『原敬 「平民宰相」の虚像と実像』
清水唯一朗:著、中公新書、2021年
定価:990円(税込み) 320ページ
日本のキリスト教徒人口は1%程度といわれていますが、首相経験者に限ると、なんと10%以上がキリスト者であったことをご存じでしょうか。2023年までに64人の首相がいましたが、そのうち、判明しているだけでも8名がキリスト教の洗礼を受けています。その8人の中で一番目にあたる人物が、今回紹介する本の主人公であるダビデ原敬です。原敬は、日本最初にして戦前唯一のキリスト者の首相であるだけでなく、初めて爵位を有さずに首長となった「平民宰相」でもあり、そして暗殺された初の現職の首相でもありました。立憲政治を目指して日本初の本格的政党内閣を実現したと評される原敬は、「一般の人には人気がない」「意外と知られていない」けれども「研究者の評価が高い」(305頁)人物です。そんな原敬の人生と功績を、明治から大正の激動の政治史と共に学べる本が『原敬 「平民宰相」の虚像と実像』です。
江戸時代の末期の1856年、戊辰戦争で賊軍となる盛岡で生を受けた原敬は、明治初期に上京するも勉学ははかどらず、海軍兵学校の受験にも落ちてしまいます。行き詰った原敬が放浪の末にたどり着いたのは、フランス人宣教師が運営する麹町の学校でした。そこでフランス人のエヴラール神父と親交を深めた原敬は、1873年2月にキリスト教を禁じた高札が撤廃されると、同年4月にカトリックの洗礼を受け、翌年には新潟に宣教旅行に出ています。キリスト者となった原敬は、1876年に司法省法学校に優秀な成績で入学しますが、様々な理由により1879年に退学処分となってしまいます。
放校により法曹の道が閉ざされた原敬は、新聞記者となり政治論説を展開していきます。急進的な自由民権運動から距離を置く保守的な漸進的立憲主義に立った原は、1882年、同様の理念を掲げる立憲帝政党に入党します。ですが、原はすぐに立憲帝政党を見限り、推薦により外務省に入省します。エヴラール神父から学んだフランス語の能力を買われた原敬は、ヴェトナムに進出するフランスの動向を調査するために中国に派遣され、そこで李鴻章と交渉する伊藤博文と出会います。その後、パリに転任となった原は、ヨーロッパで西園寺公望や高橋是清と親睦を深めます。ですが、政治的見解を異にする大隈重信が外相となったため、原は農商務省に移されてしまいますが、そこで陸奥宗光と意気投合します。1892年、第二次伊藤内閣で陸奥宗光が外相になると、原敬も外務省に復帰し、1895年には外務次官にまで昇進しました。
1896年、病気を理由に陸奥が外相を辞任すると、大隈が再び外相となったため、原も外務省から退くこととなりました。大阪毎日新聞の編集長としてジャーナリズムの世界に帰ってきた原でしたが、1900年に伊藤博文が立憲政友会を結党すると政治の世界に戻り、逓信大臣として入閣します。東北出身の初の大臣となった原敬は、明治から大正の激動の政界に身を置き、近代日本の政治史に足跡を残しました。
一方においては軍部が拡大し、他方においては社会主義などの急進的思想が拡大する大正時代において、漸進的立憲主義の立場から改革を進めた原敬は、革新派と穏健派の双方からの批判を受けました。藩閥政治から政党政治へ日本の政治を変革させた原敬は、近代日本を語るうえで欠かせない非常に興味深い人物です。物価高、軍拡の時代に首相となり、そして暗殺された原敬について学ぶことは、今日の日本を考えることにもつながると思います。
石川雄一(教会史家)