ニシン漬けとゼンメル


石井祥裕

「食」の思い出を自分に問いかけてみると、これまで感動を覚えた幾多の料理が思い出せるなか、この二つが浮かびあがってきた。ことばになりにくい思い出がまとわりついているが、少しでも心に深くとどめておきたく、綴ってみたい。

 

ニシン漬け

北海道の郷土料理、ソウルフードには、さまざまなものがある。ジンギスカン、ザンギ(鶏の唐揚げ)、各地のラーメン、石狩鍋……その中で私自身にとってのソウルフードとして挙げたいのがニシン漬けである。北海道、東北の漬物文化として知られているが、北海道出身の自分のところでは、身欠きニシン、大根、キャベツ、ニンジンが具で、米麹を使用して、酸味とニシンの風味と食感が特徴といったもの。こう書いているだけで唾が湧いてくる。長い期間、大きな漬物樽で漬物石を載せて漬け込む。寒冷地帯の低温が必須のものである。

自分の生まれた10月には、各家の軒先に大根を吊るして干す作業が始まる。父が作ってくれた自分の出生時から幼少期までのアルバムは、大根を干した、生家の軒先の写真から始まっている。ニシン漬けのためだけではないにしても、干し大根からニシン漬けという流れが我が家ではメインであった。つまりはニシン漬けの準備の季節に自分はこの世に生を受けたことになる。

ニシン漬けが今、もっとも強く思い浮かぶのは、高校生時代の冬の朝食の光景。寒く、暗い朝、起きたくない、学校に行きたくない……という気持ちの中で、起きなさい、食べなさいと言われてつく食卓に、ごはんとニシン漬けのセットを見る。真冬の物置の樽から出してきてテーブルに並ぶニシン漬けは、半分凍っている。氷の粒がキラキラしている。

食べると酸味と塩味、我が家では大きな乱切りで入っている大根のガリっとした感じ、キャベツのシャリっとした感じ、そしてニシンの身のシナリとした食感と旨味に一瞬、心を奪われる……周りには家族のそれぞれがいたはずだが、その顔は記憶映像に入り込んでいない。ただ、確実にそこに「いる」感じが影のようにニシン漬けを温かく囲んでいる。

そんな我が家のニシン漬け……冷たさと同時に、なにものにも代えがたいおいしさ、そこに、高校生活に対するあの頃の自分のネガティブな魂と、そんな自分が見つけていた家族の食卓の幸福が詰まっている。もう半世紀前のこと。キラキラした氷の粒は幸せの宝石だった。

 

ゼンメル

話はそのおよそ15年後、今から35年前の思い出に移る。オーストリア、インスブルックに留学して、妻とともに慣れない生活を手探りで始めていたときの心のいやしとなったパンの思い出である。当地ではゼンメルといった。今調べてみると、オーストリア発祥のパンとして出てくるが、ドイツのパンと紹介されているものもある。カイザーゼンメルとかカイザーロール、カイザーブレートチェンなどの名前もあるが、インスブルックではゼンメルと呼ばれていた。

このタイプのパンが日本では、なかなか見られない。ドイツパンの一種として売られているカイザーゼンメルを見たこともあるが、オーストリアのものよりも小さかった。だいたい直径9センチぐらいで、高さは2~3センチ。表面はふっくらとして、そこに5つの放射線状の曲がった切り込みがあるのが特徴だった。その1個で朝は十分。その味を言葉にするのは難しいが、ハンバーガーのバンズとは全く違う。しっかりとしていて固さはフランスパンのようなところもあるが、気泡はなく密に詰まっている。といってもドイツのライ麦パンのようなものではなく、本体は白い。さまざまな具材を合わせるために自己主張は薄いのだが、その控え目さの中に、味わいある日常性といったものが詰まっている。

バターとジャムを塗ったり(さまざまなベリーのジャムがあり、その種類の多さも驚きで、楽しかった)、あるいは、シャーフケーゼ(羊乳製チーズ)を添えたり。また、ゼンメルを横から輪切りにして、そこにハム(シンケン)やスライスチーズを挟んだり、レタスを挟んだりしてサンド風にしつらえることもできる。手製の駅弁にして列車に乗ったこともある。

街の朝は、未明から焼かれたゼンメルをその日の朝食のために買い込むことから始まる。早朝が苦手な自分たちは、結局スーパーで買うので、新鮮さにはやや欠けたが、それでもオーストリアのソウルフードは心を支えてくれた糧だった。ホテルの朝食にはほんとうに新鮮なゼンメルが出てくることも同国内での旅の楽しみでもあった。

4年に及んだ留学生活自体は時代が変遷してしまったなかで、もう消え入りそうな思い出となっているが、自分たちの不安を喜びに変えてくれたゼンメルのことは忘れられない。

 


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