ママのばか(3)いのちは奇跡


片岡沙織

34歳の時に、久しぶりに大学院の同期と食事をした時の事でした。

大学・大学院時代一緒に学び卒業してそれぞれ就職し、結婚して家庭を持った私たち。

「我々のこれは、女子会ではなく婦人会だね」なんて言いながら。

目下の話題は、いつになったら子どもを授かるかというものでした。3人とも同じ不安を抱えていたことがわかり、結論としては、それぞれ婦人科に行ったほうが良さそうだ、という話になりました。

後日、実際に婦人科に行ってみると、初めて日本の現状を目の当たりにした気がしました。

それはそれは、不妊で悩んでいる女性の多いこと。

受付を済ませても、きっとすぐには診てもらえないだろうなと思うくらい、たくさんの人が待合室にひしめき合っていました。その予想通り、結局、半日以上を婦人科で過ごすこととなったのでした。

結果、大きな問題はありませんでしたが、その時私は34歳。すぐに子どもを授かったとしても、高齢出産になる年齢だと、その時初めて知りました。

WHOは35歳以上での初産または40歳以上の出産を「高齢出産」と定めています。

また、私の友人たちも同じころ婦人科に赴いたところ、子宮筋腫であったり、妊娠の可能性が低い状況であったりと、問題が見つかったのでした。

この経験は、私たちにとってあまりにも衝撃的なことでした。

私は中学高校の学生時代、「避妊」については学校で教えられても、「不妊」について教えてもらったことはたぶんありませんでした。日本の教育で「不妊」についてほとんど扱われていないことの弊害を、この時、身をもって思い知りました。自分の卵子が老化するなんて、学校で教えてもらわなかったのに!と。

私は現職の中高教員ですが、現在の中高での性教育についてのカリキュラムの内容でも、十分ではないように感じます。保健体育や家庭科などで不妊について教えられますが、深くは触れられることがありません。むしろ、「望まない時期の妊娠」や「避妊」についての方を重点的に授業するわけです。これはいかがなものか。

現在、私は「キリスト教倫理(宗教に該当する科目)」を担当しており、高校三年生に『いのちへのまなざし【増補新版】』(日本カトリック司教団著、カトリック中央協議会刊、2017年)という本を参考文献に、「いのちについての授業」の枠組みの中で、「不妊」について自分の体験を含め熱く語っています。

授業をするにあたって様々な資料をもとに知ったのは、世界に比べて、日本の性教育で教えられる知識がとても乏しく偏っているという状況でした。不妊の原因が女性に限ったことではなく、男性の場合も多くあるという事も、あまり知られていません。

私は自分の経験から、子どもを、いのちを授かるという事が「奇跡」であり、「尊いもの」だと感じています。だからこそ、これからを生きる若者が、気づいた時にはもう遅かった、という状況にはさせたくない。現に、私の授業を受けた後の生徒からは、「今知ることが出来てよかった」というリアクションを受けることがとても多くあります。草の根運動ではありますが、これからもこの授業を続けていくつもりです。

不妊は、旧約聖書にも新約聖書にも、女性の大きな悩み・苦しみとして書かれています。旧約聖書には「サラ」、新約聖書には「エリサベト」などが代表的な例でしょうか。サラの苦しみ、エリザベトの苦しみは、現代を生きる人々の苦しみかもしれません。もしかすると、現代社会のこの問題についての答えが、聖書の中にあるのかもしれません。

 

ここからは、複数の方の不妊治療の経験談を書きます。こちらに掲載するにあたって、表現上の配慮と修正を行っておりますが、お読みになった方を傷つけてしまう内容もあるかもしれません。ご注意ください。

私は子どもが双子であるからか、不妊で悩んでいる方に相談されることがよくあります。

先日は、長い期間子どもが授からないと悩んできた20代の女性が、ついに旦那さんとクリニックに行ったところ、彼が無精子症だったことが分かったと打ち明けてくれました。

また、他の方々からも、

「今、採卵するために薬を飲みながら卵子を育てているところだが、卵子の老化が進んでおり、卵子が育たず悩んでいる。」

「先日、おなかに卵を戻したが、着床せずに流れてしまった。長い期間、精神的にも身体的にもつらい思いをして頑張ったのに。」

「やっと着床して、先週までは心拍も聞こえていたのに、今週クリニックへ行ったら心拍が聞こえなくなってしまった。辛くて仕方がない。」などなど。

これらは20代~40代の方から私が受けた悩み相談の一部です。

私はいつも話を聞くだけで、何もしてあげられることがなく申し訳ない思いですが、今回これらのことを少しでも知っていただける機会になればと感じています。

 

かく言う私も、簡単に子どもを授かったわけではありませんでした。いつも子どもを授かることを夢見ながら、御心ならばと教会で神様にお祈りすることもありました。何度も何度も期待をしては落胆して心をすり減らしたり、年齢的な問題から焦りを感じたりすることもたくさんありました。

今、毎日があわただしく、子どもたちにイライラしたりすることもありますが、今回この記事を書く中で、この子達を授かるまで、どんなにこの子達に会いたかったかを思い出すことができました。そして、この子達を授かったときに、実際に「いのちって奇跡なんだなぁ」と実感したことも思い出しました。いのちとは、どんなに努力しても自分の思い通りにはならない、神様の領域なのだと、今は感じています。

不妊に限らず、はつらつと元気ないつもと変わらぬ様子で仕事をしている隣の方が、もしかすると人知れず悩みを抱えているのかもしれません。いつも想像力をもって、人とかかわりあっていけたらと、そう思います。

 


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