鈴木浩
テレビに映るガザの子どもたちの傷ついた姿。心が痛くなる。毎日のように報道されるガザの惨状に「どうしてこんなことを!」と思う。そんな折り、一冊の本に出合った。元イスラエル兵士ダニー・ネフセタイさんの『どうして戦争しちゃいけないの?』(あけび書房)だ。「なるほど」と思う箇所が多く本はすぐに付箋だらけになった。(写真①)
平和と戦争についてどう考えればよいのか。わからないことばかりの私にこの本はたくさんの気づきを与えてくれた。その中のいくつかの気づきをここでお伝えしたいと思う。
ダニーさんはイスラエルに生まれ、徴兵制で空軍兵士として兵役につき、退役後来日した。1988年埼玉県秩父に移住。今は妻のかほるさんとともに木製家具などの製作を生業としている。来日して約40年。イスラエルと日本の双方の国情に詳しいダニーさんだからこそ語れることがある。私たち日本人が知ることが少ないイスラエルの国防意識や教育の実態をダニーさんは率直に語る。
ニュースを見て「イスラエルはなぜここまでパレスチナ人を虐殺するのか」と思っていたが、この本を読むとその背景が見えてくる。ユダヤ民族には、神から選ばれた特別な存在という「選民思想」、そして軍事優先を徹底させる学校教育がある。そのせいかイスラエルの人々の多くが「武力による平和」を信じて疑わないようだ。「国のために死ぬのはすばらしい」というスローガンが学校行事で横断幕に掲げられるそうだ。ダニーさんは「自分もイスラエルを守るためにはパレスチナの子どもが犠牲になるのも仕方ないとする側の一人だったろう」と過去の自分を振り返る。
しかしそんなダニーさんに変化が起きる。2008年のガザ攻撃でイスラエル軍が多数のパレスチナ人(345人の子どもが含まれる)を殺したからだ。ダニーさんは軍を、国を、教育を疑い始めたのだ。子ども時代から戦争について常に言われてきたことがはたして本当なのか。「敵」とはつくられた概念ではないのか。「敵」は権力者が「戦争しかない」と国民を洗脳し、扇動するために必要としているのではないか。なぜ「敵」がつくられ、戦争が起こされるのか。大きな理由の一つは、戦争で儲かる一部の人がいること。ゆがんだ教育で「敵」をつくり出し、国家は国民を思い通りに動かす。ダニーさんはこれらのことに気づく。
だが、これはイスラエルだけの問題なのだろうか。そうではないと私は思う。日本もイスラエルと同じようなことをしているのではないか。「敵」への不安を煽り、「国を守るためには軍備は必要」と国民の意識を変えようとしているのではないか。
日本に来た当初、ダニーさんは憲法九条を知り、「軍隊を持たずに到底国は守れない。軍隊を持たないなんて全く非現実的だ」と思っていたそうだ。そんなダニーさんが今では軍隊を持たないことこそが、実は本当に国を守る基本だと考えている。以下にダニーさんの別の著書『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』(集英社新書)のまえがきにある言葉を紹介したい。(写真②)
「次世代に豊かな地球を引き渡すために、大人の責任として戦争をやめるにはどうしたらいいのか。そのカギになるのが、敵に攻められないよう「抑止力」を持つ、「武器による平和」という理屈からわたしたちが卒業することです。それは、決して非現実的でも「お花畑」のような考えでもなく、逆に極めて現実的であることを、皆さんに実感を持って受け止めてもらうために、わたしの体験を参考にしていただけたら幸いです。」
「抑止力」について元兵士であるダニーさんが語る言葉は重い。武力による平和、つまり抑止力による平和という考えでは、結局はイスラエルとパレスチナ間の復讐の連鎖を止められないことを知っているからだ。では「抑止力」について、私たち日本人の受け止めはどうだろうか。「ある程度の抑止力は必要」と思っている人が多いのではないだろうか。昨年2023年2月のNHKの世論調査によると、防衛費の増額に賛成が40%で、反対が40%。4割もの人たちが軍備増額に賛成している。日本はいつの間にか「専守防衛」から「反撃能力」持つ国に変った。戦争への準備が着々と進められているのが現状だと思う。
ある程度の抑止力ってどの程度? 核ミサイルの時代にある程度なんてあるのだろうか。
では具体的に私たちにできることは何か?
こんな問いが生まれる。安倍政権時代に「憲法改悪NO!」の国会前デモに参加したことがあるが、正直に言うと今はもうその気力と体力がない。しかし、だからといって何もしないでいていいのか? そんな自問が常にある。
ダニーさんの本の中にその答えを見つけた。
「猿になればいい」それならできるかもしれないと気づかせてもらった。「猿になる」とはこういうことだ。両手で目、耳、口を隠し「見ざる・聞かざる・言わざる」の日光東照宮の三猿はよく知られている。この三猿については諸説あるようだが、自己保身のために見て見ぬふりをする場合に使われることが多い。確かに自己保身のためには見ても見ないふりをする方が楽に生きられるかもしれない。しかし、「見ざる・聞かざる・言わざる」では世の中は変わらない。
ダニーさんの住む秩父には秩父神社があり、その本殿に日光東照宮の「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿とは真逆の三猿があるそうだ。「よく見て・よく聞いて・よく話す」という三猿が本殿に彫られているらしい。世の中を変えたいのなら、「見ざる・聞かざる・言わざる」の日光東照宮の三猿ではなく、「よく見て・よく聞いて・よく話す」秩父神社の三猿にならなければならない。そうなることを目指したいと思ったのだ。
ダニーさんもかつては日光東照宮の三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」だったと告白している。 埼玉・秩父の田舎で好きな家具づくりをしながら家族とのんびり暮らしていると、世の中で起きているさまざまな問題は自分には関係ないという気持ちになっていたそうだ。沖縄基地の問題、原発の問題、難民の問題など問題はたくさんあるが、人生は短いのだから、社会の問題にかまうヒマはない。何も見たくないし聞きたくないと思っていたと振り返る。ところがダニーさんに「気づき」が訪れた。それが2008年のイスラエルによるガザ攻撃だった。子どもを含む多くのパレスチナ人が殺された。元イスラエル軍の兵士だったダニーさんは衝撃を受け価値観が変った。
前出の著書『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』の中でダニーさんはこう語っている。「戦争や原発事故、難民問題や性的マイノリティへの差別、沖縄基地問題、気候危機……これらの問題には、共通点があります。それはすべて、人権が無視されて起こる問題だということです。気づきが早ければ早いほど、そしてたくさんの人が気づけば気づくほど、問題を解決することが容易になります。のんびりするのもいいけれど、頭のどこかで、今苦しんでいる人がいること、そしてわたしたちが今のんびりすれば、将来の世代がのんびりできなくなる可能性があることも考えなくてはいけません」(写真③)
今、世界で起きていることを「よく見て・よく聞いて・よく話す」これは簡単ではないし、意見の摩擦も起きるかもしれない。非難されることもあるだろう。実際にダニーさんは「イスラエルのやっていることはおかしい」と発言するようになり、祖国の友人や兄妹から非難を受けているようだ。それでも、ダニーさんは平和な社会をつくるための講演活動を続けている。講演後、写真撮影を求められるとダニーさんは両手でハートマークをつくる。平和をつくるために、武器ではなくハートつまり心を使いましょうというメッセージだ。心を使う。それは「敵」とされる相手にも人権があり、幸せになる権利があることを思うことであり、戦争を防ぎ平和をつくる政治家を選び育てることをも意味しているのではないだろうか。「武器による平和」はあり得ない。ダニーさんが語るこの言葉は聖書のある箇所を思い起こさせてくれた。イエスを捕らえにきた兵士たちに向かって、剣を持って戦おうとした弟子にイエスが言った言葉だ。
戦争、紛争が絶えない今、2000年前の聖書のこの言葉は私には次のように聞こえる。