地引き網でとったイワシかな?」ってお店の人に聞いたら「違うけれど、イワシは鮮度が一番」なんだって言われた。あまりにおいしくてイワシに開眼した感じだった。
そのあとお土産店によったらイワシの丸干しを試食できた。それもとてもおいしかった。「鮮度が一番」なのでそこで買って家に帰って焼いて食べたらあのおいしさは失われていた。
イワシといえば父の実家の下田の家にいったときに、祖母がごちそうしてくれたお刺身はイワシではなかったか。刺身といえばマグロとイカしかしらなくて、子どもの口にはあまりあわなかったのだが、でもあの独特の臭みは忘れられない味であった。そのあと熱いお湯をかけて刺身茶漬けで食べたことを思い出す。
ともかく「食の分かち合い」は盛り上がる。「生涯食べた最もおいしかったもの」というテーマで分かち合うだけでその人のダイナミック・メモリーが呼び起こされるのである。どこかの高級レストランで食べたグルメは滅多に出てこない。そこにはなんらかのライフストーリーが潜んでいて、それを分かち合うことになるのである。
「今度それを食べに行こう」となると「いっしょご飯の福音家族」のきっかけになる。